わがまま日記

( ̄。 ̄;)2003.11
HOME 人生の応援歌 ハリポタ大好き お友達 りかちゃん
2002.7-8-9-10-11-12  2003.1-2-3-4-5-6-7-8-9-10-11-12
2004.1-2-3-4-5-6-7-8-9-10-11-12 2005.1-2-3-4-5-6-7-8-9-10-11・12
おはなし掲示板 個人ニュース こころの散歩道  Next
過去ログ(^_^;)へBBS4つ お天気プラスone情報源朝日読売日経
精霊達の森move?デジタルフォトギャラリー素材散策自然いっぱいの素材集web素材

10月へ(^○^)12月へ(^o^)丿
ベストを 尽くす 
2003
11.24
月曜


早朝版
(^_^;)
おはようございます

ちょっとご無沙汰、すいません(^^ゞ

お写真は、尾瀬のヒツジグサだそうです、綺麗ですね(^^ゞ
(壁紙村さんより)

今朝、掲示板に、りかちゃんから書き込みがありましたので、もう一回読みたくなりました(^o^)丿

調べてみましたよ
(^○^)
------------
■男子は入野が初V、女子も星野が初 大田原マラソン

 第16回大田原マラソン大会(大田原市、栃木陸協など主催、下野新聞社など後援)は23日、大田原市の美原運動公園陸上競技場を発着点とする日本陸連公認コースで男女フルマラソンなどに全国から約1700人が出場して行われた。

 スタート時の気温が10度。快晴、無風の好コンディション中でのレースとなった。フルマラソン男子は招待選手の入野勉(NTN)が2時間16分44秒で初優勝。同女子は招待選手の星野芳美(eA静岡)が2時間39分13秒で、こちらも初優勝を遂げた。入野は40キロすぎで先頭の足立康光(愛三工業)をとらえるとそのまま逃げ切り、自己ベストでゴールした。星野は序盤から積極的なレースで先頭に立ち、前回10秒差で2位に終わった雪辱を果たした。

 年齢別で争われた10キロの部は男子29歳以下はジョセフ・リリ(NTN)が、女子39歳以下は室井香織(黒磯南高)が39分25秒で頂点に立った。

 フルマラソンの男女の上位入賞者はパリマラソンに派遣される。』
   下野新聞社より
-----------------------------

『大田原マラソンはなんとか優勝できました。去年10秒差で2位だったのでうれしいです。
しかし給水が異常に少なくてほとんど取ってなかった状態だったんでゴール後は担架で運ばれました。
やま兄さんが応援に来てくれた東京国際を同じ失敗を繰り返しました。
もう二度と過ちを繰り返さないようにしてまた頑張ります。』

   りかちゃんより 一言BBS今日も元気でのコメントです(^o^)丿
-----------------------------

すごいなぁ(^○^)、りかちゃん、優勝おめでとう(^o^)丿
なるほど、かなり脱水状態でのゴールインだったんですね。大丈夫ですか。
気力で走りぬいて、倒れる限界まで自分を持っていくことはそうそうできるものではありませんが、見ている方はハラハラ・ドキドキでね(^_^;)
前回からの雪辱ということでもあり、やりましたね(^○^)

まずは、早朝版ということで、よろしくお願いします(^_^;)


本日の感じるお話です。
    いつも初めて聞く気持ち   庭野日敬   (1998年、平成10年)

 「同じことを聞いても、いつも初めて聞く気持ちで聞くのが信仰というものだ」と蓮如上人(れんにょしょうにん)は教えておられます。仏道の修行では、同じことを繰り返し繰り返し説き聞かせ、それを繰り返し繰り返し聞く。それが大事な修行なのです。ところが慣れっこになると、「また同じ話しか」とついなおざりな聞き方になりがちです。

 佼成会の法座でも、「自分が変われば相手が変わる」と耳にタコができるほど聞かされますが、一度や二度聞いたくらいではじきに忘れて、自分を棚に上げて、人を責めてしまうのです。

 何度も何度も聞かされて、ようやく「そういうものかもしれないな」と思い、夫婦げんかになりかけたとき、思い切って自分から謝ってみると夫が変わってくれる。そこで「なるほど」と心から納得できるわけです。また、どうしても許せないと恨んでいた相手に自分から思い切って懺悔(さんげ)したら、相手が思いがけない優しさを見せてくれて「これこそどんな相手にも通じる真理だ」と腹の底から信じられるようになっていくのです。

 「また同じ話か」という気持ちで聞いていたのでは、どんな尊い教えも身にしみていきません。
 
ありがとうございましたm(__)m
2003
11.15
土曜
こんばんわ

吉野 弘さんが、別の詩で言われていました。

ひとが
ひとでなくなるのは
自分を愛することをやめるときだ。


自分を愛することをやめるとき
ひとは
他人を愛することをやめ
世界を見失ってしまう。


自分があるとき
他人があり
世界がある。


と、・・・・・改めて考えさせられます。
------------------------------

  「生命は」

生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする

生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
(あぶ)の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も  あるとき
誰かのための(あぶ)だったろう

あなたも  あるとき
私のための風だったかもしれない

             吉野 弘


----------------------------------
ありがとうございましたm(__)m
2003
11.12
水曜
こんばんわ

紅葉近影といったお写真でしょうか。
(壁紙村さんより)

日によって、思わぬトラブルが発生し、それもちょっとした不注意や油断から相手はおろか自らも被害をこうむるというのは、誠に気持ちが萎えてしまうような嫌な事であります。

今日は、そんな反省多き日でもありました。

そういえば、どこかの大手商社のショッピングサイトで、198000円のパソコンを誤って19800円と、桁を違えて表示し、ネットに載せてしまったそうな。
大慌てで訂正したものの、その後の抗議の大きさに、(意地を見せて)、最初の訂正のお願いを再び改めて、注文されたお客様の当社への信頼を損なわぬよう、そのままの価格で販売したそうな。
2億円の損失もなんのその?ということか。 なんとなくその後の担当者の悲惨な状況が想像されるニュース。
「PC価格1けた誤り、2億円以上の損」
近頃の常軌を逸した殺人事件よりは、よっぽどマシなお話ですが・・・・。

----------------------------

 人間は誰一人として理想を生きてはいない。
理想は持ちながら、現実は妥協で生きている。
我々の生きる現実、対面する真実は、理想に程遠く、善悪の区別にも歯切れが悪く、どっちつがずである。
しかしむしろその曖昧さと混沌に絶えることが、人間の誠実さと強さというものなのである。
それに、或ることの醜さを自覚している限り、人間は決して本質的には醜くならない。

『「ほどほど」の効用(安心録)』
(曽野綾子著--11.美醜・年齢を超えて自分らしく生きるために--「二十一世紀への手紙」より)

----------------------------

本日の感じるお話です。
 君子は己に求む  庭野日敬  (1965年、昭和40年)

 『論語』に、「君子(くんし)()れを(おのれ)に求む。小人(しょうじん)()れを人に求む」という言葉があります。

 何か失敗をしたとき、「彼が力を貸してくれなかったからだ」「彼がしくじったからだ」と責任を他に転嫁(てんか)して、自己の反省を忘れがちなのが私たちの常です。

 しかし、「なさざるは受くることなし」というように、自分にふりかかってくることで、自分にはまったく責任がない、ということはありえないのです。

 事の原因を自分の内に探ってこそ、同じ失敗を繰り返さずにすむのです。
ありがとうございましたm(__)m
2003
11.10
月曜
こんばんわ

こちらはシャクという植物だそうです(^_^;)

なんとなく素材っぽかったのと、不思議な魅力を感じたもので採用です(>_<)
(壁紙村さんより)


---------------

『 悲しみの中から、人間の共感に目覚めた人たちについても尊敬をこめて語りたいと思う。私自身の体験からみても、自分に辛いことがあると、多くの場合、そのことだけにうちひしがれて、とても他を思いやる力などなくなるのが普通だからである。

 夫も医師、息子も医師という家庭の母のことは、ずっと私の心の中にある。秀才の息子は二十代の終わりから重症筋無力症を病むようになり、入退院を繰り返していた。

 その年は「障害者年」であった。この母は同じような苦しみを持つ人たちに何かしたいと考える。息子の運命への深い(いた)みから出た思いであろう。

 息子の病気自体はかなり良くなって来た、と母は書いている。しかし後から後から薬害に悩まされている。
骨粗しょう症、尿管結石、白内障・・・・・しかし、白内障に関しては、私の『贈られた眼の記録』という本が青年の気を取り直すのに役立ってくれた、とこの母は書いてくれる。作家の光栄であった。白内障は私のような強度近視でない限り、「よくなる可能性」が普通の病気である。

 しかし、こんな苦しみの中でも、自分たちは、気持ちのいい家に住み、暑くも寒くもない清潔な暮らしをしている。食べるためや治療を受けるための費用も一応心配する必要がない。治療の方法も、家族が心を一つにして病気の回復を願う温かさも持ち合わせている。しかしもし、病気を抱えながら、濡れずに生きられる家や、薬や、お金がなかったら、耐えて生きることはどんなに辛いだろう、とその母は思うのである。

 悲しさがかたわらへの深い思いやりに変わる姿を私はまざまざと見せ付けられたのである。苦しみが人を深め高める、などという言い方を、「その苦悩」を持っていない人間には言う資格がないのかもかもしれない。しかし、何はともあれ、苦悩は人を深めていく。・・・・ 』

『「ほどほど」の効用(安心録)』==10.どうすれば自分の「生」に自信が持てるか==
(曽野綾子著----副題=苦悩は人を深め、高めていく人生の要素=、「神さま、それをお望みですか」より)

-----------------------


本日の感じるお話です。
     一つに徹する          庭野日敬  (1974年、昭和49年)

 のどの(かわ)きを(いや)すのには、一杯の水があれば十分です。なにも貯水池ほどの水を必要とするわけではありません。仏教を学ぶとき、いたずらに万巻の経典を読みあさっても、逆に、それに(おぼ)れて教えの核心を見失いかねません。

 教養を深めるために数多くの書を読むことも むだ とは言えませんが、「一つの経典に徹しきってこそ、そこから悟りが生まれるのだ」と先師は教えています。一つの経典どころか、経典の一つの言葉であってもいいと思うのです。 そのよい例が、教えを少しも覚えられないお弟子の周梨槃特(しゅりはんどく)に対して、お釈迦さまが「(ちり)を払い、(あか)を除かん」という一句を唱え続けさせて悟りを開かせた逸話(いつわ)です。 周梨槃特は、その一つの言葉、精舎(しょうじゃ)を清める一つの行で、自分の心の垢を払う行を成し遂げたのです。

 佼成会の法座では「自分が変われば相手が変わる」と教えますが、どんな人に対しても、どんな問題に対しても、その言葉どおりに信じきって対することができれば、仏教の真髄(しんずい)が体得できます。 この言葉に、仏さまの縁起(えんぎ)の教えが凝縮(ぎょうしゅく)されているのです。まず、一つのことに徹してみることです。
ありがとうございましたm(__)m
2003
.11.9
日曜
こんばんわ

今日は選挙でしたね(^o^)丿
2003総選挙=朝日==読売==日経=

夕方近くでしたが、最寄の小学校へ行き、投票してきました。

あまり投票率は良くなさそうですね。

なかなか込み合っておりましたね、まぁ二大政党制への期待を込めた感じの相談を家内としながら投票しました(^_^;)

もうじき投票結果が出ると思いますが、かなり波乱含みの結果にも、なりそうです。

お写真は(^_^;)今日もコスモスです。
(move?さんより)


-------------------------

『 人間には余裕というものがほしい。

上等な話ばかり聞きたがるのは、幼稚な優等生で、秀才ほど誰の話でも聴くもんです。

 若い頃、ニューデリーに行ったときに、いろんな特派員がおられたけど、その中の一人が新聞記者としても優秀な人で、人間的にとても素敵な人でした。

 ニューデリーの住宅街では、孔雀の羽根とか、くだらないおもちゃとかをもってくる物売りが入れ替り立ち替りベルを押してやってくるんです。

知識の部分では特派員ていうのは、大学を出て、語学もできる優秀な人でしょう。その人が、やっとカタコトの英語をしゃべれるようなおじさんを、「カムイン、カムイン」と引き入れて、くだらない世間話をする。その光景は、ああ、この人はとても優秀な特派員なんだな、と思わせるものでした。つまり、くだらないことをたくさん聴くことによって、ある偉大な真理をみつけていく人の典型をみたんですね。

『「ほどほど」の効用(安心録)』
(曽野綾子著--10.どうすれば自分の「生」に自信が持てるか--「人はみな「愛」を語る」より引用)

--------------------------

最近は100円で本も買えますので、助かります(^_^;)
それでは、おやすみなさい(^o^)丿


本日の感じるお話です。
   鬼を仏に変える   庭野日敬  (1998年、平成10年)

 税所敦子(さいしょあつこ)さんという明治の女流歌人がいました。才知と詩才を兼ね備えた人で、掌侍(しょうじ)として昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)にお仕えした方ですが、夫と子どもに先立たれて、お(しゅうとめ)さんと二人きりで暮らすことになりました。ところがそのお姑さんが鬼といわれる怖い人で、もう事あるごとに嫁いびりをするのです。

 ある日、そのお姑さんが、「あんた、歌人ならこれで歌を作ってみよ」と言って「鬼(ばば)ァと人はいうらん」という難題を敦子さんに与えました。 敦子さんはそれに、「仏にも似たる心と知らずして」と(かみ)の句をつけたのです。

 「仏にも似たる心と知らずして鬼(ばば)ァと人はいうらん」・・・・・・・・・

敦子さんが()んだその歌を見て、お姑さんは涙が止まらなくなってしまいました。 「すまなんだ。すまなんだ」と繰り返し、それからは、もう敦子さんなしでは夜も日も明けぬ毎日で、最期は、敦子さんの(ひざ)に頭をのせて安らかに息を引き取られたといいます。

 清水寺(きよみずでら)大西良慶(おおにしりょうけい)師からうかがった話ですが、人はこちらの見方で鬼にも仏にもなります。

 人を仏にする見方、それが仏さまの見方です。
 ありがとうございましたm(__)m
2003
.11.8
土曜
こんばんわ

コスモスにも色々ありました(^_^;)

こちらも「あかつき」なんでしょうかね?(^_^;)
(move?さんより)

本日は少々忙しく、疲れました(>_<)

----------------

『・・・・こうしたパソコン通信の一番初歩的な効果は、第一に情報を手軽にたくさん得られること、第二にはホームページというもので、自分の生活(存在)を知らせたい、人の生活や仕事を覗きたいということが満足させられるという説明である。

 この気持ちはよくわかるけれど、私など自分の生活などひた隠しにしておきたい。
自分が何をしているかなど、作品として発表するもの以外は、ベールに包んでおきたいのである。
実際はベールに包むほどのことは何もなく、平凡も平凡、暇さえあれば、ヒルネ、オフロをこのうえなく愛しているだけのことなのだが、それだけになお黙っていたい。

 と同時に人のこともたいして知りたいとは思わない。いや正確に言うと、私にとっておもしろいのは人だけだと言ってもいいほどなのだが---そして事実私は信じられないほど多くの人と魂に触れた密かな会話をすることを許されてきたのだが---インターネットのホームページに書かれている程度の覗き見ではあまりおもしろくない。

 現代人の一つの情熱は、自分のことを人に語りたい、人のことを知りたい、ということらしい。
しかし私の作家的な体験によると、人間は、ほんとうのことは、よほど性格の変わった人でない限り、静かな密やかな場所で自分の好きな人にしか語らないものである。人はそうそう簡単に他人の魂に立ち入ることは不可能だし、許されるものでもないのだ。・・・・・』

『「いい人」をやめると楽になる』
(曽野綾子著--10.人は誰の本心も本当はわからない--「自分の顔、相手の顔」より引用)

----------------
なるほど(^_^;)・・・・・それでわ、おやすみなさい(^o^)丿

本日の感じるお話です。
    明日は分からないから    庭野日敬  (1971年、昭和46年)

 私たちは、自分が不幸になるようなことは、なんとしても避けたいと考えます。人は幸福の夢だけを思い描いて生きているともいえます。しかし、現実はそうはいきません。甘い夢があっけなく砕かれることのほうが多いのです。

 しかし、だからといって初めから「夢なんかかなうものではない」とあきらめてしまうのでは、生きていく喜びもありません。明日はどうなるかわからないからこそ、夢を描くことができるわけです。また、明日のことはわからないという不安から、「しっかり努力して、明日に備えなければ」という励みも生まれます。逆に明日のことがみんなわかってしまっていたら、生きる意欲のわかない、おもしろ味のない人生になるのではないでしょうか。

 「生きるとは、不安定を生きることだ。不安定でない人生はない」と言いきる人もいます。

 お釈迦さまも、まず「人生は苦である」としっかり認識することの大切さを説かれました。苦を見すえ、その原因を明らかにし、それを克服して真の喜びを見つけていく。それが人生だともいえましょう。
 信仰もそこから始まるのです。
 ありがとうございましたm(__)m
2003
.11.7
金曜
こんばんわ

今日も書きましょうね(^o^)丿

コスモスもこんなに接して見た事はありませんが、綺麗ですね(^_^;)
(move?さんより)

明日はもう土曜日なんですね(^_^;)

早い!!(>_<)・・・・


-----------

たぶん私たちがほんとうに困った時に、助けてくれるのは、けっして経済的に余裕のある人でもなく、権力者でもないのです。
それは、苦しみと悲しみを知っている人、なのです。
そう思って私たちは友情を見直すと、また新鮮な感動を覚えるのではないかと思います。

『「いい人」をやめると楽になる』(曽野綾子著--6品性が現れるとき--「聖書の中の友情論」より引用)

------------

それでわ、おやすみなさい(^o^)丿


本日の感じるお話です。
    第 二 の 矢    庭野日敬   (1995年、平成7年)

 人の苦しみの大部分は、この先どうなるか分からない、という不安感が作り出すものといっていいでしょう。

 たとえば、子どもが四十度もの熱を出してひきつけたりすると、「もしものことがあったらどうしよう」と動転して悪い方悪い方へと考えてしまいます。「いや、心配ありませんよ」とお医者さんが診断してくれると、とたんに苦しみは半減します。

 個人のことだけではありません。いま社会全体が大きな変動期に直面して、さまざまな不安が次々と起こり、お先真っ暗の思いでいる人が、たくさんいます。お釈迦様は、「教えを聞いた者と聞かない者との違いはどこにあるのですか」と問われて、「苦受の第一の矢を受けた上に、嘆き悲しみ混乱して第二の矢を受けてしまうか、一の矢は受けても第二の矢を受けることがないかの違いである」と教えられています。

 第二の矢は、自分の不安が作り出すのです。どんな事態に対しても、その苦をまっすぐに見据えて心を大きく揺るがせることがなければ、かりに第一の矢を受けても、傷はごく浅くて済みます。受けた矢を逆に飛躍の契機にしていくことができるようになるのです。
 ありがとうございましたm(__)m
2003
.11.6
木曜
こんばんわ


リンゴの花と岩木山だそうです(^o^)丿
(壁紙村さんより)

これが、リンゴの花なんですね(^_^;)

そして青森県は津軽平野の真中に岩木山が聳えているそうです。


本日の感じるお話は・・・魅力をつくりだす・・・ですが、久しぶりの再登場で、僕だけでなく、りかちゃんも大好きなお話です(^○^)

じっくり読まれてくださいね(^O^)

それでわ、おやすみなさい(^o^)丿






本日の感じるお話です。
    魅力をつくりだす   庭野日敬   (1995年、平成7年)

 「私なんかなんの魅力もないんだから、好きになってくれる人などいるはずがないんだ」と、自信をなくしている人がいるのではないでしょうか。 しかし、魅力とはなんなのか、よく考えてほしいのですね。私は、それは徳分(とくぶん)のことだと思うのです。

 明るく、思いやりがあって、周囲の人を幸せにしてあげられる力、それが徳分です。それをたくさん蓄えると福の神を引き寄せるのです。逆に、自分勝手で陰気な人は徳分がどんどん減っていってしまい、そこに貧乏神が入り込んできます。

 ふつう魅力と考えられている容姿や学歴や才知よりも、人としていちばん大事なものが、この徳分です。それは、人のためになることを心がけ、それをコツコツ積み上げていけば、だれにも備わります。それが備わると、無理に求めなくても向こうから良いことがやってきます。その魅力を分かってくれる人が必ず現れるのです。

 ただ、ちやほやされるような表面的な魅力よりも、人間としての本当の幸せをつかむ魅力を具えようではありませんか。その人間的魅力は、かりに困難にぶつかっても、それを自然によいほうに変えてしまう力になるのです。
 
ありがとうございましたm(__)m
2003
.11.5
水曜
こんばんわ

壁紙サイトを徘徊しております(^_^;)

素敵なお写真がいっぱいですね(^^ゞ

"個人であればご自由に"というお言葉に甘えさせて頂いております。
(富士の響さんより・・・撮影者様)

美しい富士の姿にうっとりです。

でわでわ、おやすみなさい(^o^)丿
2003
.11.4
火曜
こんばんわ

首都高速とありました
(横浜フォトさんより)

よく見慣れていますが色合いが洒落てますね(^_^;)

都会のワンシーンも味があります(^^ゞ

それでわ、おやすみなさい(^o^)丿
2003
.11.3
月曜
祭日
こんばんわ

今日のお写真は横浜の夜景で、大黒埠頭となっています。
(横浜フォトさんより)

素敵なお写真も多いので、ご覧になってくださいね。

今日はほぼ一日中シトシトと雨が降り続いておりました。

こんな日はあまり外に出たくありませんが、アーケードのある近くの商店街とちょっと離れたスーパーへ行きました(^_^;)

ブックオフで100円の本を一冊買いました。
それから850円の靴も買いました(^_^;)(通勤靴ですが、とっても柔らかくて好きなんですよ。2年前にも同じ靴を1000円で買いましたがいまだに履いています(^^ゞ)

スーパーは超大型店なので、家電関係も充実していますので、携帯電話も豊富でした。
さっそく、最近のauを手とって僕の気に入った赤いA5305Kもありました(^^ゞ
簡単に機種変更が出来るのかと思って聞いてみましたら、新規に購入して10ヶ月以上経たないと、4万なにがしとのこと(@_@)
僕のカメラ付き携帯は今年の7月ごろ入手しましたので、まったく対象外でした(^_^;)
・・・・・ほぼ、無料に近いお値段でないと携帯電話は入手しませんので(^_^;)・・・・・

もう少し、お待ちして、無料の100万画素カメラ付き携帯が出るのを楽しみにしたいと思います。

http://www.au.kddi.com/index.html  AU by KDDI
http://www.nttdocomo.co.jp/index.shtml  DoCoMo Net
http://www.tu-ka.co.jp/  TU-KA
http://www.vodafone.jp/scripts/japanese/top.jsp  ボーダフォン


本日の感じるお話です。
空老(くうろう)に陥るな  庭野日敬  (1969年、昭和44年)

 菩薩(ぼさつ)というと、私たちなど及びもつかぬ人格をそなえた人のように思うのですが、平たく言えば、人間らしい人間、人間としてあゆむべき道を正しく歩いている人のことなのです。

 人という字が互いに支え合う関係を表現しているように、人間は互いに協力しあうことなしには生きられない存在です。それを無視して自分勝手に振る舞い、「おれが、おれが」と自己主張をしていばりたがるのでは、人間らしい人間にはほど遠い存在になってしまいます。

 そうした無自覚な生き方をしている人に、自分がどれだけ周囲の人々に支えられて生活しているか気づいてもらうのが宗教です。 それによって、自分から積極的に人の支えになる生き方に目覚めてもらうのです。宗教に触れると、まわりに生かされている自分が見えてきて、人間としての生き方に目覚めずにいられないのです。

 ただいたずらに年をかさねていくのを「空老」といいます。空しく老いて一生を過ごしてしまうわけで、お釈迦さまはそれを(いまし)めておられます。自分の生き方はこれでよいのかと自分を振り返り、菩薩の生き方に立っていただきたいのです。
ありがとうございましたm(__)m
2003
.11.2
日曜
こんばんわ

白石の上に真っ赤なもみじが鮮やかです。
(壁紙村さんより)

えーと、朝方は家内を見送って(部屋からですが(^^ゞ)昨日の映画をボチボチと見始めました。

鑑賞中に、時間を分けて3度ほど家内からメールです(^_^;)

@9:20 バイトの時間なので長女を起こせとのこと。大渋滞なの。
A14:27 今の状況だと帰宅が夜の9時辺り。ビフォアアフターの番組を録画するように(>_<)
B15:20 さらに帰宅が遅れそうで、10時過ぎ。堂本兄弟の番組を録画するように(>_<)
・・・・・どうも、テレビ番組のことが頭から離れないようだ・・・・・・

実をいうと昨晩、朝の8時から午後2時まで「全日本大学駅伝選手権大会」を録画予約をしていたようだ(>_<)

家内 「パパ、明日の昼間駅伝のテレビ予約してあるから注意してね」
僕   「ということは、昨日借りた3本のビデオも小さな台所のテレビで見ろということか?
    朝・昼・夜のご飯も自分で作って食べると、きっと美味しいね(-_-;)、信州のまつたけもお蕎麦も僕には関係ないしね(~_~メ)・・・・」
家内 「考えてみれば、可哀想なので、うーん、駅伝は諦めるか、こっちのテレビで見ていいわよ」・・・・顛末記

・・・・・お陰さまをもちまして、ビデオをやや大きなテレビで見させて頂きました(~_~;)・・・・・

『ライフポッド』『スクリーマーズ』ですが・・・、あまり期待していなかった分なかなか楽しめましたよ(^^ゞ

両者とも、未来の宇宙空間での物語で、前者は狭い避難船の中の緊張感あふれる命がけの状況を冷静に描写していましたし、後者はある星の基地での戦いの物語です(^_^;)・・・・多少の整合性の乱れはありますが、奇想天外さが面白いと思いました。

そして『ストレイト・ストーリー』です。この紹介サイトの解説はなかなか良く書けています(^^ゞ

静かでゆったりとした流れの中で、お爺さん自身の人生のひとこまひとこまを出会う人達と共に振り返り、人生の機微とあるべきこころを示唆していきます。ラストのお兄さんとも10年来の和解は良かったですね(^^ゞ

ちょっと早めの"わがまま日記"ということにいたしましょう・・・・でわでわ(^o^)丿


本日の感じるお話です。
  愛情が栄養剤    庭野日敬  (1979年、昭和54年)

 草花や植木にあまり関心のない人に、「昼間は植木鉢を外に出して十分に日を当ててほしい」と頼んでも外に出せば出しっぱなしで、夕方になっても鉢を取り込むのを忘れてしまうといったことになりがちです。

 ところが本当に花の好きな人は、寒い風が吹けばすぐ取り込みますし、光が充分に当たるようにと、鉢をこまめに移動させて愛情こまやかに花を取り扱います。前者と後者では、当然、花の咲き方も、寿命も違ってきます。

 ある雑誌で読んだのですが、西ドイツの二つの孤児院で同じ食事を与えているのに一方の孤児院の子どもの成長が、もう一つの孤児院の子どもに比べてはるかに早い。どうしてそんなに違いが出るのか原因を栄養学者が調査してみたそうです。すると成長が著しいほうの孤児院では、院長さんが子どもたちを我が子のように扱い、鼻水を出している子どもがいればすぐに拭いてあげる。(ひま)があると子どもを自分の(ひざ)に抱いてあげる、といった育て方をしていたことが分かったのです。

 人を育てるのにいちばん大切なものはなんであるのかを教えてくれる好例ではありませんか。
  
ありがとうございましたm(__)m
2003
.11.1
土曜
こんばんわ

紅葉・もみじの絵ですね(^^ゞ
(move?さんより)

いよいよ11月に入りました。

ちょっと薄着で油断してますと、クシャミ・鼻水となりますので暖かくしていたほうが良さそうです。

先月下旬は、少しずつ観ていた映画の紹介もやや停滞してしまいました(^_^;)

明日でも徐々に整理して書きたいと思います。

なお、帰り際、今回もついつい借りてしまいました(>_<)

只、今回はいつもと異なり、SFものを2本、感動ドラマ?を1本借りました(^^ゞ

えっっ、題名ですか(^^ゞ『ライフポッド』スクリーマーズ』そして『ストレイト・ストーリー』です。

今、リンク用の解説ページを探しながら内容を見てましたが、ビデオ屋さんのおすすめSFとはいえ、イマイチそうな批評もあって・・・・難しそう(^_^;)・・・・まぁ、見てから、判断してみましょう(^_^;)


さて、本日、一日(ついたち)の感じるお話は、いつもの 『まわりを味方にする』 ですm(__)m


先生は、まことに単純でわかりやすい表現をもちいられて仏教の本質を説かれ、人さまや日々の出来事と仲良くなれなくて(しっかり受止められなくて)なんの仏教徒か、と、喝破(かっぱ)されています。

そして驕慢(きょうまん)なこころを捨てて、実践を通じて謙虚に道を求めていくことの大切さを諭されているのですね。

読むたびにまだまだ修行が足りない自分であることを教えて頂いています。m(__)m


本日の感じるお話です。
  まわりを味方にする    庭野日敬  (1998年、平成10年)

 まわりと仲良くすることが仏道の極意(ごくい)、と言ってもいいのではないかと私は思うのです。
あっちでぶつかり、こっちで人に突っかかっているようでは、仏道修行は落第です。

 家族や職場の仲間はもちろんのこと、毎日起こるすべてのことと仲良しになってしまうのです。
仏道とは天地の(ことわり)、宇宙の大法則と溶け合って生きることだともいえましょう。

そうして、まわりじゅうと仲良しになろうと努力していると、すべての人、すべてのことが自分に力を貸してくれるようになって、前へ前へと押し出してもらえるのです。これが安楽行です。

 こちらのほうがずっと楽な道なのですが、みなさんが、わざわざ人に突っかかったり、まわりに当たったりして悪戦苦闘しているわけです。「極楽は行きやすくして人なし」で幸せへの道のほうがずっと楽なのですが、分かってはいてもなかなかそれができないわけです。

 ですから、一つ一つ周りの人に教えを受けながら「今日はこれができた」「ここが一つ上達した」と毎日の自分を振り返って一段一段上がっていく努力を続けていく。

 周りの人を味方にし、師としていけば必ず卒業証書をもらえる日がきます。
  
ありがとうございましたm(__)m

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送