わがまま日記

( ̄。 ̄;)2003.4
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つまずいたり ころんだり するほうが 自然なんだな 人間だもの(相田みつを)
2003. 4.29
火曜
こんにちわ

今日は「みどりの日」なんですね。

この祭日のネーミングの方がいいですね。

あたたかい黄色の菜の花です。
(move?さんより)

昨晩、鈴木秀子先生(聖心会シスター)のお話に出会うことが出来ました。
(著作一覧)

お話のお題は
苦が生きる意味を見いだしてくれる」というものでした。

先生は前段で「幸せを味わう秘けつ」をお述べになり、後段で「苦を糧に生きる」ことの意味と実践を述べられました。
先生はおっしゃっています。
『幸せとは「人生の辻つじで遭遇(そうぐう)する辛さや悲しみを深く味わい、それを(かて)として成長していくことではないかと受けとめています」』と。

幸せを味わう秘けつ
『人は苦の渦中にあるときこそ、様々な妄想に打ち勝つためにも、他者の悲しみや苦しみに目を向けてみることが大切』と言われました。そして、『自分以上に苦しんでいる人を知り、「相手の悩み悲しみに共感し、その人の幸せを祈ることができるのです。」』と、そしてそれは、『本来人間の心の奥底にある「他の人に役立つ存在でありたい」という欲求にかなうことであり、「その欲求が満たされた時、人は心から癒やされ、成長していけるのです。」』と述べられています。

もう一つは、『悩みが生じた時、「自分はいま、この苦しみに耐えて成長する時期にあるのだ」と受けとめることです。神は、その人の力量に合わせて、背負えるだけの試練しか与えないと言います。』・・耐え抜く力があるからなのです、と。しかし、もがき、苦しむさなかで、なかなか難しさが感じられる時は、自分の思いを紙に書いて整理をする事をすすめられています。そこでの大切な事は、『洗いざらい心をさらけ出すことです』『でも、決して自分を責めてはいけません。長所も短所も併せ持っているのが人間ですから、自分の弱さやいたらなさを素直に認めて、丸ごと受け入れていけばいいのです。苦しみのさなかにあって、自分にやさしいまなざしを向けられた時、あなたはきっと、周囲の人たちにもあたたかな態度で接することの出来る人間になっているはずです。』

さらに先生はおっしゃっています。『しかしそれでも、自分が許せなかったり、辛さや悲しみに押しつぶされそうになったら、どんな小さなことでもいいから、いままで、当たり前だと思っていた事に、感謝してみてください。歩くことができる、食事をいただける、心配してくれる人がいる・・・・・・。そうやって、「有り難い」と思えることをあげていくと、いま、この瞬間に、生かされている自分がどんなに尊い存在であるか、必ず味わう事ができると思います。
小さな喜びを発見していき、感謝の心を育てていく事が、苦から解き放たれる最大の秘けつなのです。』

苦を糧に生きる
後段は、何度読ませて頂いても、涙になって要約ができませんので引用させて頂きますm(__)m
『私はこれまで、苦しみを抱えた多くの人とふれあってきました。そのたびに、苦しみはその人の人生にとって必ず意味があり、幸せをもたらすものだと学んできました。
なかでも、(とも)ちゃんというダウン症の娘さんと、そのご家族との出会いは忘れられません。
 智ちゃんが障害を持って誕生した時、ご両親は、その現実を受け入れられなかったと言います。障害を持っていることは、一見すると、他の人の配慮を受けるだけの存在に見えがちです。実際に智ちゃんは、健常者が当たり前にできることをほとんどできず、いつも、他の人に「ゆだねる」生き方をしてきました。
しかし、ご両親はあるとき気づかれたのです。
人を疑ったり、だましたり、野心を持ったりという感情を一切持たず、いつも無垢(むく)で、ありのままの自分を素直に表現している智ちゃんの姿に。そして、娘の姿をとおして、生きる事の意味や、命の尊さを学ばれていったのです。

 悲しいことに、その後智ちゃんのお母さんはガンに冒されてしまいます。「智子には私が必要なんだ。いまは死ねない」そう思っても、ガンは確実に自分のいのちをむしばんでいきます。そのぎりぎりの葛藤の中で、ふと、お母さんのまぶたに、「おおいなるはからい」にすべてをゆだねて生きている智ちゃんの姿が浮かんだのでした。そして、自分もすべてをゆだねようと決断されたのです。
 その後、お母さんは安らかな心で旅立っていかれました。その悲しみの中で、今度はご主人が、障害者を持つ家族同士のふれあいの場を作ろうと動き始めたのです。

 人はだれでも、苦を乗り越える力を持っています。たとえ、全世界から見捨てられたような気持ちになり、無力であることを徹底的に味わったとしても、その無力の極みから、必ず生きる意味を見いだすことができるのです。
 智ちゃんのご家族のことを思い浮かべるたびに、私はいつもそのことを教えられるのです。』
(「佼成H15.5月号」) 鈴木秀子先生(聖心会シスター) (著作一覧)
ありがとうございましたm(__)m

本日の感じるお話です。
      出会いが善縁にも悪縁にも        庭野日敬  (1973年、昭和48年)

 仏教の教えのかなめは縁起(えんぎ)です。縁起とは他との関係が(えん)になって、すべてのものごとが生起(しょうき)することです。一切のものは縁によってたもたれ、縁によって変化し、そして縁が切れると消滅していくのです。

 善因善果(ぜんいんぜんか)悪因悪果(あくいんあっか)というように、人の行為には必ずその(むく)いがあるのですが、いまの若い人たちに因縁というと、いかにも古めかしいものに感じるかもしれません。それで私は、因縁を「出会い」と言い換えて説明させてもらうのです。

 仏教は出会いを大切にする教えといってもいいと思うのです。

 私たちは毎日、じつにさまざまな出会いをしています。いろいろな人と出会い、いろいろな出来事と出会い、いろいろなニュースや情報に出会う。それにどう対処するかで、自分の人生が変わっていくのです。

 出会いを、憎しみ、争いの出会いにしていく人もいます。逆に、どんな嫌なことも()い縁に変えてしまう人もいます。すべての出会いが、こちらの対し方で善縁にも悪縁にも変わるのです。

 どうすれば出会いを善い縁に変えていけるか。それを教えるのが仏教だといってもいいのです。
ありがとうございましたm(__)m
2003. 4.27
日曜
こんばんわ

えと、マイクロソフトの壁紙ではありません(^_^;)⇒
(move?さんより)

高原のショットのひとつだそうです。

爽やかですね(^o^)丿

今日はハリ・ポタDVDの本編ともう一枚を観て見ました。

未公開シーンもずいぶんと撮影して、小説に添ったシーンでした。

J.K.ローリングや脚本・監督そして俳優達の素顔のコメントもあって、面白いです。

ドラコ役のトム・フェルトン君やその父親役ルシウス・マルフォイのジェイソン・アイザックスさんもニコニコと撮影状況をお話して、いつもの憎まれ役とは大違い(当たり前ですが)で楽しめます。

主役の子供達やネビル・ロングボトムやシューマス・フィネガン役の子なども元気に撮影時の楽しいお話をしてくれます(^○^)

本編のDVDを見るのも今日で3回目ですが、楽しめました(^o^)丿
家内や子供達にバカにされるのは宿命ですので、気にしておりません(^_^;)
賢者の石も30回以上見続けて最後は何も言われなくなりました(>_<)

ところで、今回の「秘密の部屋」でもアラゴグやバジリスク、そしてフェニックスなどいろんな魔法界の動物が登場して楽しませてくれますね。

さて、前回の映画の「ハリー・ポッターと賢者の石」でもいろんな動物が驚かしてくれました。
それでは、お楽しみついでに、ハリ・ポタ・クイズに挑戦してみませんか(^o^)丿

====「賢者の石」編====
■Q1-卵から孵った"ノーバート"という名前をハグリッドに付けられた動物を覚えていますか?
-----さて、その魔法界の動物とは何でしょうか(^o^)丿
■Q2-それから、なんか頭が3つの大きい動物がいましたね、さて、その動物とはなんでしたか?
-----そして名前も覚えてますか?
■Q3-Q2の動物について---もう「賢者の石」もダンブルドアが壊してしまいましたので、○○○○○○も仕掛け扉を守る役目を終えたわけです。あれだけ大きいといつまでもホグワーツの四階に飼っておく事も学校ですのでできませんね。さてさて、○○○○○○は、いま、どこでどうしているのでしょうか????
-----これは、さすがに難しいでしょ(^^ゞ
-----ヒントですが、ハリーが入学した時のダンブルドア校長の注意(映画)の中で「行ってはいけないよ」といわれたところがありましたね(^_^;)
-----まぁ、ホグワーツ校の周辺で放し飼いが出来るところといえば・・・

ほかにも知りたいことがいっぱいの「ハリー・ポッター」なんですね(^^ゞ

本日の感じるお話です。
     平和をつくる者     庭野日敬  (1997年、平成9年)

 『聖書』に「平和を実現する人々は(さいわ)いである」という言葉があります。

 平和をつくりだす人とは、どういう人なのでしょうか。ちょっと考えると、争いの心などまるで持たない人でこそ平和を実現でき、そういう人でないと平和はつくれないように考えがちです。
しかし、そういう人は滅多(めった)にいません。

 私たちは互いに、つい言い争ったり、相手を疑ったりしがちで、しかし、だからこそ平和をつくるのにはどれだけの努力が必要か痛感させられて、そのために話し合い、行動するなかで平和のあり方を身につけていくのだと思うのです。そうした平和のための努力を忘れない人、そういう人が平和をつくる人、神の子と呼ばれる人だといっていいでしょう。

 僧伽(サンガ)の修行も同じで、宗教者の集まりというと悟りすました人ばかりでなくてはならないように考えて、わずかな過ちも許さないといった人がいますが、初めからそういう人ばかりというわけにはいきません。うっかりするとつい我欲や怠け心に引きづられる人間が、仏の境地をめざして一つ一つ自分を高めていく場が僧伽(サンガ)です。

 互いに温かく見守り合い、待ってあげる寛容さを持たなくては本物の僧伽(サンガ)になりません。
ありがとうございましたm(__)m
ハリ・ポタ・クイズ====「賢者の石」編====
回答ですよ(^o^)丿
■Q1-・・・・・!!A-そうです、ノルウェー・リッジバック種のドラゴンです。
・・・・・・・・・・・・ダンブルドア校長に見つかって、ルーマニアに戻されたんですね(^o^)丿
■Q2-・・・・・!!A-そうです、"フラッフィー"という名前のでした。
■Q3-・・・・・!!A-「禁じられた森」ですね(^o^)丿今は森の中でウロついているようですよ(JKRより)。
2003. 4.26
土曜
こんばんわ

今週も無事、終了させて頂きました。

明日は担当ではございませんので、休憩です。

今日は、大変素敵なあるサイトに出会えましたので、皆様にご紹介させて頂きます。

『move? [デジタルフォトギャラリー]さん』です。

最初のお話から、作品の数々、そしてプロフィールと見させて頂きましたが、プロの方ではないんですかね、お写真の素晴らしいこと!!!

(ご使用のキャメラは「Canon EOS-1Ds,EOS-1Dなど・・・」とのこと(^_^;))

さらに、「使用権フリー」なのだそうでございます。
(作品利用の禁止事項もお読み下さい(^^ゞ)

うーん、チューリップなどもあまりうまく撮影できないのですが・・・僕は(^_^;)・・・お上手です。

「みどり」のお写真も瑞々しくて、清々として良いですね(^o^)丿

僕自身の目の保養をさせて頂いて、デジカメ撮影のお勉強にさせて頂きたいと思います(^_^;)

そして、さっそく使わせて頂きました(^○^)

この「藤の花」も素敵ですね。

やはり、1110万画素の威力でありましょうか・・。

さてさて、今晩もいちおう、ハリー・ロン・ハーマイオニーに逢いにいきまして(>_<)、活躍の数々を確認いたしましょうかね(^o^)丿

「ハリー・ポッター」シリーズの小説は皆様もすでに読んでらっしゃる方も多いかと思いますが、今回の映画「秘密の部屋」ではゴーストの絶命日パーティーが抜けていたぐらいで、まぁおおむね小説に添って描かれておりましたね。

映画は時間が限られているという事もありますし、考え様によっては、小説との違いも独自の筋立てみたいで楽しめるのではないでしょうか(^O^)

明日は読みたい本や更新作業もたくさんありそうですので、じっくりやりたいですね。


本日の感じるお話です。
     君子は己に求む         庭野日敬  (1965年、昭和40年)

 『論語』に、「君子(くんし)()れを(おのれ)に求む。小人(しょうじん)()れを人に求む」という言葉があります。

 何か失敗をしたとき、「彼が力を貸してくれなかったからだ」「彼がしくじったからだ」と責任を他に転嫁(てんか)して、自己の反省を忘れがちなのが私たちの常です。

 しかし、「なさざるは受くることなし」というように、自分にふりかかってくることで、自分にはまったく責任がない、ということはありえないのです。

 事の原因を自分の内に探ってこそ、同じ失敗を繰り返さずにすむのです。
ありがとうございましたm(__)m
2003. 4.25
金曜
こんばんわ

僕の会社は川崎にありますので、毎朝、自宅から国道1号線を使って、東京から多摩川大橋を渡って会社へ行きます。

それで、その多摩川大橋を渡る時に晴れた日などは、実に美しい富士山が見えるのです。

今は高層建築も増えてますが、強風が吹き荒れた翌朝などはなかなかくっきりと中腹まで見えるのではないかと思うほどです。

大昔の、建物など何もなかった時代には、遠いとはいえ、さぞかし美しい富士山を眺められたのであろうと、想像してしまいます。

また、大橋を渡るとすぐの右手に公園があります。そして公園内の国道沿いに、これまた高さで20mはあろうかという立派な樹が10数本ほど並んで、(そび)え立っています。

冬の間は、みんな葉っぱはありませんで(落葉樹で当然なんですが)寒そうな幹や枝が丸裸で聳えてますが、こうして春が深まって来ると可愛い黄緑の葉っぱが着き始めます。

さほど、じっくり見ているわけではないのですが、今朝などは、新緑の若葉がびっしりと樹木の幹や枝に堂々と咲き誇って(葉っぱが?)おりました。これも実に見事なんですよ。

今日のお写真(精霊達の森様より)を観ていて、通勤中の車から毎朝眺めている新緑の美しさをお伝えしたくなりました。

季節はすぐに変わっていきますので、ついつい写真も撮らずに毎朝感心しながら通過してしまいます。

そうそう、直接こうして眺める樹木の感動をいざ写真に撮ろうとしますと、意外に、新緑のまぶしさと言いましょうか、生命の躍動感といった被写体の美しさがうまく表現できないんですよね(^_^;)むずかしいものですね。

本日の感じるお話です。
     一期一会(いちごいちえ)         庭野日敬  (1993年、平成5年)

 この世のことは、あっというまに移り変わっていくものだと頭ではわかっていても、それが身にしみて分かるのは、ある年齢になってからなのかもしれません。

 それまではつい、またいつでも習える、いつでも見られる、いつでも会えると、一日一日の大切さ、一つ一つの出会いのかけがえのなさに気づかずに過ごしてしまうことが多いのではないでしょうか。

 ある人が道元禅師に、「学道を心がけて何年にもなりますが、一向に悟るところがありません。なぜなのでしょうか」と尋ねたのに対して、道元禅師は、こう答えられています。

 「それは、本気か本気でないかの問題だ。本気になれないのは、この世の無常をわが身に実感していないからだ」と。

 家族の一人ひとり、毎日起こる出来事の一つ一つ、教会道場でのさまざまな人との出会いを、もういちど、見直してみたいものです。

同じ毎日、同じ人たちが、まるで違った感動をもって見られるようになってくると思うのです。
ありがとうございましたm(__)m
2003. 4.24
木曜
こんばんわ

えと、帰宅しますと「ハリー・ポッターと秘密の部屋」のDVDが到着しておりました(^_^;)
(Amazon.にたのんであったんですよ(^o^)丿2503円でした)
食事を終えて、用事を済ませて、さっそくDVDを観てみました。
ひさしぶりで、楽しいですね(^○^)
あっという間に160分が過ぎてしまいました(^^ゞ
うーむ、12歳のハリー君は大活躍ですね。
巨大で殺人光線付きの大蛇をよくぞ退治してくれました(^_^;)
憎まれ役のマルフォイ親子ですが、改めて見るともうちょっとかっこ良い場面もあげたかったかな(^^ゞ
劇場でも二回続けて観ましたが、楽しめました(^○^)
DVD二枚組なので、もう一枚は何が入ってるのでしょうかね。
ほぼまるっきり、小学生の精神状態になっている、やま兄でした(>_<)

でわでわ、おやすみなさい(^o^)丿
2003. 4.23
水曜
こんばんわ

精霊達の森さんの、本年の花見山のお写真です。

福島県花見山というところは素晴らしいお花の山なんですね。

花見山ページ/精霊達の森

フォトギャラリー

なるほど、公園として作られているわけですね・・・・。
いつか、行ってみたいものであります。

ところで、先日の日曜日の朝のNHKで「課外授業・ようこそ先輩」という番組がありました。

なかなか良いんですよね(^^ゞそれで4月20日はなかにし礼さんでした。
僕は不勉強で、なかにし礼さんが、「兄弟」という小説で作家デビューを果たし、「長崎ぶらぶら節」で直木賞を受賞したというのもごく最近知ったものです(^_^;)

http://www.nhk.or.jp/kagaijugyou/list/list1.html  「書いて見つめる本当の自分」
こちら↑がその時のページですが、子供達との心を見つめる授業を感動しながら見させて頂きました。
各著作も、ドラマ化や映画化もされたと家内が言っておりましたね(^_^;)

さてさて、さきほど家内が図書館から「兄弟」という本を借りてきてくれました。
なかにし先生には、大変なお兄さんがいらしたそうです。そしてそのお兄さんが亡くなられたのを契機に「兄弟」という小説を書かれたようであります。その本を書く中で、なかにしさんは自らのこころを見つめつづけていったそうであります。
そして原稿用紙600枚ほどの小説を書き終えて、兄に対して抱いていた強い憎しみの心が消えました、と言われました。

授業中に小学生のみなさんが体験された、ごまかさないで正直な自分の心をみつめること、を小説「兄弟」から僕も学んでみたくなりました。

また、読後にご報告させて頂きますね(^o^)丿

本日の感じるお話です。
    終わりに残るもの    庭野日敬  (1993年、平成5年)

 内科学の権威である日野原重明(しげあき)先生によると、六十歳で亡くなられた人の脳を開いてみると、ふつうの人なら四分の一、よほど使った人でも、まだ半分しか使っていないということです。半分以上は白紙のままなわけです。

 それをそのまま残したのでは、まことにもったいない。六十を過ぎると「あとは余生」と考える人が多いけれども、とんでもない。まったく新しいことに挑戦する出発の時だという心構えが大事だ、と日野原先生は言われるのです。

 私が、世界宗教者平和会議の実現に取り組み、明るい社会づくり運動を提唱したのは、六十歳を過ぎてからでした。

 ジェラール・シャンドリーという人が、「人の一生の終わりに残るものは、われわれが集めたものではなく、与えたものである。」という言葉を(のこ)されているそうです。

 その人の人生の究極の価値は、がむしゃらになって手に入れた地位でもなければ、財産でもなく、どれだけ人さまに奉仕し、人さまに与え、(のこ)すことができたかで決まるのだ、と言われているのではないでしょうか。
ありがとうございましたm(__)m
2003. 4.20
日曜
おはようございます

福島県奥只見の森のお花ですね。
(精霊達の森様より)

ちょっと季節は早そうですが、綺麗なアジサイでしたので・・・・・。

今日はあいにくの雨模様ですが、だいぶ髪がのび放題でしたので、午前中に床屋さんへ行ってきました。

駅前の床屋さんはなかなかお安くて人気があります。

お店への道すがら、おそらく男性でしょうが背中から腰ほどに髪を伸ばしている人が歩いておりました。

柄シャツもズボンから出して少々むさくるしい若者風でしたので、さっぱりと散髪すれば良いのに、と思いましたが、本人としてはこれで良いと思っているのでしょう。

床屋さんへ入りますと、7・8人のお客さんが順番を待ちながら長椅子で待機しています。

仕方がないと、僕も隣に座りました。 お店は回転が速いためか、すぐに次の方が呼ばれます。

次の順番の方をチラッと見まして、その方の頭を見ますと髪の毛がありません。

あれ、なんでこの人は床屋さんに来たのだろうと不思議に思いましたが、床屋の椅子に座って、頭の後ろが見えましたが、ほんのうっすらと髪が伸びていることが分りました。

さっきの人は腰まで伸びてるのに散髪もしないが、この人はツルツルでないと気がすまないわけですね。

髪の毛の状態はそれなりに見えますのでなんとかその人その人の違いを理解することができますが、人の心は見えないだけにやっかいです。

もしかしたら、先程の目の前の髪の毛の違いと同じようにに人の心もそれぞれ異なっているのかもしれないと、床屋さんの帰り道で思いました。

これからも、お客さんのお話を、よくよくうかがってしっかり受止めていかなくてはと改めて感じました。

午後は久しぶりに、ハリー・ポッターのページを更新するのです(^_^;)

本日の感じるお話です。
        法  話        庭野日敬

 あの人より私のほうが財産があるから幸せだとか、この人より私のほうがきれいだから幸福だといったような幸福感は、あっというまに消えてしまうものです。

 ほんとうの幸せは、そういう「だれだれさんよりも・・・・・」と比較をする虚栄心(きょえいしん)嫉妬心(しっとしん)を捨てたところにこそ得られるものなのです。
ありがとうございましたm(__)m
2003. 4.18
金曜
こんばんわ

いつも小さく見ているお写真なので、サイズを広げてじっくり見させて頂きます(^^ゞ

本物のお花も、是非、眺めたいものであります。

本日の先生のご法話も実に、身につまされるお話で御座います(-_-;)

困ったものであります(>_<)

かなりがんこな裁判官になっているようであります(>_<)・・・・反省します・・・・

ただおかげさまですが、帰宅してからは大変心休まる家庭環境ですので大変感謝しております(^_^;)

ところで、今日・明日ともに夏日になるそうであります。暑いですね(^_^;)

ずっと長袖シャツでしたが半袖に衣替えです。

全然話題は異なりますが、先日NHKの"プロジェクトX"をなつかしく見ました。以前に少々コンピュータのお勉強(ごくごく一般的な基礎の読書です(^^ゞ)の時に教えてもらった、坂村健さんのトロンOSについて、でした。

坂村先生の日本独自のオペレーティング・システム(さらに軽く、汎用性の高い)が一時期の米国の理不尽な圧力(スーパー301条への適応か、というもの)によって、国内の研究と開発が一頓挫してしまいました。

しかしその後、坂村先生を中心として各企業の研究者による以前のトロンプロジェクトによって脈々とトロンOSの実用化の研究が多くの企業に広がり、今では携帯電話や自動車にもトロンOSが使われているというものでありました。

そういった、現在のトロンのいわば活躍に感心するとともに、坂村さんやリィナス・トルヴァドゥスさんのこころざしの崇高さが改めて感じられた番組でした。

坂村先生はいわば人類共通の財産としてのOSの位置付けにより、世界の開発者・企業にむけて開発コードを無償で公開しました。またリィナス・トルヴァドゥスさんはリナックスOSの生みの親ですが(番組とは異なります)坂村先生と同様に、オープンソース(開発コードの公開)のリナックスとしてあまりにも有名ですね。
いわゆる企業家として、また世界一の資産家としてのビル・ゲイツとは、ひとあじもふたあじも異なる生き方に爽快感を覚えました。
東京大学坂村研究室  トロンプロジェクトオフィシャルホームページhttp://www.tron.org/
Linus Torvaldsが語るLinuxhttp://www.shoeisha.com/book/hp/pc/book/hsl/linus.html

本日の感じるお話です。
   下がると拝める   庭野日敬  (1997年、平成9年)

 相手のことがどうにも我慢がならんということが、だれにもあるものです。

 その相手が毎日顔をあわせなければばならない上司や同僚、また、お姑さんやご主人ということになると、大変です。ところが、そういうことがしばしばあるのです。

 けれども、よくよく考えてみると、それは身近な大事な人だからこそ、「こうあってほしい」という願いが互いに強すぎて、ふつうなら気にならないようなことが、たまらなくなってくるわけで、つまり好きと嫌いが紙一重なのです。

 相手の欠点ばかりが目についてどうしようもないというときは、知らぬまに自分のほうはまったく過ちのない人間になってしまっていて、一方的に相手を裁く裁判官になっているのです。

 じつは、それによって自分ががんじがらめになっているのです。

 人のことを責めて楽しいという人はいません。そうした自縄自縛(じじょうじばく)から解き放たれるのには、自分もまた、さまざまな欠点を持った人間であることに気づくことが必要なのです。

 そうして、自分が見えてくると、自然に人の長所が見えてくるようになります。

 自分が下がってこそ人を拝めるのです。
ありがとうございましたm(__)m
2003. 4.16
水曜
こんばんわ


八甲田へ向かう雪の山道にどなたかが歩いた足跡のお写真ですね。
(そのまんま(>_<))


昨日のお花とはまた、一味違った素敵なお写真です。
(精霊達の森様より)


この僕の日記もヘンテコですが、(あんまり日々の自分のことが書いてないかな?という意味で(^_^;))まぁ、それも"わがまま(日記)"の一つとしてお許しくださいませm(__)m


素晴らしいお写真を見させて頂くこと、素晴らしい先生のお話に出会える事がなんと有難い事か。

本日のお話も誠に素晴らしいお話であります。

才能の有無にかかわらず、日々の心のありかた、姿勢として学ばせて頂きたいと思います。m(__)m


本日の感じるお話です。
   鬼を仏に変える   庭野日敬  (1998年、平成10年)

 税所敦子(さいしょあつこ)さんという明治の女流歌人がいました。

才知と詩才を兼ね備えた人で、掌侍(しょうじ)として昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)にお仕えした方ですが、夫と子どもに先立たれて、お(しゅうとめ)さんと二人きりで暮らすことになりました。

ところがそのお姑さんが鬼といわれる怖い人で、もう事あるごとに嫁いびりをするのです。

 ある日、そのお姑さんが、「あんた、歌人ならこれで歌を作ってみよ」と言って「鬼(ばば)ァと人はいうらん」という難題を敦子さんに与えました。

 敦子さんはそれに、「仏にも似たる心と知らずして」と(かみ)の句をつけたのです。

 「仏にも似たる心と知らずして鬼(ばば)ァと人はいうらん」・・・・・・・・・

敦子さんが()んだその歌を見て、お姑さんは涙が止まらなくなってしまいました。

 「すまなんだ。すまなんだ」と繰り返し、それからは、もう敦子さんなしでは夜も日も明けぬ毎日で、最期は、敦子さんの(ひざ)に頭をのせて安らかに息を引き取られたといいます。

 清水寺(きよみずでら)大西良慶(おおにしりょうけい)師からうかがった話ですが、人はこちらの見方で鬼にも仏にもなります。

 人を仏にする見方、それが仏さまの見方です。
 
ありがとうございましたm(__)m
2003. 4.14
月曜
こんばんわ


お名前はわかりませんが、美しいお花のお写真ですね(^_^;)
(精霊達の森様より)


日々、開祖先生のお話を読ませて頂きながら、感動したり、涙したり・・・。

以前より多くの御著書が傍らにありながら自らを顧みることも無く生きてきましたこと、反省しなければなりません。


先生がお(さと)しになってらっしゃる

 残された時間に何をしなければならないか、ぎりぎりまで突き詰めていくと、全力を振り絞って、今の瞬間を、今日一日を生きることがどんなに大切か、思い知らずにいられなくなります。

 お釈迦さまの教えは、生老病死(しょうろうびょうし)を宣告された人間の生き方を示されたものです。  


というお言葉を私自身の心に刻まねばなりません。

日々朝晩の御供養と共に、仕事場での自然なる心の実践をさせて頂きたいと念じております。


本日の感じるお話です。
   泥棒を導いた神父さん   庭野日敬  (1998年、平成10年)

 尻枝正行(しりえだまさゆき)神父は、バチカンの教皇さまのお近くで大事なお役をされている神父さんですが、その尻枝さんが神父になる決意をされたときの話をうかがったことがありました。

 日本が太平洋戦争に敗れた直後のことです。尻枝さんのお父さんは戦死され、家も焼かれて、一家四人、その日その日をどう生き延びるか必死の毎日でした。そんなある日、当時、中学生だった尻枝さんは、近くで建設中の教会から(くぎ)を持ち出そうと忍び込んだのだそうです。

 そこを運悪く外国人の神父さんに見つかってしまった。神父さんの大きな腕が尻枝さんの手をむんずとつかんだのですが、そのおおきな腕が、尻枝さんの背負っていたリュックを開いて、リュックいっぱいに釘を詰めてくれたのです。そして、「足りなかったら、またいらっしゃい」と神父さんは、尻枝さんを門から送り出してくださったのです。

 その晩、尻枝さんは一睡もせずに考えぬき、「あの神父さんのようになりたい」と決心されたのだというお話でした。

 人は教えをすべて知って信仰に入るのではなく、教えのとおりに行じている人の姿に導かれて信仰に入るのです。
ありがとうございましたm(__)m
2003. 4.13
日曜
こんばんわ


本日も、宜しくお願い致します(^^ゞ


お写真は、千葉県松戸市にある本土寺の桜だそうでございます。
(精霊達の森様より)


素晴らしいですね。


今日は朝から暖かな、いや、いささか暑い程の一日でした。


本日は営業担当日ということで、出社です(^^ゞそして、お客様も多数お出で頂き、有難い一日でした。

そしてまた、本日は地方選挙の日ですね。

朝日ニュース特集『2003統一地方選』http://www2.asahi.com/2003senkyo/index.html

ついでといってはなんですが、松井も気になる、今日のスポーツです(^_^;)

朝日コム 『スポーツ』http://www.asahi.com/sports/


本日の感じるお話です。
    大恩を知る    庭野日敬  (1995年、平成7年)

 この人生でなによりも大事なのは、自分自身を知ることです。

 その本当の自分に気づかせてくれるのが、宗教なのです。

 小学校から大学まで、あり余るほどの知識を詰め込んできていながら、そのいちばん肝心かなめのところを教わらず、そこを突き詰めて考えようとしない人が、多くなっているように思えます。それをつかまないと、物や金だけを頼りにしてそれに振り回される生き方に流されがちなのです。

 人は自分一人だけの力で生きているのではなく、生かされている自分であることを知ってこそ、どう生きるのが本当の生き方なのかが分かってきます。周囲の社会と切っても切れない関係でつながり、まわりによって生かされている自分の責任を、どう果たしていくか。その大もとが定まらないと社会でのさまざまな関係が整っていかないのです。

 日蓮聖人は『報恩抄(ほうおんしょう)』で、父母の恩、師の恩、国の恩に報いる大切さを教えられていますが、自分がこの世にあるその恩を知ることで、自分の生き方が定まってきます。

 現代の社会のさまざまな問題の根は、一人ひとりが尊い命をいただいているその大恩を教えなくなったところにあるように思うのです。
 
ありがとうございましたm(__)m
2003. 4.10
木曜
こんばんわ


上野恩賜公園の不忍池です。(H15.4/6)


暖かな日差しの中で、みなさん思い思いの休日を楽しんでいました。


桜も徐々に、葉桜となっています。


そして、新緑が芽吹き始めていますね。


僕などは、都会の、それも休日のひとコマしか写真を撮るチャンスがありませんが、その瞬間だけでも実に楽しいものです。


デジカメは気楽に被写体を見て迷わずシャッターをきります。

良いな、素敵だなと思ったら遠慮会釈なく撮り続けられる気軽さが素人には嬉しいのですね。

素敵な一日に感謝、でした。


本日の感じるお話です。
  縁起を見る目    庭野日敬  (1986年、昭和61年)

 ものごとのほんの表面だけを見て、自分勝手に決めつけてしまっていることが、ずいぶん多いのではないでしょうか。

 たとえば、言葉でうまく表現できない子どもであっても、どれだけのことを考え、どれだけの感情が胸の中に渦巻いているか。その人の心の奥底まで見通せるようになると、どんな(あやまち)をおかす人にも、同情せずにいられなくなります。

 『レ・ミゼラブル』という有名な小説の主人公のジャン・バルジャンは、みなさんもよくご存じでしょう。

そのジャン・バルジャンが、監獄から出てきて一夜の宿を貸してもらった司教さんの家の銀の食器を持ち出してしまうのですが、それでもみんなが同情するのは、彼が、どうしてそんなことをしでかしたか、その心の中をよく知っているからです。

 どうしてそうなったのか、原因をつぶさに知ることが縁起を見ることです。

 その縁起を見る目が具わると言動が乱暴だとか、いつも陰気な人だ、といった表面だけで人を決めつけることができなくなります。

そこを直して幸せになってもらいたい、と声をかけずにいられなくなるのです。
  
ありがとうございましたm(__)m
2003. 4.8
火曜
こんばんわ


本日は、「はなまつり」といわれた、お釈迦さまのお誕生日です。

おめでとうございます(^o^)丿
(二日前は僕の誕生日で、ついでにおめでとう(^○^))


あまりお花には詳しくないので、なんのお花かわかりませんが、大変華やかで美しくて、宜しいのではないかと思いまして、載せてみました
(^○^)

つつじ、かな(^_^;)

生憎、今日は雨模様でザアザアぶりでしたね。

お釈迦さまのお誕生を祝しまして・・・・本日のお勉強は・・・おやすみ、です(^^ゞ

昨日の「おはからいのままに」をしっかりと学ばせて頂きたいと思います。
2003. 4.7
月曜
こんばんわ


本日も暖かな一日でした(^^ゞ

こちらのお写真も僕は大好きです。

本栖湖の夜明けなんですね。

こんなに暗い中で青い色あい・朝日の光が実に鮮やかに写実されています。

カメラも腕も違うのでしょうね(^_^;)



帰宅後、食事、お風呂とゆっくりさせて頂いて、いつものように開祖先生のご本を読ませて頂いておりましたが、あるお話を読んで、また目頭が熱くなってしまいました。


僕も昔と異なり、今は議論をほとんど好まなくなっています。

そのぶん、心で納得できる生き方を求めているのかもしれません・・・・。

毎日の仕事場で、お客さんが、ともに働く仲間が先生なのだと思わなければいけませんね。


本日の感じるお話です。
   おはからいのままに     庭野日敬 (1996年、平成8年)

 いつも申し上げるように、信仰する人のいちばんの幸せは、仏さまがすべてご照覧(しょうらん)だと信じていられることにあります。

 けれどもときどき、「こんなに一生懸命がんばったのに」「あんなに真剣に祈願したのに」「仏さまは私をお見捨てになったんではないか」と、絶望に打ちひしがれることもあると思うのです。

 しかし、仏さまはどんなときも、この患難(げんなん)の多い世でのあなたを、しっかりとお見守りくださっておられるのです。

 私たちは神仏にお祈りするとき、自分の欲しいもの、自分の願いがかなうようにとお願いしますが、仏さまは、私たちの欲しいものではなく、必要なものをお与えくださるのです。

 自分の力ではどうにもならなくなったとき、人はだれしも病気を治してください、子どもが受験に合格しますようにと神仏にお願いするのですが、そのあとに必ず、「でも、み心のままに」とつけ加えることを忘れないようにしている、という人がおられました。

 仏さまのおはからいにおまかせしてしまうと、どんな結果であっても、ある時を経て「これがご守護だったのだ」と思い知るときが、必ずくるのです。

 悲しみや絶望を通してこそ得られる宝物もあるのですね。 
  
ありがとうございましたm(__)m
2003. 4.6
日曜
こんにちわ

今日はみなさん、きっとお花見をしてらっしゃることでしょう(^_^;)

勿論、僕も行ってきました。

相変わらず家内と静かなお花見です(^^ゞ

最初は、我家の桜から・・・
身の丈程の高さの幹からもお花が咲いていましたのでね・・・。
一年ぶりの、上野恩賜公園のお花見でした。

満開です(^^ゞ

風も穏やかで清清しいかぎりです。

溢れんばかりの人ごみでしたが、お花も見事でしたので見入っておりました
(^○^)
最後は、おなじみの、武道館九段の千鳥が淵です(^o^)丿

先日とは見違えたように、やっと満開になりました。


こちらに着いたのが午後3時ごろでしたので、日差しのかげんでイマイチですが、満開の様子がお分り頂けると思います(^_^;)
お庭の桜です(^^ゞ お近くの桜並木(^_^;) 目黒川沿いの桜祭りで、こちらも見事です(^o^)丿

ゆっくり、のんびり、ではありますが、桜尽くしの春の一日を過させて頂きました(^o^)丿

本日の感じるお話です。
   鬼の心 と 仏の心      庭野日敬

 私達の心の中には鬼の心も仏の心もあって、うっかりしていると、すぐに鬼の心に引きずられてしまうのです。

鬼の心というのは、よいことをしなければと思いながら、つい怠け心のほうに引きずられてしまう心です。
また、人の事をうらやんだり、ねたんだりする心も、それです。
悪いことや嫌な事は、みんなまわりのせいにして、人を責めたり憎んだりするのも鬼の心です。

それでいつもカッカしているから、頭に角がニョキニョキと生えてくるわけです。心が顔に表れてしまうのです。
この鬼の心が疫病神で、その自分の心が不幸を呼び寄せてしまいます。

鬼は外にいるのではなくて、自分の心のなかに住みついているのですね。
それを追い出してしまわなくてはなりません。

どうしたら自分の心の中の鬼を追い出せるのか。

まず、人を見たら、いつもニッコリと笑うこと、つまり、どんな人にも笑顔で対せるようにと心がけて、それを習慣にしてしまうのです。
そして、いつも人さまの身になって考えることです。

そう心がけていると、いつのまにか角が消えて、仏様のような柔和な顔になってくるのです。
  
ありがとうございましたm(__)m
2003. 4.5
土曜
こんばんわ


本日は一日雨でした(^_^;)


いささか穏やかな気持ちで週末を迎えられましてホッとしています。


ところで、この時期は、意外と街のあちこちでみごとな桜の木が散見できて、驚かされます。


今更ながら、さすがに昔から愛され育まれた樹木であることが分りますね。


目黒区碑文谷のサレジオの近くから武蔵小山にかけても散歩道に沿って見事な桜並木がありました。

これも地元の方にとっては名所として認知されていると思いますが、誠に素晴らしい景観です。


そうですね、明日は4月6日ですが(^_^;)家内は覚えているようです。

はてさて、齢を重ねて、本来の使命を果たせられるような自分でありたいものでは・・・・ありますが(>_<)

毎日、コツコツとがんばるしかありませんね(^_^;)

本日の感じるお話です。
   一日の重さ   庭野日敬  (1992年、平成4年)

 映画評論家の淀川長治(よどがわながはる)さんは、毎朝、目を覚ますと「今日は平成四年一月十日、私の一生で、地球の歴史の中で一日しかない日だ。だから、ニコニコしていよう。」と口に出して唱えられるのだと、新聞のコラムに紹介されていました。

 今日しか会えない人だと思ったら、仏頂面(ぶっちょうずら)はしていられません。今日しかできない仕事だと思えば、いいかげんにはできません。

 「人生別離に足る」という漢詩の一節を、「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」と作家の井伏鱒二(いぶせますじ)さんが名訳されていますが、今日のこの一日とは今日でお別れしなければなりません。それが「諸行無常(しょぎょうむじょう)」です。だからこそ、そのかけがえのない一日を最高に生きようという積極的な生き方が、法華経の生き方だといってもいいでしょう。

 一年の出発にあたって、お互いさまに今日という一日の大切さを、かみしめ直そうではありませんか。

 私は八十五年という年月を生きてきて、一年ごとに、一日ごとに、ますますその重さを思い知らされるのです。
 
ありがとうございましたm(__)m
2003. 4.4
金曜
こんばんわ

十和田湖の湖畔だそうでございます。

「静寂」を絵にしたようなお写真です。

大自然の懐に包まれて、優しい気持ちに浸りたいものであります。



『人を分け隔てすることなく、あらゆる人に対して平等に、この人に幸せになってもらいたいと心から願うこと、それが慈悲心です。』

『慈悲の「慈」は、他の人を幸せにしてあげたいと願う心であり、「悲」は、他の人の苦しみをやわらげてあげたい、取り除いてあげたいと願う心です。
これを日常的なわかりやすい言葉で言えば思いやりにほかなりません。
苦しんでいる人を見て「ああ、お気の毒に」と思い、「何とかしてあげたい」と思う心です。
難しいことではありません。
道に迷っている人を、わかりやすいところまで案内してあげる。
電車やバスの中でお年寄りに席を譲ってあげる。
そうした小さな親切も立派な慈悲行なのです。・・・・・・』(庭野日敬著「人生、心がけ」より)

自分自身の慈悲心について改めて問い直してみたいと思います。

本日の感じるお話です。
  無言の声を聞く    庭野日敬  (1987年、昭和62年)

 山に生えている木を見ても、まっすぐに伸びたり幹をくねらせたりして、さまざまなことを訴えているのですが、私達はふだんそれに気づきません。

 周囲の人たちに対しても同じで、健康なときは病人を見ても痛くもかゆくも感じませんし、若い人は老人の姿を見ても、自分とは関係ないもののように思っています。

 しかし、それでは本当のものは、なにも見えてこないのです。

 良寛さんは 「君()双眼(そうがん)の色、語らざれば、(うれ)い無きに似たり」  という言葉を愛されて、書にも残されていますが、聞こえない声に耳を傾けてこそ、仏さまの慈悲の説法が身にしみてきます。

 私は農家の生まれで、稲の苗を植え、豆をまき、サツマイモを植え付け、いろいろな作物を育ててきましたが、細かな心くばりをして、()やしをあげると、作物もこっちの心がわかって、ぐんぐん伸びていきます。

 慈悲心を持つと、作物の訴えが聞こえてくるのです。

 こちらに愛情がないと、どんな作物もよく育ちません。

慈悲心がなくては、人のさまざまな訴えも世界の苦悩も身に感じることができないのです。
 
ありがとうございましたm(__)m
2003. 4.3
木曜
こんばんわ


福島県花見山と伺っております。


こちらは、お写真というより、まるで絵画ですね。


一つ一つの木々がかくも繊細で鮮やかな色彩を現すとは、不思議としか言いようがありません。


今週も驟雨が時々繰り返す、不安定な天候ですが、日曜日まで、桜も散らずに残ってくれるでしょうか(^_^;)


そういえば、「ハリー・ポッターの秘密の部屋」のDVDなどももうじき発売では・・・そうですね。

http://www2.rosenet.ne.jp/~chatnoir/harry/info/event/event.htmハリー・ポッター・ニュース

もうちょっとの、我慢です(^_^;)

最近は、ハリ・ポタページも更新が遅れてますので、また、研究して、ハリー達と過したいですね。

明日は、晴れるかな(^○^)

本日の感じるお話です。
    耕 さ れ た 心      庭野日敬

 カルチャー教室が大はやりです。
カルチャーとは教養や文化のことで、「耕す」という言葉が語源だそうです。
心が柔らかく耕されていてこそ教養ある人と言えるのではないでしょうか。

 よく耕された土は、すべてを受け入れてはぐくみ育てるように、豊富な知識を具えるのは、それによって偏見や固定観念を離れて、ものごとをさまざまな角度から見られるようになるためなのです。

 ところが、うっかりすると逆に、たくさん詰め込んだ知識をこれみよがしに振りかざして、それで人を見下したり、人の言葉には耳も貸さないという態度をとってしまう人がいるのですね。

 「法華経」には、「(もろもろ)(あら)ゆる功徳を修し、柔和質直(にゅうわしちじき)なる者」という言葉があります。

本当によく耕された人となるためには、知識を学ぶのと一緒に、人に奉仕する実践が必要です。
それが、功徳を積むことです。

 人の幸せのために働くことなどなにひとつしようとせず、ただ自分を偉く見せるための勉強であっては、心を耕すどころか、博識で武装した独善的な人間になってしまいます。

 「学んだことの(あかし)は変わることである」という言葉があります。
ありがとうございましたm(__)m
2003. 4.2
水曜
こんばんわ

えーと、150枚くらいこの日は写真をとりましたので、たまに、機会がありましたら、お見せします(^_^;)

最近、キャノンから、D60の後継機としてEOS10Dが出ましたね(^^ゞ

えっ、買いませんよ、欲しいけど・・・。

17万前後で、その機能から判断するとお安い、とのこと(>_<)

我家は貧乏なので、そんなお金がありましたら、子供達の学費へいくことでしょう(~_~メ)

まぁ、200万画素よりかは630万画素の方が綺麗には違いありませんが、もっぱらオート撮影専門の僕ですのでとりたてて必要というわけでもありませんが、ちょっと使って見たいだけです(^_^;)
EOS10D Special Site・・・・http://cweb.canon.jp/camera/10d/index.html
EOS Digital・・・・・http://cweb.canon.jp/camera/eosd/index-j.html
やっぱし好きかな Fine Pix(^○^)・・・http://www.finepix.com/lineup/index.html
かわいいFinePix2800Zだよ(^o^)丿・・・僕のバカチョンなんですよ(^○^)
カメラのたけだ 価格ドットコム ヨドバシカメラ キャノン天然映像研究室
うーむ止まらないので、止めます(>_<)

パソコンも今年の正月からズッコケっぱなしですが、ここ最近は小康状態です。

無事にネットとメールが出来てビルダーでホームページが更新できる環境であれば、特に文句はありません。

やはり、こういった話題は自分でも好きらしく、流れるように言葉が出ますね(^_^;)

本日の感じるお話です。
 残された時間  庭野日敬  (1986年、昭和61年)

 天竜寺管長の関牧翁(せきぼくおう)師は、八十歳になられて「人に悪口を言われても、どんな嫌なことがあっても、もはやそんなことを苦にしている時間がなくなってしまった」と、雑誌の対談で話しておられました。

 日蓮聖人は、「臨終の事を習ふて後に他事(たじ)を習ふべし」と教えられましたが、若いみなさんは、臨終のことまでとても考えられないと言われるかもしれません。しかし、たとえば明日、ガンの宣告をされたとしたら、どうでしょうか。

 ちょっと人に言われたことで腹を立てたり、他人をねたんだり、損だ得だと息まいていたことが、なんの意味もなくなってしまいます。誤解や中傷などに振り回されている暇はないのです。

 残された時間に何をしなければならないか、ぎりぎりまで突き詰めていくと、全力を振り絞って、今の瞬間を、今日一日を生きることがどんなに大切か、思い知らずにいられなくなります。

 お釈迦様の教えは、生老病死(しょうろうびょうし)を宣告された人間の生き方を示されたものです。

そこがつかめると、どっしりと腰がすわってきます。
 
ありがとうございましたm(__)m
2003. 4.1
火曜
こんばんわ


一昨日の武道館サイドのお堀の桜の一枚です。


デジカメ?片手に多くの写真愛好家の方達も混じって、大賑わいでした。


今日、明日あたりは満開かもしれませんね。


我家の庭の桜も満開のようで、咲き誇っております。


さて、4月も始まりましたが、厳しい環境に変わりはありません。

毎日のお仕事も改めて反省すべきところは、しっかり見直しながら、日々前進していきたいものであります。

開祖先生のお話も回を重ねてまいりました。

何度となく、読み返したいお話でもあります(反省点が多いのです(^_^;))ので宜しくお願いします。

本日の感じるお話です。
  まわりを味方にする    庭野日敬

 まわりと仲良くすることが仏道の極意(ごくい)、と言ってもいいのではないかと私は思うのです。
あっちでぶつかり、こっちで人に突っかかっているようでは、仏道修行は落第です。

 家族や職場の仲間はもちろんのこと、毎日起こるすべてのことと仲良しになってしまうのです。
仏道とは天地の(ことわり)、宇宙の大法則と溶け合って生きることだともいえましょう。

そうして、まわりじゅうと仲良しになろうと努力していると、すべての人、すべてのことが自分に力を貸してくれるようになって、前へ前へと押し出してもらえるのです。これが安楽行です。

 こちらのほうがずっと楽な道なのですが、みなさんが、わざわざ人に突っかかったり、まわりに当たったりして悪戦苦闘しているわけです。「極楽は行きやすくして人なし」で幸せへの道のほうがずっと楽なのですが、分かってはいてもなかなかそれができないわけです。

 ですから、一つ一つ周りの人に教えを受けながら「今日はこれができた」「ここが一つ上達した」と毎日の自分を振り返って一段一段上がっていく努力を続けていく。

 周りの人を味方にし、師としていけば必ず卒業証書をもらえる日がきます。
  
ありがとうございましたm(__)m


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