わがまま日記

( ̄。 ̄;)2003.7
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「目的を持って生きる」
2003
.7.31
木曜
こんばんわ

こちらの入道雲も夏の風物詩ですね
(^○^)
(move?さんより)

涼しい7月も本日で終わりとなります。

しかし、ここ数日はなかなか蒸し暑く、ちょっとした作業でも汗ダクです(^_^;)

ついつい、(^_^;)
テレビドラマを見ながら書いているので、なかなか筆がすすみません(^^ゞ

「ドクターコトー診療所」という題名らしいです(^_^;)

お医者さんはさすが人の命を助ける職業ですので、素敵ですね。

代議士役の竜雷太が、美しい海をながめながら呟きました。「無心で働いてそれが人のお役にたてられたら、なんと素敵な人生なのかと思えることだろう」と。

なかなか、良いことを言っておりました。僕もそういう生き方を求めていきたいものであります。


本日の感じるお話です。
     最高の功徳          庭野日敬  (1996年、平成8年)

 (はす)の花が開くと、その花の中にすでに実が生じています。
それと同じように、因(原因)と果(結果)は同時というのが仏教の考え方です。

悪事を(おか)しても人に見つからなければ罰を受けずに済む、と考えたら大間違いです。

良心の呵責(かしゃく)で、眠ることもできなくなってしまいます。

反対に、せっかく善根(ぜんこん)を積んでも、だれも評価してくれないと考える人がいますが、これも間違いです。

 人さまに喜んでもらえる奉仕をされた人は、よくご存じのはずですが、()いことをすると、言いようのない喜びがわいてきて、心が清々としてなんの心配もない日々を過ごせます。

 中国・南朝(なんちょう)(りょう)始祖(しそ)である武帝(ぶてい)は、仏教に帰依(きえ)して各地に多くの寺院を建立(こんりゅう)しました。

あるとき達磨(だるま)大師に、「余が多くの寺院を寄進したその功徳は」と尋ねると、

達磨大師は言下に「無功徳」と答えられたのでした。

なにか目に見える功徳ばかりが功徳ではなく、善根を積める自分になれた喜び、晴れ晴れとした心で毎日を過ごせる喜びこそが最高の功徳です。

 かつての自分といまの自分の心がどんなに違ってきているか、周囲がどんなに変わったか、振り返ってみると積んだ善根がそっくり自分に返っているのに気づかずにはいられないはずです。
 
 ありがとうございましたm(__)m
2003
.7.27
日曜
こんばんわ

本日は、出勤日でした(^_^;)

この誠に素敵なお写真は、月刊カメラマン 2002-2月号フォトコンテスト 入選作品 だそうでございます(^_^;)
使わせて頂きますm(__)m
(move?さんより)

ほんの少し睡眠不足か頭の芯がピリッときますので、早めにお休みします(^_^;)

もう一回、読みたくなったので↓載させて頂きました、すいません(^^ゞ

---------------
「いい人をやめると楽になる」より
曽野綾子著

* * * * *
『他人の暮らしはすべてすてきに思える。
しかし皆ほんとうの生活を覗けば、円満でも、大して幸せでもない。』

(「自分の顔、相手の顔」、副題=どうすれば他人の生き方が気にならないか=)
* * * * *
『最後に残すべき大切なものは「愛」だけだと言ったら、また歯の浮くような事を言うと嫌われそうだが、死ぬ時に、人間としてどれだけ贅沢な一生を生きたかは、どれだけ深く愛し愛されたかで測ることになる。

愛は恋愛だけではない。男女の性の差も、身分を越えた関心という形をとった愛の蓄積である。

それ以外のものは大地震の時の陶器のようにぶっ壊れる危険に満ち満ちているから、とてもカウントの対象にはならない』

(同上、副題=贅沢な一生かどうかは愛のあるなしで決まる=)
* * * * *
『その宗教が本物かどうかを見分ける方法については、前にも書いたことがあるのだが、多くの方がご覧になっているわけもないので、もう一回書くと、

(一)教祖、指導者が質素な慎ましい祈りの生活をしているかどうか。
(二)自分が生き神さまだとか、仏の生まれ変わりだとか言わないかどうか。
(三)宗教の名を借りて金銭を集めることを強要しないかどうか。
(四)宗教団体の名で、選挙と政治を動かすような指令を出さないかどうか。

この四つが正しく守られていれば、それはおそらくまともな宗教であろう。』

(同上、副題=本物と偽物の見分け方=)
* * * * *
『私はけっして誰もが信仰を持つべきだ、などと言うつもりはない。
しかし人間の視点だけで、人間の世界が見通せるとはどうしても思えないのである。
私たちは地形を総合的に把握しようとする時、自分の身長だけでは足りず、かならず高見に登る。
それと同じで、信仰の見地から、神の視点というものがあってこそ、初めて私たちは人間世界の全体像を理解できるような気がしてならない。』

(二十一世紀への手紙、副題=品性(ひと)が現れるとき=)

* * * * * 今日のおまけ(^^ゞ

・・・・・(ダンブルドアが665歳のニコラス・フラメルと相談して、賢者の石を壊した事をハリーに伝えて)・・・・・

『・・・・・ハリーの驚いた顔を見て、ダンブルドアがほほえんだ。
 「君のように若い者にはわからんじゃろうが、ニコラスとペレネレ(奥さん、658歳)にとって、死とは長い一日の終わりに眠りにつくようなものだ。
結局、きちんと整理された心を持つ者にとっては、死は次の大いなる冒険に過ぎないのじゃ。
よいか、『石』はそんなにすばらしいものではないのじゃ。
欲しいだけのお金と命だなんて !
おおかたの人間がなによりもまずこの二つを選んでしまうじゃろう・・・・・困ったことに、どういうわけか人間は、自らにとって最悪のものを欲しがるクセがあるようじゃ」
ハリーは黙って横たわっていた。・・・・・・
『ハリー・ポッターと賢者の石』より引用(JKローリング著、松岡佑子訳)

--------------------------------
ありがとうございましたm(__)m
2003
.7.24
木曜
こんばんわ

葉っぱといえども、こうなりますと七色に光り輝く宝石のような美しさも表わせるのですね(^o^)丿
(move?さんより)

相変わらず、季節は無視させて頂きまして、美的センスだけでお話は進みます(>_<)

いつもの7月ですと30度C以上はおろか、ケースによっては37度Cなどという体温並みの気温もあったように記憶しています。

しかし今年は、涼しいですね(^_^;)

私はそれなりに仕事がしやすいのですが、中には困ってしまう業界の方も多いかもしれません。

新しい掲示板は、僕としては気に入っているんですよ(^_^;)

FreeStyle何でも掲示板(^o^)丿

けっこうみなさんも覗いて頂いてるようで、たまたま付けたカウンターが進んでいます(^o^)丿
(そのわりにカキコは少ないですが(^○^))

ちょうどベーコンさんもお書き頂いていました、加藤諦三さんのホームページですが、そういえば、ということで久しぶりにおじゃましてみますと、コラム
人を育てる加藤諦三の言葉心理的健康について名言イソップ物語 などなど、なかなか読み応えのある、先生のお話がたくさんあるのですね(^_^;)

なにごとも、井の中の蛙、でありまして、謙虚にお勉強させて頂かないといけないなと反省しました(^^ゞ

また、ハリ・ポタ検索や吉野弘さん検索から、音楽とペーパーバック 櫻の徒然日記 といった興味深いサイトにも巡り合えました(^_^;)取り扱ってらっしゃる範囲も広く、素敵というほかありません(^_^;)

少しずつですが鈴木秀子先生三浦綾子さんもさらにお勉強したいと思っています(^_^;)

うーむ、みなさま本当に研究熱心で頭が下がる想いでありますm(__)m


本日の感じるお話です。
   一ヶ月だけの入会   庭野日敬  (1991年、平成3年)

 お釈迦さまの降誕会(こうたんえ)に、横手教会の教会長さんが、たいへんおもしろい説法をしてくださいました。

 かつて、教会長さんは会社の先輩に佼成会の道場に誘われて入会をすすめられたのですが、道場の会員さんの姿を見て、「世の中には、こんなにだまされやすい人がいるのか」と、あきれてしまったというのです。しかし、日ごろ尊敬している先輩のすすめなので、断わる口実に「一ヶ月だけでやめさせてもらえますか」と条件をつけて、入会したのだそうです。

 ところが、『人間らしく生きる』という私の著書をすすめられて読み、大会で私の説法を聞いてすっかり安心してしまい、一ヶ月経って、先輩から「もう一ヶ月経ったんだから、やめてもいいよ」と言われても、やめるどころか、それから二十数年間"ご法漬け"になって、とうとう教会長のお役をさせてもらうようになったという説法でした。

 道元禅師(どうげんぜんし)は「正師(しょうし)を得ざれば、学ばざるに()かず」とおっしゃっています。

 教えのありがたさは、いっぺんに分かるものではありません。道案内役の私たち一人ひとりが、自ら光を発して道を照らし、案内してあげなくてはならないのです。
ありがとうございましたm(__)m
2003
.7.20
日曜
こんばんわ

どちらの海岸でしょうか(^^ゞ
江ノ島?綺麗過ぎますね(^_^;)
(move?さんより)

昨晩7/19(土曜日)は少々遅い帰宅でしたので早めに寝てしまいました(^_^;)

今日・明日と誠に珍しい連休となりました。

予定などは全くありません。

このお写真のようなとこへも行きたい気もいたしますね。

そうですね、トップページをご覧頂くとすぐにわかりますが、ちょっと解説のつもりで、コンテンツの紹介窓をつけますとゴチャゴチャしてしまいます(^_^;)

挑戦!! あなたのポッタリアン度は?というコーナー企画もありましたので、第二段としてつい書き込んでしまいました。

挑戦ハリ・ポタ クイズもまだご存じのない方もいらっしゃるかと思いまして、導入用に作りました(^^ゞ

わがまま日記人生の応援歌トップページも細かなページを紹介したくなって書きました(^_^;)

うーむ、BBSシネマ・パラダイス(^^ゞも遅いのでFreeStyle何でも掲示板(^o^)丿も作ってみました(^_^;)

というわけで、良いような、悪いような、コテコテのページになりました(>_<)

またシンプルなトップページを考えた方が良いですよね(>_<)・・・・・でわでわ(^o^)丿

本日の感じるお話です。
   苦しむことの意味   庭野日敬  (1998年、平成10年)

 「やろうかやるまいかと迷ったときは、やることに決めています」という人がおられましたが、私も、その主義でこれまでやってきました。とりわけ若いときはそれが大事だと思うのです。

 失敗したらどうしようと尻込(しりご)みしていたのでは、結局、何もできずに終わってしまいます。それでは何も身につきません。新しいことに挑戦すれば、失敗はつきものです。しかし、その失敗を繰り返すことによってしか自信はつかないのです。

 人生には、むしろ失敗や挫折(ざせつ)のほうが多いものです。
 ときには絶望しかけることもあります。
 しかし、その苦しみの中で人は本物になっていくのです。

 信仰をしていれば困難なことや嫌なことに一切出会わずにすむかというと、そういうわけにはいきません。信仰をしていても、さまざまな困難に直面します。「それなら、信仰をしてもしなくても同じじゃないか」と考えるかもしれませんが、そうではありません。

 信仰は困難に打ち勝つ力を与え、苦しむことの意味を教えてくれるのです。
 本当の喜びは苦しみから生まれるものであることを教えてくれます。

 失敗や挫折が恥ずかしいのではありません。
 そこから立ち上がれないことが恥ずかしいのです。
ありがとうございましたm(__)m
2003
.7.16
水曜
こんばんわ

以前からフォルダに保存してあったお写真ですが(^_^;)こういう原風景ってよくありますよね(^^ゞ
(move?さんより)

今でこそ時間を経て色褪せてしまったあじさいですが、このお写真のようなみずみずしさは誠に涼しげで、大変美しいものであります。

私はお昼休みは食事をとりながら、ホームページも良く見ていますが、「人生の応援歌」ページも開いて、先生方のお話を何度も読んでいます(^^ゞ

今日は下の神父さんのお話を読みながら、改めて、良いお話だなぁと胸が熱くなりました。

====『 人は教えをすべて知って信仰に入るのではなく、教えのとおりに行じている人の姿に導かれて信仰に入るのです。』==== 

開祖先生の御法話の中の一つに、『自分も大事、人も大事』というお話がありました。

『 信者さんに心から慕われている支部長さんがおられて、その秘訣をお尋ねすると、「私は『○○さんおはよう』『○○さんおはよう』と、一人ひとりの信者さんの名前を呼んで、明るく声をかけるように心がけているだけなんですよ」と答えられたそうです。

 この支部長さんは、初めて道場に見えられた方でも、すぐに名前を覚えて声をかけられるのです。そのことの大切さを、どなたかの本で教えていただき、そのとおりに実践されているのだということでした。

 お釈迦さまは、「だれもが自分がいちばん大事。そのことを知ったならば、自分と同じように人を決して傷つけてはならない」と教えられていますが、「仏性礼拝(ぶっしょうらいはい)」を口をすっぱくして説くよりも、どなたにもひと声、声をかけてあげる実践のほうが大事です。

「商売は儲けようと考えてはだめだ。会う人会う人を大事にする。私の成功の秘訣はそれだけです。」
と、ある会社の社長さんが言われています。

商売の要諦をズバリと言い表した言葉といえましょう。』

こちらのお話も、誠にありがとうございましたm(__)m


本日の感じるお話です。
   泥棒を導いた神父さん   庭野日敬  (1998年、平成10年)

 尻枝正行(しりえだまさゆき)神父は、バチカンの教皇さまのお近くで大事なお役をされている神父さんですが、その尻枝さんが神父になる決意をされたときの話をうかがったことがありました。

 日本が太平洋戦争に敗れた直後のことです。尻枝さんのお父さんは戦死され、家も焼かれて、一家四人、その日その日をどう生き延びるか必死の毎日でした。そんなある日、当時、中学生だった尻枝さんは、近くで建設中の教会から(くぎ)を持ち出そうと忍び込んだのだそうです。

 そこを運悪く外国人の神父さんに見つかってしまった。神父さんの大きな腕が尻枝さんの手をむんずとつかんだのですが、そのおおきな腕が、尻枝さんの背負っていたリュックを開いて、リュックいっぱいに釘を詰めてくれたのです。そして、「足りなかったら、またいらっしゃい」と神父さんは、尻枝さんを門から送り出してくださったのです。

 その晩、尻枝さんは一睡もせずに考えぬき、「あの神父さんのようになりたい」と決心されたのだというお話でした。

 人は教えをすべて知って信仰に入るのではなく、教えのとおりに行じている人の姿に導かれて信仰に入るのです。
ありがとうございましたm(__)m
2003
.7.15
火曜
こんばんわ

ユリですね(^_^;)

花言葉は純潔、無垢、威厳とありました。

先日入手した、無料の携帯電話ですが、僕としては珍しく日々愛用しています(^_^;)

パソコンならいざしらず、携帯は今まで単なる電話でしかありませんでしたので、メールなどもパソコンで充分と思っていて、使おうともしませんでした(^^ゞ

なんとなく、家内が携帯メールをやりたがりましたので、付き合いの良い僕としては調子を合わせて段取りするはめになったわけです(^_^;)

また、最近の携帯は何と言っても、デジカメ機能が嬉しいですね(^_^;)

僕もデジカメは好きで、いくつでも欲しがるほうですが、お気軽なデジカメが持ち歩きで欲しかったところですが、とりあえず気楽にスナップが撮れる、この携帯デジカメもなかなか楽しいです。

まぁ、画素数は無料なので11万画素と貧弱ですが、人物や街並み・動物など気になることどもを写しては、一人楽しんでいます。パソコンに撮り込む程ではないのですが、眺めて楽しめるのが良いんですね(^^ゞ

メールも年甲斐も無く出しています(^_^;)最初のうち、とも思いますが、何かお話したい時には楽しめますね。

「待ち受け画面」の写真ですか? もちろん愛妻の写真ですよ(^○^)----えっっ聞いてないって?(^_^;)----

でわでわ、このへんで失礼します(^o^)丿

本日の感じるお話です。
     一つに徹する          庭野日敬  (1974年、昭和49年)

 のどの(かわ)きを(いや)すのには、一杯の水があれば十分です。なにも貯水池ほどの水を必要とするわけではありません。

仏教を学ぶとき、いたずらに万巻の経典を読みあさっても、逆に、それに(おぼ)れて教えの核心を見失いかねません。

 教養を深めるために数多くの書を読むことも むだ とは言えませんが、「一つの経典に徹しきってこそ、そこから悟りが生まれるのだ」と先師は教えています。

一つの経典どころか、経典の一つの言葉であってもいいと思うのです。

 そのよい例が、教えを少しも覚えられないお弟子の周梨槃特(しゅりはんどく)に対して、お釈迦さまが「(ちり)を払い、(あか)を除かん」という一句を唱え続けさせて悟りを開かせた逸話(いつわ)です。

 周梨槃特は、その一つの言葉、精舎(しょうじゃ)を清める一つの行で、自分の心の垢を払う行を成し遂げたのです。

佼成会の法座では「自分が変われば相手が変わる」と教えますが、どんな人に対しても、どんな問題に対しても、その言葉どおりに信じきって対することができれば、仏教の真髄(しんずい)が体得できます。

 この言葉に、仏さまの縁起(えんぎ)の教えが凝縮(ぎょうしゅく)されているのです。まず、一つのことに徹してみることです。
ありがとうございましたm(__)m
2003
.7.13
日曜
こんばんわ

チューリップのお写真はまだありませんでしたので今回採用させて頂きました・・・・なかなか綺麗ですね(^○^)(move?さんより)

さて、先月の吉野弘さんの詩は素敵でした(^^ゞ

思わず僕も、『詩人吉野弘』のページを作った次第であります(^_^;)(人生の応援歌にリンクあり)

『吉野弘』さんの検索で、関連サイトを眺めておりますと、他の詩や随筆など著名な作家の作品を引用されているサイトに出会いました。

white journal of sakura櫻の徒然日記

俳句や詩歌をつれづれに

上がトップページで下はその中の作家の目次のようです。

吉野さん以外にも数多くの詩人の作品を詠むことが出来ますので参考になりました(^_^;)

日頃から、あまり詩歌など読むこともありませんので、素敵な詩に出会いますとさらに多くの詩も詠みたくなりますね(^^ゞ


いわば、時間のあるときにいつでも見たり読んだりできるという点でも、マイホームページページは大変便利で、情報収集の基点として自由気侭に作らせて頂いております(^_^;)

今日の日曜は、お休みでしたので、いろいろと気になるページの更新に没頭していました(^_^;)

そんななか、掲示板に書き込み頂いた、しるくさんの「シルクカフェにようこそ」をリンクいたしました(^o^)丿

新しいお友達として、お話できればあり難いと念じております(^o^)丿これからも宜しくです。

更新ページは、ハリー・ポッタークイズの最終ページ吉野さんのページ人生の応援歌といったところです(^_^;)

そうそう、携帯メールも最近の携帯機種に変えてから利用するようになりまして、少しずつ利用しております(^_^;)

今朝も早くから、神戸の方から(^_^;)嬉しいメールを頂きました(^^ゞ

僕も素早い即効レスが出来るように、がんばっております(^o^)丿


本日の感じるお話です。
   下がると拝める   庭野日敬  (1997年、平成9年)

 相手のことがどうにも我慢がならんということが、だれにもあるものです。

 その相手が毎日顔をあわせなければばならない上司や同僚、また、お姑さんやご主人ということになると、大変です。ところが、そういうことがしばしばあるのです。

 けれども、よくよく考えてみると、それは身近な大事な人だからこそ、「こうあってほしい」という願いが互いに強すぎて、ふつうなら気にならないようなことが、たまらなくなってくるわけで、つまり好きと嫌いが紙一重なのです。

 相手の欠点ばかりが目についてどうしようもないというときは、知らぬまに自分のほうはまったく過ちのない人間になってしまっていて、一方的に相手を裁く裁判官になっているのです。

 じつは、それによって自分ががんじがらめになっているのです。

 人のことを責めて楽しいという人はいません。そうした自縄自縛(じじょうじばく)から解き放たれるのには、自分もまた、さまざまな欠点を持った人間であることに気づくことが必要なのです。

 そうして、自分が見えてくると、自然に人の長所が見えてくるようになります。

 自分が下がってこそ人を拝めるのです。
ありがとうございましたm(__)m
2003
.7.11.
金曜
こんばんわ

ちょっと季節は異なりますが、小鹿が幻想的です。
(move?さんより)

夜になりますとコツコツページを書いておりました(^_^;)

おはなしハリ・ポタ大好き

ハリー・ポッターのクイズに挑戦してみませんか(^○^)

正解なし=ポッタリアンてなあに(^o^)丿

正解1つ=これからポッタリアン(^o^)丿

正解2つ=寂しきポッタリアン(^o^)丿

正解3つ=がんばれポッタリアン(^o^)丿

正解4つ=惜しいポッタリアン(^o^)丿

----------
(注意) 魔法界の貨幣について一言
1ガリオン=約5ポンド=945円(1ポンド189円とした)=17シックル
1シックル=55.6円=約55円=493クヌート
1クヌート=11.2銭==
-----------

今日は上の「惜しいポッタリアン」のページ作成で力尽きてしまいました(^_^;)

いい年をして、何でこんな事を・・・、などと考えてはいけません(^○^)

人生とは楽しむべきなのであります(^o^)丿

これで楽しめるのですから、実に経済的であり、ファンタジックと言えましょう(^_^;)

みなさま、我ながら、なかなかの労作ですので、是非是非ご覧頂いて、お楽しみくださいね(^o^)丿

また今週は、家内の推奨もあり、家庭割引も適応、とのことで、新しい携帯電話を入手いたしました(^○^)

なおちゃんが僕と携帯メールをしたいということで、僕も徐々にやり方を理解しつつあります。

また、少しお知らせさせて頂いて、ネットのお友達にメル・アドをお伝えしましたところ、まみちゃん・石こたん・ANNEちゃんの勇気ある御三方から、励ましの温かなメールを頂きまして、感謝感激であります(^^ゞ

ただ・・・携帯メールはそう頻繁には使わない、としてパケット割引は申込みませんでしたので、程ほどですが(^^ゞ

最近は、無料携帯もなかなか高機能でありまして、メモがわりのデジカメもついておりました(^○^)

こんなんで、僕としては充分であります(^o^)丿

カレンダーや電卓、辞書なんかも付いてるんですね。まぁ画面の小ささもじきに慣れることでしょう。

でわでわ(^o^)丿本日はこれにて・・・・・・。

本日の感じるお話です。
    最高に豊かな人生    庭野日敬  (1997年、平成9年)

 マザー・テレサが亡くなられました。インドのカルカッタで行われた国葬では、百万人もの人が沿道に並んで別れを惜しんだと伝えられます。

 マザー・テレサは「最も貧しい人を助けなさい」という神の声を聞いて、たった一人、ポケットに百五十円のお金を持っただけで行動を起こしたのだそうです。そして、カルカッタの町の路上で倒れて瀕死の苦しみにあえいでいる人の体を洗い、手を握り締めて語りかける奉仕に、生涯を捧げたのでした。

「人に触れ、人に仕えることで愛が通い合います。愛することを知らずに神を語る人がいますが、神の愛は行動を伴わなくてはなりません」と、マザー・テレサは言われます。
しかもマザーは、それを眉をつり上げた顔でやるのでなく、笑顔とユーモアをもって続けてこられたのです。

「最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」というイエス・キリストの言葉を信じて、その愛の行為に全てを捧げたマザー・テレサが亡くなった後に残されたものは、二枚のサリーと、身のまわりの物を入れる袋だけだったそうです。 その人生が、最高に豊かな人生だったのです。
ありがとうございましたm(__)m
2003
.7.6.
日曜
こんばんわ

本日は出勤日でありました。

いまは、先月末の大切なイベントも無事通過して、いささか安堵の日々ではあります(^^ゞ

このお写真は、朝焼けの景観でありましょうか、淡い青と赤の色合いが素晴らしいですね。
(move?さんより)

日々の生活での感謝を忘れずに、成すべき事に集中して、努力して参りたいと思います。


さて、ちょっとお話としては、やわらかくなりますが・・・・・・。

ハリー・ポッターの件ですが(^_^;)・・・・・・
第五巻の英語版Harry Potter and the Order of the Phoenix(邦題「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」)が先月から発売され、一冊3200円だと思いましたが、和訳を待たず挑戦される方も多いようです(^_^;)

僕も来年まで日本語訳を待つのもいささか寂しい限りでもあります・・・・しかし所詮、暇も力もなく・・・・・

そんな、あなたに朗報です、・・といっても有難いサイトをご紹介するだけなのですが・・・・・(^^ゞ

http://www2.rosenet.ne.jp/~chatnoir/harry/Books/OotP.htm
↑こちらは情報が詳しい、いつものポッター・マニアさんのサイトですが、こちら以上になかなか五巻の情報に読者の方の感想も聞けるサイトがありました(^○^)

http://www.h4.dion.ne.jp/~marcelo/snape/・・・・A Study in Professor Severus Snape
こちらのJapanesを選んで、目次ページがあり、左の項目トップにBOOK5がありますのでクリック(^^ゞ
http://www.h4.dion.ne.jp/~marcelo/snape/japanese/book5/index.html・・・警告ページ
そして、ネタバレなんて全然気にしないで、進みましょうね(>_<)

するとみなさんの楽しいお話が一杯です(^○^)

噂されていた、ハグリッドは無事なんでしょうか、よく知っている人が亡くなると言われていた人は誰か???
ええっっっというお話もありましたよ。これからが楽しみです(^_^;)

でわでわ(^o^)丿失礼します。

本日の感じるお話です。
     救いの手を(こば)む         庭野日敬  (1970年、昭和45年)

 イエス・キリストは十字架にかけられたとき、「神よ、神よ、どうして私をお見捨てになるのですか」と言われたと『聖書』は伝えています。

 神の子として人々に福音(ふくいん)を伝えることに身を捧げたイエスにとって、十字架にかけられる処刑は、まさに神が信じられなくなる出来事であったと思われます。

 けれどもイエスは、そのあとすぐに、「父よ、私の霊をみ手にゆだねます」と声高く叫んで息を引き取られるのです。

 曹洞宗の山田霊林(やまだれいりん)師は、そのときのイエスの心境を「わが身の苦しみよりも、十字架にかかるわが子を見つめる父である神のほうがはるかに苦しく、悲しい思いをされているだろうと思いをめぐらして、一切をおまかせする大安心の境地に達して、従容(しょうよう)として死につかれたのであろう」と解釈しておられます。

 私たちは何か苦しいことにぶつかってどうしようもなくなると、「神も仏もあるものか」と叫びたくなるときがあります。

しかし、「一切衆生(しゅじょう)はわが子」といわれる仏さまが、私どもを見放されるわけがありません。

 仏さまは、いつも私たちを見守り、救いの手を差し伸べてくださっているのに、私たちのほうがそっぽを向いて、その手をはねのけているのです。

ありがとうございましたm(__)m
2003
.7.2.
水曜
こんばんわ

7月が始まりました。

ひまわり です(^^ゞ
(move?さんより)

"ひまわり"っていうと、あの映画がいつも思い出されます(^○^)

そう、マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンです(^_^;)
悲しい映画でしたね、バックミュージックもグッときます(^_^;)
ひまわり映画鑑賞記』

先月、ベーコンさんからご紹介がありました吉野弘さんですが、みなさんのお話を見たり読んだりしてますと、教科書に掲載され、お勉強の中で深く印象を受けたという方が多いですね。

僕の時代の教科書にはあまり記憶に無くおそらく載っていなかったと思います(^_^;)

恥ずかしながら、教えて頂いて初めて感動した次第です(^^ゞ

「妻に」の詩の解釈も知りたいと、最寄の図書館に行ってきましたが、明確な資料は見つかりませんでした。

ただ、『吉野弘全詩集』1994.4発刊/青土社(956頁(^_^;))と『現代詩の解釈と鑑賞辞典』1979.3発刊/小海永二編/旺文社(近代詩・現代詩の歴史を飾る132人の詩人プロフィールとその名作213編の鑑賞文) の二冊を借りてきました(^_^;)

作品のすべてをゆっくり鑑賞しています(^^ゞ また、『現代詩の解釈と鑑賞辞典』では、吉野さんの『I was born』と『夕焼け』の2編を取り上げて編者が解説しておりました。

なかなか正確に感じ取ることも読み慣れるといいますか、詩人の人生の心の変遷を深く理解しながら鑑賞しておられますね(^^ゞなにごとも奥がふかい(^_^;)

本日も、ベーコンさんが「BBSパソコンとあそぼ」に吉野弘さんの詩について、お話して頂いておりますので、「わがまま日記」にご登場頂いて参考にさせて頂きたいと思いますので、宜しくお願いします(^o^)丿

参考サイト 吉野弘『I was born』

(失礼の無いよう、全文を掲載させて頂きました(^_^;)式のお言葉も頂き、誠に有難う御座いますm(__)m)
 ■ ご無沙汰しておりました。
NAME : ベーコン   2003/07/02(Wed) 01:50:03    [NO.255]

ご子息様のご結婚おめでとうございます。\(^0^)/
やま兄♪さん&なおちゃんという素晴らしいお手本を見てお育ちになったのですから
きっとお互いを思い遣り、慈しみあい
明るく温かいご家庭を築かれることでしょう。
お幸せをお祈り申し上げます。

親御さんにとって、お子様のご結婚というのは
感慨深いものなのでしょうね。
私には、まだもう少し遠い先の話ですが、そんな日がきたら
様々な出来事が心を駆け巡るだろうと思います。
想像するだけで、ちょっと胸がキュンとなったりしてしまいます。

しばらくPCそのものから遠ざかっていたので
わがまま日記も半月以上ご無沙汰しておりました。
私の好きな詩をたくさん紹介してくださって、ありがとうございます。
私の稚拙な脚韻詩まで採り上げてくださって、お恥ずかしいです。(#^_^#)

「虹の足」、「生命は」も、私の好きな詩です。
吉野弘さんの詩を読むと、ハッとさせられます。
そして優しい気持ちになれます。癒されます。
「妻に」は、おそらく奥様のお腹に娘さんの奈々子さんが
宿っていた時に読まれたものではないでしょうか。
私が初めて触れた吉野弘さんの詩、「I was born」と読み合わせされると
「妻に」の内に流れているものが、解るような気がします。
中学の頃、教科書に載っていたのですが、
生と死のせつなさに胸がいっぱいになったものです。

「I was born」は、思春期の少年が見つめた「生と死」への想いが感じられます。とりわけ彼の事情は辛いものでしたし
B「妻に」で彼は、それまで抱いてた「生と死」の観念に、また別の一面があるのだと実感じたのでしょう
B 自分を産み落として逝ってしまった母への罪悪感から解き放たれ、生の歓びを実感し、戸惑ったのかもしれません
B
いつもいろいろとお話頂き、有難う御座います(^o^)

本日の感じるお話です
B
 @まわりを味方にする    庭野日敬  (1998年、平成10年)

@まわりと仲良くすることが仏道の(ごく)、と言ってもいいのではないかと私は思うのです
Bあっちでぶつかり、こっちで人に突っかかっているようでは、仏道修行は落第です
B
@家族や職場の仲間はもちろんのこと、毎日起こるすべてのことと仲良しになってしまうのです。
仏道とは天地(ことわり)、宇宙の大法則と溶け合って生きることだともいえましょう
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そうして、まわりじゅうと仲良しになろうと努力していると、すべての人、すべてのことが自分に力を貸してくれるようになって、前へ前へと押し出してもらえるのです。これが安楽行です
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 こちらのほうがずっと楽な道なのですが、みなさんが、わざわざ人に突っかかったり、まわりに当たったりして悪戦苦闘しているわけです。「極楽は行きやすくして人なし」で幸せへの道のほうがずっと楽なのですが、分かってはいてもなかなかそれができないわけです
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 ですから、一つ一つ周りの人に教えを受けながら「今日はこれができた」「ここが一つ上達した」と毎日の自分を振り返って一段一段上がっていく努力を続けていく
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 周りの人を味方にし、師としていけば必ず卒業証書をもらえる日がきます
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ありがとうございましたm(__)m


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