わがまま日記

( ̄。 ̄;)2002.8
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一隅を照らす、これすなわち国宝なり 最澄
8.31
土曜

土曜日、月末、残暑厳しく、快晴(>_<)

8月が終わりました。

来月もなんとかがんばっていきたいと思います (^o^)/~~~~~
8.30
金曜
金曜、残暑厳しく暑い、快晴( ̄. ̄;)

毎日のお仕事、お客様との応対、そして社内外の人々とのお付合いや協力がごくあたりまえに発生し通過していきます。

黙々と実践し、スムースに気持ちを切換え、柔軟に対処していければ、こんな有難い事はありません。

しかし現実には様々な(自分にとっての)障害・阻害要因が発生し、時によっては人を非難したり、不快な気分にさせてしまうことも少なくありません。

本日の感じるお話は、そうした、自分の"心得違い"を教えて頂きました。
       まわりを味方にする         庭野日敬      (1998年、平成10年)

 まわりと仲良くすることが仏道の極意(ごくい)、と言ってもいいのではないかと私は思うのです。
あっちでぶつかり、こっちで人に突っかかっているようでは、仏道修行は落第です。

 家族や職場の仲間はもちろんのこと、毎日起こるすべてのことと仲良しになってしまうのです。
仏道とは天地の(ことわり)、宇宙の大法則と溶け合って生きることだともいえましょう。

そうして、まわりじゅうと仲良しになろうと努力していると、すべての人、すべてのことが自分に力を貸してくれるようになって、前へ前へと押し出してもらえるのです。これが安楽行です。

 こちらのほうがずっと楽な道なのですが、みなさんが、わざわざ人に突っかかったり、まわりに当たったりして悪戦苦闘しているわけです。「極楽は行きやすくして人なし」で幸せへの道のほうがずっと楽なのですが、分かってはいてもなかなかそれができないわけです。

 ですから、一つ一つ周りの人に教えを受けながら「今日はこれができた」「ここが一つ上達した」と毎日の自分を振り返って一段一段上がっていく努力を続けていく。

 周りの人を味方にし、師としていけば必ず卒業証書をもらえる日がきます。
   ありがとうございましたm(__)m
8.29
木曜
木曜、かなり暑い、快晴、明日も関東各県は33度を超えるようですよ(>_<)

残り少ない月末・週末のラストスパートです。

もっぱら、反省ばかりの我家なんですが、唯一誉められるべきところがあるとしたら、家内との夫婦仲と言えるかもしれません。

だいぶ大きくなった三人の子ども達に対しても、仮にウソでもよいから夫婦円満・家庭円満を演じる事は大切な事かもしれません・・。

しかし、おかげさまで自然に、何事も話し合い、励ましつつ、感謝しあい、仲良く暮らしております。

やはり、僕と結婚する為に家内は生まれてきたのかもしれないと、感じてしまうこの頃です。

本日は、庭野先生のマザー・テレサ観を学ばせて頂きます。
       最高に豊かな人生          庭野日敬      (1997年、平成9年)

 マザー・テレサが亡くなられました。インドのカルカッタで行われた国葬では、百万人もの人が沿道に並んで別れを惜しんだと伝えられます。

 マザー・テレサは「最も貧しい人を助けなさい」という神の声を聞いて、たった一人、ポケットに百五十円のお金を持っただけで行動を起こしたのだそうです。そして、カルカッタの町の路上で倒れて瀕死の苦しみにあえいでいる人の体を洗い、手を握り締めて語りかける奉仕に、生涯を捧げたのでした。

「人に触れ、人に仕えることで愛が通い合います。愛することを知らずに神を語る人がいますが、神の愛は行動を伴わなくてはなりません」と、マザー・テレサは言われます。
しかもマザーは、それを眉をつり上げた顔でやるのでなく、笑顔とユーモアをもって続けてこられたのです。

「最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」というイエス・キリストの言葉を信じて、その愛の行為に全てを捧げたマザー・テレサが亡くなった後に残されたものは、二枚のサリーと、身のまわりの物を入れる袋だけだったそうです。 その人生が、最高に豊かな人生だったのです。
   ありがとうございましたm(__)m
2002.
8.26.
月曜

8.27
火曜


8.28
水曜
月曜・火曜、ともに快晴、かくして2日まとめるパターンが・・・(>_<)
暑い日も続いている(^_^;)
・・・と、昨日(27日)は書いて、力尽きたところ( ̄. ̄;)

気にせずに、・・・
水曜、快晴、あちこちに入道雲が目立つ、デジカメで撮ったら、なかなかいい素材になるなぁと眺める。

平日の更新は時間次第ではあるが、ほんのささいな修正点ぐらい。
ただ、今日は、会社のサイトが2ヶ月以上も振り返っていなかったので、あわてて更新をする。
まだまだ不十分なことはいうまでもないが、数日して、マイナーチェンジの発表もあるので、これ以上は日曜日の更新にしよう。

ところで、「タマちゃん」なるひげあざらしであるが、多摩川とか鶴見川とか、目の前の川を行ったり来たりしているそうな・・・・。
けして可愛くないとは言わないが、あまり見に行く気も起きない(∋_∈)のはどうしてだろか。
よくまぁあの汚泥の川を泳いでいられるものと感心しているが、いささか綺麗な川にもどりつつあるのだろうか。

ペットも飼わない生活を数十年と続けているが、それでも小さい頃は小鳥や猫・犬もいたにはいた。ほとんど亡くなっていくわけであるが、鎖につながれっぱなしの犬はあまりに不憫だし、走り回らせられねば、犬は可愛そうで、できる状況でなければ、飼う気がおきない。室内犬とか猫とかもあるが、いずれにしても我が家をとりまくすべての環境は、ペットにとっても幸福な環境とは言い難いであろう。

植物にしても、動物にしても、愛情を持って心をこめて育てていければ、苦労とともに味わうこともできない感動があることもよく耳にするお話である。

命の尊さは、人であらずとも変わりはなく、その尊さを学べる数少ない機会なのかもしれない。
2002.
8.24.
土曜

8.25
日曜
土曜、曇り時々小雨、まぁ涼しい。本日日曜、快晴、暑い(^^ゞ

土曜はショールームに来店されるお客様も多く、お休みした事が無い。
日曜も同じ理由であるが、交代制にて、本日は休みである。

パソコン生活も1995年ごろから、ボチボチとしかし毎日欠かさずに続いている。おそらく、自分自身でも、一般的な情報は勿論、超個人的な趣味に至る情報までも比較容易に収集・閲覧ができるという理由からであろう。

また、個人のWebページを通じた人と人との様々な交流も日本いや世界中で益々盛んに行われていることであろう。興味も尽きない世界である。

個人情報の漏洩とか、ネット犯罪とか、様々な問題は後を絶たないが、インターネットとはいえ、基本的に人間社会の問題をそっくり引き継いでいる(あるいは同じ人間が居る)わけで、少しはしっかりした心構えがないと日常生活においてさえ苦労するように、顔の見えないネットであればなおさら用心するに越した事は無い。

しかしネット上で見聞きする言葉を一人一人静かに見ていると、その人の人柄なり本音なりも感じられるものである。
自身も当然、判断され続けているわけで、その意味でも、心を整えながら日々生活していきたいものである。

本日の感じるお話です。
       人を思いやる心              庭野日敬      (1987年、昭和62年)

 人間として本当に大事なものと、二次的、三次的なものとの区別がつかない人が、多くなってきているのではないでしょうか。

 人間にとっていちばん大事なのは、人さまの心が分かること、つまり、人の喜びや悲しみがよく分かって、明るく、温かく、素直な心で人のことを思いやれることだといっていいと思うのです。

人間とは、人と人との間柄で生きるものという意味ですから、この、人さまのことを思いやれる心の上に、知識、技術が具わってこそ、鬼に金棒となるわけです。

人間としていちばん大切なものを育てることを忘れて、受験だ、勉強だと押し付けている親御さんが多くなってしまっては大変です。

 立派な大学を出て、エリートだ、秀才だといわれてきた人が、いとも簡単に人を殺してしまうというような事件が起こるその原因の一端が、このへんにあるように私には思えるのです。

 子どもは、親の毎日の言動から決定的な影響を受けて育ちます。親が目覚めないと、取り返しのつかないことになってしまいます。
    ありがとうございましたm(__)m
2002.
8.23.
金曜
金曜、小雨まじりの曇り、涼しい。

不勉強で努力不足、・・・自身が感じる己が姿に他ならないが、そんなだらしない自分であるが、有難い事に、こころの教え、として中学生のころから、庭野先生の法華経の教えに触れる縁があった。父母のおかげ様である。

プライドだけ高くて、中身が乏しい。頭で解ったら、全て理解出来たと思っていた。・・・・今思えば、若き青年の未熟な愚かさとも思えるが、あのまま自分を変えることなく過ごしていたとしたら、なんと恐ろしいことか・・・。

皆様と普通にお話し、それなりに受け止めさせて頂けるようになったのも、全て庭野先生の教えのお蔭様である。

その割には、感謝が足らず、実践の不徹底さが目立ってしまう。誠に申し訳ない、不肖の子供だ。

先生のご紹介は 客観資料として下記をご参照下さい。紹介としては余りにも質素過ぎるのですが・・・。
http://www.sankei.co.jp/databox/bukko/html/991004niwanonikkyo.html
http://www.sankei.co.jp/databox/bukko/html/991004niwanonikkyo_hyo.html

本日の感じるお話です。
       自 己 を な ら う              庭野日敬      (1995年、平成7年)

 自分の思い通りにならないからといって、その人をじゃまもの扱いするようでは、まだ本物の信仰者とはいえません。「この人は嫌なんだ」という見方を一度離れてしまわなければ、ならないのです。

 「仏道をならふといふは、自己をならふなり、
  自己をならふというは、自己をわするるなり、
  自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり」
 という道元禅師のお言葉があります。

 自分のものさしを作って、この人は好きだけども、あの人は嫌いだ、健康はいいが病気は嫌だ、好景気はいいが不景気はごめんだ、と決め付ける見方を捨てて、すべてを仏様のおはからいと受け止める。
難題は自分のゆがみや足りなさを教えてくれる大切な宿題だと考える。そうなってこそ本物です。

 難題から逃げずに真正面からそれと向き合うのは、苦しみが伴います。

しかし、そこを乗り越えると、不思議に思い通りにならなかった相手や問題が、いつのまにか変わってしまっているのです。

 平穏無事に毎日が過ぎるに越したことはないように思えますが、そういうときには、真剣に自分を見つめ、人生の意味について考えることがなかなかできないのです。 
    ありがとうございましたm(__)m
2002.
8.21.
水曜

8.22
木曜
水曜、木曜、だいぶ涼しくなってきた、エアコンも午前中は消してても大丈夫か。快晴つづく。

夜の貴重な休憩時間もあっという間に無くなりますな( ̄. ̄;)

今頃、ハリ・ポタの第一巻を読んでるのも変なものだが、改めて緻密な構成とアイデア満載というか、JKローリングさんが、心底から楽しみながらきっと書かれたに違いないのではないかと思えてならない。

現実は勿論、知る由もないが・・・・・o(^o^)o

しばらくは、ハリーの世界に浸ろうと思っている。
そのうち「秘密の部屋」の映画もロードされることだろう。

それにしても、なんて素敵なファンタジック物語なんでしょうね( ̄- ̄;)ハリ・ポタ大好き(^^ゞ、おやすみなさい。
2002.
8.20.
火曜
火曜、台風一過の快晴、風もあり、さわやか、(^o^)丿

本日も帰宅が遅く、もうすぐ夜中の12時である(^_^;)

基本的に、仕事の中身に序列はなく、つまる仕事も、つまらぬ仕事も、感じるわが身の心の狭さに他ならない。

もっとも、お蔭様で、そのような不足を思うこともなく努めさせて頂いているこの頃ではあるが。

困ってらっしゃるお客様のお話をよくよく承れば、いかに解決してさしあげられるかが問われていることで、中には以前の私共の仕事からの遠因もあり得る場合も無きにしも非ず、である。

また、いかなる人のいかなるお話でも、安直に聞き流さずに受け止められるように習慣付けておいたほうがよさそうである。
なにがどう商売のお話に結びつくかわからない事であるし、軽率な態度が評価を分けるのもまた事実である。

本日の感じるお話です。

       第 二 の 矢           庭野日敬      (1995年、平成7年)

 人の苦しみの大部分は、この先どうなるか分からない、という不安感が作り出すものといっていいでしょう。

たとえば、子どもが四十度もの熱を出してひきつけたりすると、「もしものことがあったらどうしよう」と動転して悪い方悪い方へと考えてしまいます。

 「いや、心配ありませんよ」とお医者さんが診断してくれると、とたんに苦しみは半減します。

個人のことだけではありません。いま社会全体が大きな変動期に直面して、さまざまな不安が次々と起こり、お先真っ暗の思いでいる人が、たくさんいます。

 お釈迦様は、「教えを聞いた者と聞かない者との違いはどこにあるのですか」と問われて、

「苦受の第一の矢を受けた上に、嘆き悲しみ混乱して第二の矢を受けてしまうか、一の矢は受けても第二の矢を受けることがないかの違いである」と教えられています。

 第二の矢は、自分の不安が作り出すのです。

どんな事態に対しても、その苦をまっすぐに見据えて心を大きく揺るがせることがなければ、かりに第一の矢を受けても、傷はごく浅くて済みます。

受けた矢を逆に飛躍の契機にしていくことができるようになるのです。
    ありがとうございましたm(__)m
2002.
8.19.
月曜
月曜、台風接近中朝から風雨、うっとうしい(^_^;)

今日一日、がんばったかい?

明日もまた、精一杯、努力して、生きていこうね。
2002.
8.18.
日曜
日曜、あまり外に出ないので天候不明--雨・曇りか--、やや涼しい。

一日があっという間に過ぎ去っていく。気が付くと夜である。(^_^;)

のんびりと愉しく興味あるページをいくつか更新できたが、時間もかかるものである(^^ゞ

明日から8月の後半であるが、だいぶ休ませて頂いたので、がんばって行きたいところ(^o^)丿

昨日の土曜も出勤であったが、商談並びにご契約を頂き、有難い事であった。

今後とも、厳しい日々が続くが、根本的には自分自身との闘いに他ならない。一歩一歩が大切だ。

今日の感じるお話です

       鬼の心 と 仏の心           庭野日敬      (1995年、平成7年)

 私達の心の中には鬼の心も仏の心もあって、うっかりしていると、すぐに鬼の心に引きずられてしまうのです。

鬼の心というのは、よいことをしなければと思いながら、つい怠け心のほうに引きずられてしまう心です。
また、人の事をうらやんだり、ねたんだりする心も、それです。
悪いことや嫌な事は、みんなまわりのせいにして、人を責めたり憎んだりするのも鬼の心です。

それでいつもカッカしているから、頭に角がニョキニョキと生えてくるわけです。心が顔に表れてしまうのです。
この鬼の心が疫病神で、その自分の心が不幸を呼び寄せてしまいます。

鬼は外にいるのではなくて、自分の心のなかに住みついているのですね。
それを追い出してしまわなくてはなりません。

どうしたら自分の心の中の鬼を追い出せるのか。

まず、人を見たら、いつもニッコリと笑うこと、つまり、どんな人にも笑顔で対せるようにと心がけて、それを習慣にしてしまうのです。
そして、いつも人さまの身になって考えることです。

そう心がけていると、いつのまにか角が消えて、仏様のような柔和な顔になってくるのです。
    ありがとうございましたm(__)m
2002.
8.16.
金曜

8.17
土曜
金曜、快晴から曇りチョッピリ雨、おかげで湿度は高いが猛暑にあらず(^_^;)
土曜、快晴・うす曇、今日も猛暑は避けられた、出勤日。

金曜、午後から、お墓参り。夏休み最後の日。我が家の場合事情があって、2箇所お参りをする。同じ都内の霊園なのでなんの苦労もない。車で霊園内も移動できる。

墓石の数がたいそう多いので、見ていても実にさまざまなお墓に出会う。
敷地も普通サイズから5倍程広いお墓、逆に場所が少なくなって壁伝いに墓石スペースだけのものなど様々。神社みたいな鳥居をたてていたり、「心」とだけの墓碑銘も少なくない。

木がちょっと多い我家のお墓なのだが、この暑さの中でも逞しく雑草もはえており、枯れ葉もたんまり溜まっていた。
お掃除も完全にはできないままであったが、花をたむけ、香を焚いた。

霊感も無縁な私にとって、仏様になられた多くのご先祖様に、私達の今後の在りようを見守ってください、とお祈りさせて頂いた。日々の努力は至極、当然ではあるが、お客様、まわりの方への自分自身の心の姿勢をなんとしても誤り無きようなものにさせて頂ければ、誠に有難いのだが・・・反省の日々である。

最近は、横着をして、二日に一遍の日記となっている(>_<) こんなとこにも、いいかげんさが顔を出す。

今日の感じるお話です。
       マイナス が プラス           庭野日敬      (1995年、平成7年)

 人生には、さまざまな困難があります。

その困難に押しつぶされる人もいれば、それをバネに飛躍する人もいます。

その違いは、「くじけるものか」と気力を奮い立たせるか、「もうだめだ」と投げ出してしまうか、その違いだと思うのです。

どんなことにも、よい面と悪い面が表裏になっています。

それをよいことと悪いことの二つに分けて、これは自分にとってプラスになる、いやマイナスだ、と決め付けてしまうのは、その時の目先の事しか見ていないからです。

それをもう一度裏返してみる。反対側からも見る習慣をつけるのが、仏教の智慧(ちえ)、人生の極意(ごくい)といえましょう。

松下幸之助さんは、貧乏だったこと、学歴のないこと、病身だったことを成功のバネにされた方でした。

そのどれをとっても、ふつうなら大きなマイナス要素です。「自分ぐらい恵まれない人間はいない」と意気消沈しかねないところですが、松下さんは、それを活力に変えられたのです。

 若さには、つまづきがつきものです。受験の失敗や失恋も、その裏に得難い人生の宝が隠されていることを忘れないでほしいのです。
    ありがとうございましたm(__)m
2002.
8.14.
水曜

8.15
木曜
水曜・木曜、快晴、さらにさらに、猛暑は続く( ̄− ̄;)

14日は、ひがな静かにハリー・ポッターと暮らす( ̄. ̄;)
15日は、家内と家内の母上をつれて千葉県へドライブo(^o^)o 「東京ドイツ村」なるテーマパークへ行く(^_^;)
http://www.interq.or.jp/tokyo/masataka/index.htm「東京遊び場マップ」なるサイトより・・・
http://www.interq.or.jp/tokyo/masataka/tema.htm「遊園地、テーマパーク」を選んで・・・
http://www.t-doitsumura.co.jp/「東京ドイツ村」を見てみる・・・
推薦の文章より「名前負けしているけどリーズナブルで楽しいテーマパーク!金欠ファミリーにとってもお勧め!
という文字が我がこころを打つ!!

さらに、決定的な文章が( ̄□ ̄;)「東京ドイツ村では、開園1周年を記念し、東京都民、神奈川県民の皆様の入園料を無料とさせていただきます。「大変便利な東京湾アクアラインで一直線」夏休みの楽しい思い出を!」に、感激の涙・・・・。
(そのページのコピーと住所を証明するもの-免許証とか-を持ってってね(^_^;)期間限定)

なおちゃんも母上も アクアライン・海ホタル・をはじめ 川崎大師も行った事が無い というのでお連れした(^_^;)
軽自動車なので、アクアライン(東京湾横断道路? 川崎-東京湾/トンネル-海ホタル-東京湾/陸橋-千葉木更津)
は片道2400円、さらに600円での高速の後、金欠ファミリー垂涎の、入場料無料の泣いて喜ぶ「東京ドイツ村」へ到着!!
http://www.interq.or.jp/tokyo/masataka/doitu.htm推薦者のレポートも読んでね(^_^;)-うっ、入場料払ったみたい(~_~;)

僕達も期待せずに行ったのだが、意外に、広い!!、美しい!!、施設や整地の自然管理にも相当、金がかかっていそうだ!!
受付の女性も若い!可愛い!!さらに無料入場のコピー紙と資料を見せてもイヤな顔ひとつせずに「どうぞ(^o^)丿」!!である。
さらに広い施設を、車に乗ったまま一周できる。その道の左右はすべて駐車場のラインも引いてありどこでも駐車OK!!
そして駐車場代はタダであった(^_^;) なにか申し訳なさも残る(~_~;)
おみやげの館も多く、女性陣はくまなく閲覧し、デパ地下試食コーナー並みに、全てチェックしていた模様(>_<)
お花も綺麗なので、デジカメにて↓(^_^;) なお、暑かったので早めに引き上げる( ̄- ̄;)

相変わらず 海ホタル は満員なので諦める(>_<) また、川崎大師近くには、最近出来た「イトーヨーカドー」の大型店があり、女性陣はこちらにも是非とも寄りたいということで、駐車場へ(^_^;)
気が付いたら午後3時を回っていたが、昼飯を食していなかったことに気づき、ファミールにて遅い食事。
その後、約1時間ほど、満足頂けるまでお買い物時間となる。
その間僕は、"家電特価セール"なる場所にて「千と千尋」のDVDを地元の子ども達と一緒に眺めていたのであった(>_<)

"夏休み" のこすは明日一日である(^_^;)

2002.
8.12.
月曜

8.13
火曜
月曜・火曜、快晴、さらにまた、猛暑は続く( ̄− ̄;)

月曜日は出勤。翌、火曜日から夏季休暇で、金曜日まで。
土曜・日曜と会社である。従って、4連休が頂けたことになる。

夏休み初日の13日の出来事であるが、最近は朝の目覚めが早く、朝6時頃になると、起きてしまう。
(もっとも、毎朝4時起きしてランニングの練習をされているりかちゃんはじめ、早起きのお母様方から見ると笑ってしまう時刻だが・・・。)

時間がある時の僕の行動は、ほぼ決まっていて、パソコンのスイッチを入れることである。
参考資料を片手に、気になるホームページの更新やお友達の様子など、数時間があっという間に過ぎ去っていく。

午後に電話があった。父からであったが、お客様が仕事の途中で車のトラブルが発生した模様である。
会社までは車で30分以上かかるのではあるが、近くには、手をうてる者がいないようで、ハイ、と言って出社した。
応急修理で比較的穏便に問題が片付くことができ、休み明けの完全修理をお約束した。
お客様の笑顔と感謝の言葉を頂いて、お手伝いができて良かったなと安堵した。

まぁ、明日以降は、どなたさまも無事であって頂きたいところではあります。

本日の感じるお話です。
       耕 さ れ た 心           庭野日敬      (1991年、平成3年)

 カルチャー教室が大はやりです。
カルチャーとは教養や文化のことで、「耕す」という言葉が語源だそうです。
心が柔らかく耕されていてこそ教養ある人と言えるのではないでしょうか。

 よく耕された土は、すべてを受け入れてはぐくみ育てるように、豊富な知識を具えるのは、それによって偏見や固定観念を離れて、ものごとをさまざまな角度から見られるようになるためなのです。

 ところが、うっかりすると逆に、たくさん詰め込んだ知識をこれみよがしに振りかざして、それで人を見下したり、人の言葉には耳も貸さないという態度をとってしまう人がいるのですね。

 「法華経」には、「(もろもろ)(あら)ゆる功徳を修し、柔和質直(にゅうわしちじき)なる者」という言葉があります。

本当によく耕された人となるためには、知識を学ぶのと一緒に、人に奉仕する実践が必要です。
それが、功徳を積むことです。

 人の幸せのために働くことなどなにひとつしようとせず、ただ自分を偉く見せるための勉強であっては、心を耕すどころか、博識で武装した独善的な人間になってしまいます。

 「学んだことの(あかし)は変わることである」という言葉があります。
    ありがとうございましたm(__)m
2002.
8.10.
土曜


8.11
日曜
土曜・日曜、快晴、さらに猛暑は続く( ̄− ̄;)

この土曜から夏期休暇の会社も多いことだろう。
故郷をもたない私は、静かに東京で休むのみである。

すでに、夏季休暇も夏の風物詩といったところであるが、毎年
決まったように、事故などで亡くなる方も少なくない。
無理・無謀な判断や行動は避けて、無事な休暇をすごされて
欲しいとつくづく思う。

心身を休めて、読書や思索にふけるもよし、有難い夏休みである。

今日の感じるお話は、自らを省みたいところ。

       好 き と 嫌 い           庭野日敬      (1987年、昭和62年)

 固定観念を持って決め付けた見方をしてしまうのが、ものごとを見誤るいちばんの原因でしょう。

表面的な言動だけを見て、好きだ嫌いだと選り好みしたり、これはだめな人だなどと決め付けてしまうと、大きな誤りをおかしてしまいます。

 自分にふりかかってくる問題は、すべて自分の心から出ているのだということを、いつも忘れないことです。

嫌なことも、嫌な相手も、自分の色でそう思い込んでいるだけなのです。

 苦しむのは人のせい、まわりのせいだと思っていたのが、すべて自分の一念から発し自分に返ってきているのだと分かると、ものごとを好き嫌いで割り切ったり、敵だ味方だと分けて見ることができなくなるのです。

 どんな人も、どんなことも、自分の接し方ひとつで、よくも悪くもなるのです。

その見方ができなくては、人を救うことなどできるものではありません。

自分が変われば相手も変わってくれるのだと信じきって、まず自分が変わる修行に徹するのが、宗教者の明るい家庭づくり、明るい社会づくり、平和づくりの修行です。

その輪のなかに、一人そしてまた一人と加わってもらうのでなくては、本当の平和な社会はつくれません。
    ありがとうございましたm(__)m
2002.
8.9.
金曜
金曜、快晴、猛暑は続く( ̄− ̄;)

「わがまま日記」と銘打って、書き始めたが、自分の日々の出来事もお恥ずかしいことばかりで、告白するのもはばかることばかり、ということが解ってきた(>_<)

日常業務も、お客様との日々の対応とか、やや複雑・面倒な要望などに対する段取りにしても、基本的には何をご希望なのかをしっかりつかんで、後々の誤解や不理解のないようにゆっくり丁寧にご説明するなど、瞬間瞬間で自分自身の考え方が試されているように思えてならない。

そんな意味でも、生きていく上で、何が大切な事なのか教えて頂けるとしたら、こんなに有難い事はないのである。

本日は、一隅を照らす、これすなわち国宝なり 最澄についてのお話である。
       国の本当の宝                庭野日敬      (1987年、昭和62年)

 日本の仏教の母山とも言える比叡山が、今年、開創千二百年を迎えて、世界の宗教指導者が集う比叡山宗教サミットが開かれました。
 比叡山の開祖、伝教大師は 「径寸(けいすん)十枚()れ国宝に非ず、一隅を照らす()(すなわ)ち国宝なり」と教えられました。
 直径一寸もある宝珠十個が国の宝なのではなく、本当の宝とは、「喜びを人さまに、苦しみは自分が引き受ける」という菩薩(ぼさつ)の心を起こした人、その場になくてはならない人であり、それが国の宝だと言うのです。

 昨年は、ローマ教皇の呼びかけで、アッシジに全世界の宗教指導者百人が集まって平和の祈りが捧げられましたが、このアッシジの町に住んでいた聖フランシスコは
「主よ、私を平和の道具にしてください。憎しみのあるところに愛を、分裂のあるところに一致を、疑いのあるところに信頼をもたらす人、愛されるよりも愛することに喜びを見出す人にしてください」
と祈りつづけた人でした。

 何をもって自分は一隅を照らしていくのか、年頭にこころを定めてまいりましょう。
    ありがとうございましたm(__)m
2002.
8.8.
木曜
木曜、快晴、今日も猛暑(~_~;)

日々、暑さに負けずに、精一杯がんばって行きたいですね。

本日も、感じるお話を読むことができました。
       魅力をつくりだす                     庭野日敬

 「私なんかなんの魅力もないんだから、好きになってくれる人などいるはずがないんだ」と、自信をなくしている人がいるのではないでしょうか。

 しかし、魅力とはなんなのか、よく考えてほしいのですね。
 私は、それは徳分(とくぶん)のことだと思うのです。

 明るく、思いやりがあって、周囲の人を幸せにしてあげられる力、それが徳分です。

それをたくさん蓄えると福の神を引き寄せるのです。
逆に、自分勝手で陰気な人は徳分がどんどん減っていってしまい、そこに貧乏神が入り込んできます。

 ふつう魅力と考えられている容姿や学歴や才知よりも、人としていちばん大事なものが、この徳分です。
それは、人のためになることを心がけ、それをコツコツ積み上げていけば、だれにも備わります。
それが備わると、無理に求めなくても向こうから良いことがやってきます。
その魅力を分かってくれる人が必ず現れるのです。

 ただ、ちやほやされるような表面的な魅力よりも、人間としての本当の幸せをつかむ魅力を具えようではありませんか。その人間的魅力は、かりに困難にぶつかっても、それを自然によいほうに変えてしまう力になるのです。
  ありがとうございましたm(__)m
2002.
8.7.
水曜
水曜、快晴、猛暑続く( ̄− ̄;)

うーむ・・・、ハリ・ポタを再読しています(^_^;)

多少は分かっていたつもりであるが、今更ながら、英語
わかりずらい(>_<)

物語も細かいところの記憶が薄れている(^_^;)のでややこしい。
習うより慣れろ か・・・。

第四巻も早く読みたいネ(^o^)丿
2002.
8.6.
火曜
火曜、快晴、この夏一番の酷暑(>_<)

僕がホームページを書きたいなと思い始めたのはいつごろからだったか( ̄. ̄;)
2000.4.1が会社ページをオープンした日だが、半年かけて作成して、その一年ほど前からいろいろと遊びながら、試行錯誤を繰り返していた記憶がある。そうなると4年ほどになる計算だが、もう少し内容的にも成長しても良かったような気もする(^_^;)
もっとも、それどころではないという日常ではあるが、みなさんも多忙な中で、素晴らしいサイトを作られている方も多く、我が才能の乏しさと努力不足がチョッピリ寂しい現状ではある( ̄- ̄;)

しかし、また一方で、多くの素敵なお友達に出会えたことから考えれば、そう気にすることでもなさそうである。
ホームページを通じて長いお付き合いを頂きながら、愉しい会話をさせて頂けるだけでも大変有難い。

この夏、たまっているパソコン本も多いが、気になる「ハリーポッター」の原書も一通り揃えてしまったので(>_<)、松岡佑子さんの名訳を見ながら英語を愉しんでみたいと思っている。

本日の感じるお話・・
           求める心                庭野日敬

 私は子どものころから、人さまが難儀をしているのを黙って見ていられない性分でした。
 祖父や父の生き方を見ていて、自然にそれが身についてしまったのだと思うのですが、それで、青年時代になると、見るもの聞くこと、「あれもこれも人助けに役立ちそうだ」と、自分のものにしたくなるのです。
 そうして、ついに法華経に出会えたのでした。

 経典に、「見聞触知(けんもんそくち)(みな)菩提(ぼだい)に近づく」という言葉があります。

ただ漠然と見聞きしているというのではなく、目的をしっかりと定めて毎日を生きる。
真剣に求める。すると、その答えが読む本の中に、会う人の言葉に、また出会う一つ一つのことに、次々と見つかるのです。

 それはたとえば、磁石が砂の中から砂鉄をそっくり吸い付けてしまうのににているのではないでしょうか。
反対に、求める事の無い人は、宝の山の中に埋まっていても、何一つ身につかないのです。
   ありがとうございましたm(__)m





(^^ゞ
2002.
8.4.
日曜

http://www.ntv.co.jp/ghibli/←スタジオジブリ、ホーム
http://www.nekonoongaeshi.com/←猫の恩返し、ホーム←日曜日、なおちゃんと行きました(^^ゞまぁまぁでした。
映画 千と千尋の神隠し プレスサイト
STAR WARS_____エピソード2 クローンの攻撃
Star Wars : Welcome to the Official Site
「ハリー・ポッター公式ウェブサイト」
[幼児教育] CloseUP!記事 > ハリー・ポッターの魅力を探る!(1/2)
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http://www.nifty.ne.jp/forum/fcinema/←@nifty CINEMA TOPICS ONLINE
http://www.cinemacafe.net/←CHINEMACAFE.NET(シネマカフェ)
http://www.so-net.ne.jp/cinet/←Cinet(チネット)
http://www.eiga.com/←eiga.com(エイガ・ドット・コム)
http://movie.lycos.co.jp/←Lycosムービー
http://www.minitheater.com/←minitheater.com
http://www.walkerplus.com/zenkoku/movie/←Moive.Walkerplus.com
http://www.so-net.ne.jp/movie-eye/←movie-eye.com
http://www.sankei.co.jp/mov/←Sankei Cinema Clip
http://www.eiga-portal.com/←映画ポータル
http://www.excite.co.jp/cinema/←エキサイト:シネマ
http://cinesc.cplaza.ne.jp/←シネマスクランブル
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ちょっと調べたいので(^^ゞ
2002.
8.3.
土曜
土曜、快晴、酷暑、勿論出社(^o^)丿

明日はお休み、ちょっとのんびりできそうである(^_^;)
「ハリー・ポッター」の魅力に惹かれている最近であるが、今秋映画公開の「ハリー・ポッターと秘密の部屋」の前売券を家内が購入した模様である(^^)V

僕が何故この物語を気に入っているのか、本質的に、御伽噺が好きなのか、精神年齢が12歳前後なのか定かではないが、子ども達が可愛い事、そしてその子ども達に常に暖かな眼差しで"試練"をも描かれていることなどは、いつも感じられて気持ちが休まるのは確かである。
勿論、"魔法学校"も"魔法を許容する架空社会"も創造的・想像的で、大変興味深い。
小説も・映画も、その行方に当分目が放せないのは、僕だけでもないのではなかろうか。

本日の感じるお話
   数々の大果報                庭野日敬

 九つ満ち足りて、一つ不足なだけでも、その不足不満ばかりを言い立てる。自分を省みてつくづくそう思う、と三浦綾子さんが書いておられました。
 今年も一年が終わろうとしています。
この一年を振り返って、「今年もいいことはなかった」と嘆くのでなく、どれだけのものを与えてもらってきたか、数え上げてみようではありませんか。
 健康で、大過なく過せたことだけでも、よくよく考えると大果報なのです。

 夫婦の間で、親子の間で、上司と部下の間で、不足ではなく、与えられた幸せのほうを数え上げてみたいものです。

 小欲知足(しょうよくちそく)というと、現状に甘んじる消極的な生き方のように考えがちですが、授かったものを感謝で受け取るのが小欲知足(しょうよくちそく)です。

その感謝の心への切換えは、与える喜びを知ることにあります。
与えられることばかり求めていると、どんなに恵まれても不足を感じるのですが、人さまに与えられる人になると、わずかしか持っていなくても満足していられるのです。

 「諸法は心よりなる。
  (きよ)らかな心をもって語り、行うならば、楽しさの従いくること
  影が形に従いて離れざるが如し」

と、『発句経(ほっくぎょう)』は教えています。
ありがとうございましたm(__)m
2002.
8.2.
金曜
金曜、快晴その後雷雨・豪雨・雷また雷夕方止む、湿度高い(>_<)

疲労困憊(・・それほどでもないが(^_^;)・・)なので、お休み(^o^)丿
2002.
8.1.
木曜
木曜、快晴、今日も大変暑かった(^_^;)

8月になったというのに(・・殆ど理由になってないが・・)日々、書くほどの、さしたるネタがないというのは、ある意味でしあわせというべきなのだろうか( ̄. ̄;)

今日も、感じるお話を読めましたので、ご紹介。(^^ゞ
   相手の美点を見る眼(まなこ)                庭野日敬

 だれしも、自分がほめられることほどうれしいことはないのに、人をほめるのは、あまり好きではないようなのですね。
 「どうしたら開祖のように人の欠点を見ず、よいところだけを見られるようになるのですか」と、よく尋ねられるのですが、人の欠点ばかりが見えてしまうというのは、相手と張り合う気持ちが強すぎるからではないかと思うのです。
 弱みを見せまい、負けてなるものかと、自分を守ることで精一杯なのではないでしょうか。

 私は、そういう無理ながんばり方をしないのです。
自分よりすぐれた人には、すぐにシャッポを脱いで教えを請う。
みんなが、仏さまの子ども同士なのですから、張り合ってみてもなんの意味もないのですね。
そういう考え方で、自分をがんじがらめにしている自己防衛の心から解き放たれると、おのずと心のゆとりが生まれ、相手の美点が見えるようになってくるのです。
 それが慈悲の眼です。

 たとえば、お姑さんとお嫁さんが、この心のゆとりを持つことができたら、毎日がガラリと変わってしまいます。人を心からほめられるようになる秘訣は、そこにあると思うのです。
      
ありがとうございましたm(__)m
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