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こんばんわ(^_^)/ 今日は、営業担当で出勤でした。わりと、こちらは暑かったですね。ちょっと、しずかな一日でした(^_^;)
さて、今晩は先日ご紹介した鹿島先生の本より、子供さんの詩をいくつか読ませて頂いて、お勉強したいと思います。
「よい父親」 という章からです。
おとうさん 1年 もとおかしんや
ぼくがおとうさんに おこられたとき おとうさんが おならをしたから おとうさんが おかあさんにおこられた
さらに、子供たちの、おとうさん像の素敵な詩が続きますが、(最近の非行や家庭教育の諸問題への問いかけから、)先生は、 「・・・父親が弱くなり、物わかりがよすぎるから、子どもはだめになっていくのだと言われると、そうかなぁと首をかしげてしまうのです。権威ある父親がよい父親だと、断定的には言えないように思えるのです。 子どもたちが書いたものを読んでいるうちに、子どもたちは、やさしい父親のなかに、よい父親像をいっぱい感じていることがわかってきたからです。・・・」とおっしゃっています。
もういっかい、本岡信也君の詩です。
しごと 1年 もとおかしんや
おとうさんのしごとはむずかしい そろばんまでつかわなできひん むずかしいけいさんをしているとき しんけんなかおをしている てさきは二ほんのゆびだけでしてる おとうさんはいそがしい
「おこっているときにおならをしておかあさんに叱られた本岡信也君のお父さんも、仕事をしているときには真剣な顔つきで励んでいます。そんなお父さんの表情を見て、子どもたちは父親の存在を感じるのです。 ・・・・・・・・ 子どもは、強かろうが弱かろうが、真剣な生き方を示す父親に人間性を感じるものです。そんな父親に育てられた子どもが、よい父親に育てられたと言えるのではないでしょうか」 ほんとに、そうですね。
「おれのおんな」 という章からです。
おれのおんな 1年 おおほりしゅんすけ
おとうさんがぼくに しゅんすけは だれとけっこんするんやときいた ぼくはおかあさんとするねんというた あんなおばはんのどこがええんや おとうさんは わかいのんがええわというた それでもおかあさんがええわというたら おれのおんなにてをだすなといった あほらしてはなしにならない
先生は、「わたしはうれしくなりました。そしてこのような軽妙な会話が出来る親子をうらやましく思ったのです。 ・・・・・・・・ 俊介君のお母さんのように、子どもから愛されるということが、よき母親としての絶対条件になるのではないでしょうか」とおっしゃっています。
最後に、「お母さんの心」 という章からです。
おかあさんのこころ 1年 きむらいちお
せんせい ひみつやで おちちはおかあさんのこころ あかちゃんがのんで おかあさんのこころが あかちゃんにつたわる それから おっぱいのこころをいっぱいためて こころのおおきいにんげんになっていく そやから おかあさんのこころは ええこころでなかったらあかん
書いていて、僕のこころは、素晴らしさで感動しています。 先生は、木村一男君についてもお話されました。 「目の不自由なおばさんが、鳩にえさをやっていたことがありました。そのときの様子をじっと見ていた一男君は、目が見えないはずのおばさんが、鳩を見て笑っていることを発見したのです。なにげないちいさん動きから、おばさんの慈愛に満ちたまなざしを、視力の無い目のなかに見つけているのです。 そのように心を配ることができる子どもだからこそ、このような作品が必然的に書けるのです。」
こころが洗われますね。 鹿島先生、1年生のみなさん、ありがとうございましたm(__)m
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