わがまま日記

( ̄。 ̄;)2003.9
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「いま なすべきことを」
2003
.9.29
月曜
こんばんわ

壁紙村さんよりお借りしました(^_^;)

かなりの数のお写真を保存して(^_^;)壁紙として取り込みました。

うっっ、気がつくとコックリしています(>_<)

今日は疲れたようです(^_^;)

もう、寝ることといたましょう。
でわでわ(^o^)丿
(9/29PM11:00)
2003
.9.28
日曜
こんにちわ

紅葉を見ていまして、昔口ずさんだ詩を詠みたくなりました(^_^;)最近このパターンが多いのですが・・
(move?さんより)
----------------------------
落葉   ポオル・ヴェルレエヌ

秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。

鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。

げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。

仏蘭西(フランス)の詩はユウゴオに絵画の色を帯び、ルコント・ドゥ・リイルに彫塑の形を(そな)へ、ヴェルレエヌに至りて音楽の声を伝へ、而して又更に陰影の匂なつかしきを(とら)へむとす。訳者

『海潮音 上田敏訳詞集』 より
------------------------------------
なつかしい詩のリズムに気持ちが休まります(^^ゞ

青空文庫http://www.aozora.gr.jp/

お好きな作家のお好きな文章に浸って、青春時代に読み耽った当時を懐かしんでもいいですね。

Yahoo芸術と人文>人文>文学http://dir.yahoo.co.jp/Arts/Humanities/Literature/

広範囲な文学世界を味わうことができますよ(^o^)丿

本日の感じるお話です。
     無条件の布施    庭野日敬  (1979年、昭和54年)

 中国の南北朝時代の(りょう)の始祖・武帝(ぶてい)は、仏教を(あつ)信奉(しんぽう)し、多くの寺院を建てるなどの功績を残した皇帝です。その武帝が達磨大師(だるまだいし)に、「私はずいぶん弘法(ぐほう)興隆に貢献してきたが、功徳はどれほどであろうか」と問うと、達磨大師は言下に「無功徳」と答えています。

 世間一般では、すべてに対価を求めます。まったく無償の奉仕、布施といったことは考えられないのです。そのため佼成会がさまざまなかたちで社会に奉仕をさせてもらっても、世間の人は、何かもくろみがあるのではないか、宗教界を牛耳(ぎゅうじ)ろうとか政治を自分たちの思うように動かそうといった魂胆(こんたん)があるのではないか、といった警戒心をもって見ることが多いのです。

 そうであればあるほど、私たちは、あくまでも無私に徹しきり、真心をもって事にあたらなければなりません。相手を利用しようとか、人に褒められたいといった気持ちが少しでもあってはならないのです。

 そもそも、宗教は自分の足りなさ未熟さを教えてもらうためのものです。「させていただく」ことはあっても、私欲や教団エゴの「ためにする」ことはありえないのです。
 
ありがとうございましたm(__)m
2003
.9.27
土曜
こんばんわ

夕焼けのお写真は久しぶりです(^^ゞ
(move?さんより)

ところで、みなさん、北浦華子さんって知ってますか(^_^;)

そう、別名「ロッカーのハナコさん」ともいわれてます(^_^;)

このテレビドラマ(NHK)僕好きです(^_^;)

お化けも大変可愛らしいオフィース・ガールですしね(^○^)
(ともさかりえ:主人公)

こんなお化けなら何度出てきてもいいですね(^_^;)

さきほどから再放送をしていたので、見入ってしまいました(>_<)

http://www3.nhk.or.jp/drama/

http://www3.nhk.or.jp/drama/yokokuhen/index.html
http://www3.nhk.or.jp/drama/archives/hanakosan/
http://www3.nhk.or.jp/drama/drames/23renzoku/33/page_001.html

けっこう面白いですよ、お暇な時はご覧下さいね(^_^;)


本日の感じるお話です。
     大切な連れ合い    庭野日敬  (1992年、平成4年)

 家庭がうまくいっていないご主人が、法座で「奥さんにありがとうと言えるようになる」ことを約束したのですが、そのひと言が、なかなか言えない。「おれが女房を養ってやっているんだ」という気持ちがあって「なんで自分のほうから」というこだわりで、その言葉が出てこないわけです。

 けれども法座にすわるたびに「もう、奥さんにありがとうと言えましたか」と確かめられて、ある日、思いきって「ありがとう」というひと言が言えたのですね。すると、それがきっかけで、奥さんの苦労がいろいろ見えてきたというのです。朝早くから起きだして食事を作り、下着まで洗濯してくれて、夜は、どんなに遅く帰っても、起きて待っていてくれる。心から「ありがたいな」と思えるようになったのですね。

 私たちは、さまざまな人や物のおかげで暮らしていながら、ふだん、それが自分にとってどれほど大切な存在であるかが、まるで見えていないのです。

 相手のありがたさ、相手の尊さを思い知って、心から合掌するのが供養です。その真心の供養ができると、まわりのすべてに感謝せずにいられなくなってきます。これが信仰の原点です。
ありがとうございましたm(__)m
2003
.9.26
金曜
こんばんわ

宮沢賢治さんの詩を詠みたくなりました。
(カタカナを平仮名に変えましたm(__)m)
---------------------------
アメニモマケズ

雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫な体をもち
慾は無く
決して瞋らず
何時も静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分をかんじょうにいれずに
よく見聞きしわかり
そして忘れず
野原の松の林の蔭の
小さな萱ぶき小屋に居て
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろと言い
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにデクノボウと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
私はなりたい
------------------------------
ありがとうございましたm(__)m

本日の感じるお話です。
     仏さまの願いに合わせる    庭野日敬  (1989年、昭和64年)

 一生懸命に信仰しているのに、どうしてこんな苦しい目に()わなくてはならないんだろう、と恨めしく思うことが、だれにもあるのではないでしょうか。この世は苦の娑婆(しゃば)忍土(にんど)ですから、嫌なこと、思いどおりにならないことにぶつからないわけにはいきません。

 しかし、そういう苦しいことにぶつかったとき、私は「これは、仏さまがきっと大きな功徳をくださろうとしているのだ」と考えることにしているのです。すると力がわいてきて、苦が苦でなくなるのです。

 道元禅師(どうげんぜんじ)は「この生死(しょうじ)は、すなわち仏の(おん)いのちなり」と教えておられます。

 私たちが自分の健康、商売繁盛、家内安全を神仏にお願いするのは、よく考えてみると、こちらの願望に仏さまを従わせようとすることにもなりかねません。そうではなく、逆に仏さまの願いに自分を合わせていくのが信仰です。

 この苦しみで、仏さまは何を教えてくださろうとしているのだろうかと思いを()らしていくと、仏さまが私たちを目覚めさせようと心をくだいてくださっているのが、はっきりと身に感じられてきます。そのときにパッと新しい世界が開けてくるのです。
ありがとうございましたm(__)m
2003
.9.23
火曜
おはようございます

緑が眩しいお写真ですね(^○^)
(move?さんより)

日記はその日が終わってから書くものではありますが・・・・

書きたい時に書きませんと続きません(>_<)

昨晩も何故か疲れていて、早々と寝てしまいました(^_^;)

今朝は7時ごろから目が覚めて相変わらずパソコンのスイッチを入れて、世界情勢を確認しておりました(>_<)

先日来、なかなか寒い日が続いておりましたが、今朝は暖かな日差しがさして大変気持ちの良い朝であります。

今朝、たまたま読んでおりましたコラムは以下の二つのサイトです。

http://www.president.co.jp/pre/special/aiai/index.html「aiaiの喜゜C"愛"楽

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/7219/index.html「心理コラムのサン」

なかなか面白いお話をされておりますので、みなさんも覗いてみてください(^^ゞ


本日の感じるお話です。
     希望を持たせてくれる人    庭野日敬  (1986年、昭和61年)

 作家の遠藤周作さんは人生を楽しむ名人で、碁石を一度も持ったことのない人だけの囲碁の会をつくられたそうです。しかし講師の先生は本物で、"教え上手"と定評のある日本棋院の長谷川加与子先生が顧問。

 その会のことを紹介されている評論家の藤田昌司さんによると、長谷川先生の名人たるところは、初めて教わる人でも「まぁお上手。その一手、あなた天才よ」とほめちぎるところにあるそうで、大先生にそんなふうにほめられると「ひょっとして、おれは天才かもしれない」という気になってくるというのです。

 どんな習い事でも同じですが、自信と希望がないと、単調で苦しい練習が続かないのです。

 アイドル歌手の岡田有希子さんが飛び降り自殺してから、少年少女の自殺の報道が続きました。学校、試験、塾と追い立てられる希望の見えない毎日から、どこかへ逃げ出したい子どもが、たくさんいるのではないでしょうか。

 子供たちは本当に信じられる人、希望を持たせてくれる人を求めているのです。

 その支えがあって初めて、毎日の地道な勉強にも耐えていく力が生まれてくるのだと思うのです。
ありがとうございましたm(__)m
2003
.9.18
木曜
こんばんわ

紅葉をじっくり眺めたいです。
(move?さんより)

今晩は鈴木秀子氏のお話を引用させて頂きます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なぜ、君は待たなかったか、その重みが、

耐えられぬものとなるまで、その時、

その重みは逆転するのだ、

それはただそんなに純粋だから

そんなに重たいのだ。

   ----リルケ『鎮魂歌』----
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『・・・・・・・
ヨノさんは生涯のなかで一番恥ずかしいに違いない、みっともない生活をさらけだしながら、それを通して、救い主であるイエスに、「この惨めな自分のところへ迎えに来て下さい」と叫んで最期の瞬間を閉じたのです。
 人間というものは、たとえどんな人であろうとも、その人にとってマイナスだと思われてきたことが、あるいは一生の汚点であることが、最期の土壇場でひっくり返り、プラスになり得る現実を、この目で確かに私は見たのです。
 売春婦としての過去を背負っていたヨノさんも、見栄っ張りで毛嫌いされていた福士さんも、終焉の瞬間に、全生涯に光を当てられ一生を完結したのでした。

 こうした恵みが、いつの瞬間に与えられるのか、それは人智のはかりしれぬことでしょう。私はよく芥川竜之介や有島武郎や太宰治そして川端康成などの死を思い巡らします。すると必ずリルケの詩が思い出されます。それは、まさに彼らのために書き残されたと思えるのです。

・・・・・・上述の リルケの詩『鎮魂歌』・・・・・

リルケは名もない小さい人たちに働く「恵みの瞬間」についての叡智を持った詩人に違いありません。と、同時に辛い最期を遂げた芸術家たちの姿は、生きている私達に激しく挑戦し生きる意味を問い続け、彼らの生と死を通して、私達の惨めさが光に逆転するよう促しているように思うのです。』
      「死にゆく者からの言葉」鈴木秀子著---光に逆転するとき---より・・・
2003
.9.14
日曜
こんばんわ

みなさまお元気ですか(^o^)丿

昨日・今日と出勤でしたので、今は少々のんびりとページの更新をさせて頂いております(^^ゞ

残暑が厳しくて大変ですね(>_<)

できれば、涼しそうなお写真でもと秋の風情が感じられるものを選んでみました。
(move?さんより)

明日はお休みでゆっくりできます(^^ゞ

すでに次男坊・長女と無事我家に帰ってまいりまして、昨晩も遅くまで起きていたようであります(^_^;)

僕はとりたてて、野球は見ませんので、どちらの球団が優勝されるにしてもあまり興味はありませんですね(^_^;)すいません(^^ゞ

先日見た『アメリ』のような映画らしい映画をまた観たいと思いました(^_^;)

まぁ、時間と心の許す時にじっくり発見出来ますことを期待して、お休みすることといたしましょう。

でわでわ、みなさま、おやすみなさいm(__)m

本日の感じるお話です。
     不幸な人       庭野日敬  (1974年、昭和49年)

 「人間なんて当てになるもんじゃない」とか、「いくら教育したって、しょせん、人間なんて変わるものじゃない」と、なにごとにつけても、ひねくれた見方をする人がいるものです。

そういう人は、「人間というものは、どうにも救いようのないものだ」と決め込んでしまい、そういう一面しか見ようとしません。そんな人を見ると、私は気の毒で仕方がないのです。

 仏教では、人はみな仏になれる性質を持っていると教えます。貪欲(とんよく)によって表面が(あか)で覆われているだけで、煩悩(ぼんのう)の垢の奥に、磨けば光るすばらしい素質がそなわっているのだと見るのです。だからこそ、その素質を磨き出す修行に意味があり、そこに宗教の存在価値があるわけです。

 人間が生まれつき救いようのないもので、決して変わることのないものであるのならば、教育とか教化(きょうけ)活動はなんのために行われるのでしょうか。人間は教育により、磨き方によってよりよくなるものだと信じているからこそ、教育に情熱を注げるわけです。

 信頼は相手が善なるものと思えばこそ成り立ちます。私たちは、すべての人の仏性(ぶっしょう)を信じて、それを育て上げる努力を惜しまずに続けてまいりましょう。
ありがとうございましたm(__)m
2003
.9.10
水曜
こんばんわ


ここ数日、誠に暑い日が続いております(^_^;)


こちらのお写真は「青森県白神山地」だそうです。

今でも、きっと鬱蒼とした緑に包まれている事でしょうね
(8月末の撮影とのこと(^^ゞ)

(精霊達の森さん)より


えーと、今晩は、我家が静寂に包まれていると思いましたら・・・・・、今日から土曜日まで、次男坊はゼミナールの合宿で秩父方面へ、また長女は軽音楽部の合宿で新潟の湯沢へ行っているとのことでありました(^_^;)

つまり家内と二人だけで静かな生活をすることになったようであります(^_^;)

もっとも、家内はテレビ、僕はパソコンというパターンはまったく変わりませんけどね(^。^)

うーむ、次のお休みにでも、安いDVDを探して、何回か「アメリ」に逢いたいです(>_<)

せめて手持ちの写真だけでも、見ていたい(^_^;)





本日の感じるお話です。
     せちがらい世にも         庭野日敬  (1980年、昭和55年)

 このせちがらい世の中で、人のことなどかまってはいられない、自分の得になることならするが、ちょっとでも損になることは知らぬ振りをする、というのが大方の人の生き方でしょう。

 せちがらい世の中とは、世渡りの難しい社会といってもいいでしょう。自分を第一にしなければ負け犬になってしまうと考えるのは当然かもしれません。とりわけ現代の社会はそれが顕著で、その中で、
 「世のため、人のために奉仕する」といった生き方は一見、愚かなことのようにも見えるのですが、しかし、よく考えてみてほしいのです。

 人間は有史以来、物心両面の幸福をめざし、平和でありたいと願って必死に生きてきたのに、いまもってこの世界から争いはなくならず、不幸はあとからあとからふりかかってきます。いや、幸福を求めれば求めるほど、、さまざまな形で新しい不幸が増えていくのです。

 その原因をよくよく突き詰めていくと、それが自分だけの幸福を求めた結果であることに気づかされるのです。

 理屈が達者で小賢(こざか)しさばかりが目立つこの世で、他のために尽くす大愚(たいぐ)に徹するのが仏道であり、そこにしか真の幸せに至る道はないのです。
ありがとうございましたm(__)m
2003
.9.8
月曜
こんばんわ

本日も『男衾村-復興計画』という自然のフリー写真素材集のサイトにお邪魔しました(^^ゞ

「花麒麟」
ハナキリンの花が咲き始めました。毎年夏の終わりごろから咲き始めるのを見かけます。今年もおなじように割いています。鮮やかな紅の色ですね。トゲトゲの幹からはあまり想像できない、小さくてささやかな花です。

今日も曇っています。最近は月がとても明るいのですが、天候によってあまり見ることができません。日中はセミの鳴き声が減る代わりに夕方にスズムシの音色が増えてきました。この音色とともに、月見したいものです(^-^


管理人さんのコメントですm(__)m

変わったお花がたくさんあります(^_^;)
(僕が知らなさ過ぎるのか(^○^))





うーむ、ネタがない(>_<)

静香ちゃんまで出してしまった(>_<)

じゃぁ次は・・・・閑古鳥(>_<)



仕方ない、キャッチミー・イフユーキャンのワンシーンをちょっと・・・・・(>_<)

写真の真中のキャプテン風はディカプリオ扮する詐欺師です。
飛行場から逃走する企てとして、パンナム社員に成りすまし、近くの女子大に研修スチュワーデスを募集!!等と言って適当に(何も知らない)彼女達と空港に潜り込み、まんまと捜査官を煙に巻くシーンです。(^_^;)
ちゃんと本人に見立てたオトリを置いて、まんまと、トム・ハンクスを出し抜こうとしているとこ(>_<)

本日の感じるお話です。
     君子は己に求む         庭野日敬  (1965年、昭和40年)

 『論語』に、「君子(くんし)()れを(おのれ)に求む。小人(しょうじん)()れを人に求む」という言葉があります。

 何か失敗をしたとき、「彼が力を貸してくれなかったからだ」「彼がしくじったからだ」と責任を他に転嫁(てんか)して、自己の反省を忘れがちなのが私たちの常です。

 しかし、「なさざるは受くることなし」というように、自分にふりかかってくることで、自分にはまったく責任がない、ということはありえないのです。

 事の原因を自分の内に探ってこそ、同じ失敗を繰り返さずにすむのです。
ありがとうございましたm(__)m
2003
.9.7
日曜
こんばんわ

本日のお写真は
『男衾村-復興計画』という自然のフリー写真素材集のサイトにお邪魔し、お借りしました(^^ゞ

「韮の花」
とてもきれいな白ですね。ニラの花です。ニラは食用だけでなく、観賞用としても綺麗ですね(笑) ニラの花にはたくさんの虫がやってきていて、これはその中の一匹、ハナアブです。

今日も晴れて暑くなりました。先月と違うのは、日陰に入ると秋の涼しさを感じられたところでした。夏の高地の涼しさのような爽やかな空気です。秋なんですね〜(^-^

管理人さんのコメントですm(__)m

これからも、宜しくお願い致します。

さて、本日は、最近見た映画のお話です(^_^;)

まだご覧でない方はちょっと筋立てを読んでくださいね・・・・・

アメリ-テレビ東京
アメリ☆☆☆☆★
レビュー アメリ

もっとありますが、このくらいでいいですね(^_^;)

アメリのちょっと変わった性格形成や登場人物・心象の特徴ある表現の仕方が凝っています(^_^;)

物語としてのまとまり方やその主張が明るく、切ないけど一生懸命で、アメリの幸せを心から願ってしまいます(^^ゞそして、ハッピーエンドなんですね(^○^)
●カルチャー欲望-映画『アメリ』の金魚
アメリ-まぁええんとちゃうか
みなさんの解説もついつい見たくなります(>_<)

日々是映画-アメリ
作品の客観的な意味の捉え方も好みによってはその奇抜さから嗜好が分かれるかも知れませんね(^^ゞ
癒し系映画「アメリ」への疑問
こんな意見が出てくるのも、なかなか挑戦的な作風と言えるのではないかと思わせる、秀作なのです(^o^)丿


本日の感じるお話です。
     残された時間         庭野日敬  (1986年、昭和61年)

 天竜寺管長の関牧翁(せきぼくおう)師は、八十歳になられて「人に悪口を言われても、どんな嫌なことがあっても、もはやそんなことを苦にしている時間がなくなってしまった」と、雑誌の対談で話しておられました。

 日蓮聖人は、「臨終の事を習ふて後に他事(たじ)を習ふべし」と教えられましたが、若いみなさんは、臨終のことまでとても考えられないと言われるかもしれません。しかし、たとえば明日、ガンの宣告をされたとしたら、どうでしょうか。

 ちょっと人に言われたことで腹を立てたり、他人をねたんだり、損だ得だと息まいていたことが、なんの意味もなくなってしまいます。誤解や中傷などに振り回されている暇はないのです。

 残された時間に何をしなければならないか、ぎりぎりまで突き詰めていくと、全力を振り絞って、今の瞬間を、今日一日を生きることがどんなに大切か、思い知らずにいられなくなります。

 お釈迦様の教えは、生老病死(しょうろうびょうし)を宣告された人間の生き方を示されたものです。

そこがつかめると、どっしりと腰がすわってきます。
ありがとうございましたm(__)m
2003
.9.5
金曜
こんばんわ

奥入瀬の秋です(^_^;)
(精霊達の森さん)より


ええと、まったく関係ないお話なんですが・・・・・

うっっ、どうも僕は"お化け系"が苦手なんですね(>_<)

さっきまでテレビで『ほんとにあった怖い話』をぞくぞくしながら,見たり止めたりとオロオロしておりました(>_<)

もともと霊感系もまったくないお気楽系の人間なのですが・・・・・いい年して、まことお恥ずかしい(^_^;)

子どもの時から『世にも不思議な物語』などのテーマソングが流れてドラマ(外国)が始まりますと暑い夏の夜でも布団に潜って、汗びっしょりになりながら片目を開けて見ておりました(>_<)

最近の映画の『シックスセンス』でもおっかなびっくりで・・・・怖かった(^_^;)。

ハリー・ポッターの寮付きゴーストみたいにちゃんと時候の挨拶をしたり普通に会話してくれるとまだいいのですが・・・・・どうも恨みや憎しみが残ってたりすると・・・・・大変気味が悪いです(>_<)

今日は暑い夜ですが・・・ぞくぞくと背筋が寒くなる、みっともない、お話でした(^_^;)

うーん、遊園地のお化け屋敷も苦手だったなぁ(^_^;)・・今でも夜に、一人で入れと言われたら具合悪いなぁ(>_<)

それと、ジェットコースター系も具合悪いなぁ(^_^;)・・・なおちゃんも怖いから絶対にイヤッッといつも言っておりますね(^_^;)

発想を変えて、マジになればなんとか持ち直すかもしれませんけどね(^^ゞ

でわでわ、おやすみなさい(^○^)

今日の感じるお話です。
     マイナス が プラス   庭野日敬      (1995年、平成7年)

 人生には、さまざまな困難があります。その困難に押しつぶされる人もいれば、それをバネに飛躍する人もいます。

その違いは、「くじけるものか」と気力を奮い立たせるか、「もうだめだ」と投げ出してしまうか、その違いだと思うのです。

どんなことにも、よい面と悪い面が表裏になっています。

それをよいことと悪いことの二つに分けて、これは自分にとってプラスになる、いやマイナスだ、と決め付けてしまうのは、その時の目先の事しか見ていないからです。

それをもう一度裏返してみる。反対側からも見る習慣をつけるのが、仏教の智慧(ちえ)、人生の極意(ごくい)といえましょう。

松下幸之助さんは、貧乏だったこと、学歴のないこと、病身だったことを成功のバネにされた方でした。

そのどれをとっても、ふつうなら大きなマイナス要素です。「自分ぐらい恵まれない人間はいない」と意気消沈しかねないところですが、松下さんは、それを活力に変えられたのです。

 若さには、つまづきがつきものです。受験の失敗や失恋も、その裏に得難い人生の宝が隠されていることを忘れないでほしいのです。
ありがとうございましたm(__)m
2003
.9.4
木曜
こんばんわ

9月になりました(^o^)丿

紅葉のお写真はいかがですか。
秋も近いですしね。(move?さんより)

しかし、生憎残暑なのか、かなりむし暑い(^_^;)

今月は敬老の日(9/15)と秋分の日(9/23)の祝日もありますので少々、読書・映画鑑賞・お買い物?とか楽しめそうですね。

最近は忙しくて、パソコンのスイッチも入れてない・・・・・といったこともたまにお聞きしますが・・・・・
僕の場合は、まったくそういったことはありません(>_<)

いろいろと趣味を調整しながら(^_^;)落ち着いたのが、このパソコンなので、・・・・これをやめると・・・他に楽しみながらすることも、なくなります(-_-;)

心理的に相当参ったというような日はそのまま寝てしまうかもしれませんが、パソコンをのぞかない日はありません(^_^;)

そんな中で、見るだけでも楽しめるのがたくさんの素敵なお写真なんですね。

僕のホームページでも、ふんだんに写真を使わせて頂いておりますが、自分が使用する数台のパソコンなどでも、普段から楽しめるように壁紙ソフトを利用して(エキサイト壁紙)いろんな画像を眺めています。

ここのソフトは自分のファイルに入っている家族の写真なども自由に取り入れられますので(当たり前だよね(^_^;))そんなのも壁紙にして楽しみます。先日の長男の結婚式の写真などもそうやって眺めています(^^ゞ

エキサイト壁紙のコーナーにも素敵なお写真が大量にありますね。いろいろ短時間に画像を切り替えて飽きさせません(^^ゞ設定も自由に変更できます。

個人的にローカルのパソの壁紙として使用しているだけですので、ウェブサイト上の素敵なお写真も実はたくさん見て、気に入ったものも壁紙にしています(^_^;)

http://www.finepix.com/lineup/sample.htmlこんなものもまでね(>_<)

また、今はやっていませんが、みなさんのページを見てますと、WEBリングというのもよく見かけますね。

僕としては、あまり騒がしいのも好きではありませんが、同じ趣味のお友達探しや素敵なページに出会えるきっかけになるかもしれませんので、これはこれでなかなか素敵だな、と感じました(^^ゞ

http://www.webring.ne.jp/ ご参考までに(^o^)丿でわでわ。


本日の感じるお話です。
  まわりを味方にする    庭野日敬  (1998年、平成10年)

 まわりと仲良くすることが仏道の極意(ごくい)、と言ってもいいのではないかと私は思うのです。
あっちでぶつかり、こっちで人に突っかかっているようでは、仏道修行は落第です。

 家族や職場の仲間はもちろんのこと、毎日起こるすべてのことと仲良しになってしまうのです。
仏道とは天地の(ことわり)、宇宙の大法則と溶け合って生きることだともいえましょう。

そうして、まわりじゅうと仲良しになろうと努力していると、すべての人、すべてのことが自分に力を貸してくれるようになって、前へ前へと押し出してもらえるのです。これが安楽行です。

 こちらのほうがずっと楽な道なのですが、みなさんが、わざわざ人に突っかかったり、まわりに当たったりして悪戦苦闘しているわけです。「極楽は行きやすくして人なし」で幸せへの道のほうがずっと楽なのですが、分かってはいてもなかなかそれができないわけです。

 ですから、一つ一つ周りの人に教えを受けながら「今日はこれができた」「ここが一つ上達した」と毎日の自分を振り返って一段一段上がっていく努力を続けていく。

 周りの人を味方にし、師としていけば必ず卒業証書をもらえる日がきます。
  
ありがとうございましたm(__)m


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