2004
.3.14
日曜 |
こんばんわ
3月も半ばになり、この写真のように九段のお堀の桜も、だんだんと見頃になって参ります(^○^)
さて、本日は日曜出勤でしたので、のんびり、というわけにも行きませんでしたが、春らしい一日で清清しかったです(^^ゞ
そうですね・・・
この春も、家内と一緒に、お墓参りや、お花見に出かけたいですね(^○^)
そういえば思い出しましたが、2年前にいろいろと都内の春を家内と散策したことがあり、当時のページもありましたので写真にリンクしていますのでそちらも見てくださいね(^_^;)
http://ym21215.hp.infoseek.co.jp/2002.3.24sakura.html
他にもね(^_^;) 「 六義園 」の"ある休日"
http://ym21215.hp.infoseek.co.jp/a_rikugien.html
「 旧古河庭園 」の"ある休日2"もありました(^_^;)
http://ym21215.hp.infoseek.co.jp/a_furukawa.html
「子供の日 昭和記念公園にて」・「神代植物公園そして林試の森公園にて」もどうぞ(^^ゞ
http://ym21215.hp.infoseek.co.jp/2002.5.5.shouwa.html
http://ym21215.hp.infoseek.co.jp/a_rose&rinshi.html
昔のネタですいません(^○^)
本日の感じるお話です。
法 話 庭野日敬 (瀉瓶無遺 183)
人さまへの 慈悲行を口で説くのは簡単ですが、いざ、それを実行するとなると、なかなか難しいものです。
ですから、まず自分が生かされて生きているのだということに気づくことのほうがさきだと思うのです。
この自覚、目覚めがないと感謝の念が生まれてきませんし、感謝がないと 利他行もできないのです。
つまり慈悲といっても、人から人への慈悲もさることながら、まず仏さまの私たちへの大きな慈悲に気づかなくてはならないのです。
この、信仰にとっていちばん大切なところが欠落していたのでは、「まず人さま」という心にはなれません。
そこのところをかみしめると、生かされている自分がどう生きなければならないか、自分がなさねばならぬことはなんであるのかが、はっきりとわかってくるのです。 |
ありがとうございましたm(__)m |
2004
.3.11
木曜 |
こんばんわ
岩本山からの富士と桜?でしょうか(^_^;)
さわやかです(^o^)丿 (富士の響さんより)
夕食を食べておりましたら、家内がニコッとしながら新聞を僕にさしだしました。
読売の"気流"という読者投稿欄に、僕の中学の同級生と思しき女性の方の名前(旧姓)で投稿が載っていました。
家内は全く学校が異なりますので、その方のことは知らないのですが、以前に家内に様々な学友について話した事のある方の一人と年齢・職業と、ほぼ一致していたので、懐かしく読んでみました。
お話は電車乗車中のひとコマで、携帯の音楽がうるさいので注意したところ反発をくらい、やや驚いたもののマナー違反を諭してあげ、最後は子供もおとなしく従ったようです(^_^;)「悪いことは悪い 子供に教えよう」とありました。そして、何がいけないことかをちゃんと子供に伝えるべきだし、また子供たちもそれをまっているような気がしたそうです。
昔から静かな雰囲気の中にも、はっきり自分の意見を述べる方のように感じておりましたので、初めて読みましたが、今もこうして意見を投稿して、元気に活躍されているのは嬉しいものです。
学友ということでは、高校時代に出会った男性も懐かしく、嬉しいことがありました。
ここ数年年賀状ぐらいで、逢っていないので少々寂しいですが、・・・・・確か先日の3月9日(火)に、例の"プロジェクトX"の番組(NHK)がありましたね。
その日の番組テーマは「決断・命の一滴」というもので、白血病という難病にかかり、今でこそ広く知られつつある"骨髄移植"推進への第一歩を歩みだされた方々の物語でした。
いまだ骨髄バンクもない時代に、若くして白血病にさいなまれ、亡くなっていったお嬢さんの詩は、聞いていても心打つものであり、涙を誘われました。
「・・・ふつうの高校生になり、・・・ふつうの母となり、・・・ふつうに年老いて、・・・ふつうに・・・死にたい」
やや不確かで申し訳ありません。
「ふつうに生きていく」ことの尊さとそのことへの少女の心の希求が心を打ちました。
http://www.nhk.or.jp/projectx/index.htm
http://www.nhk.or.jp/projectx/library/library.html
http://www.nhk.or.jp/projectx/encore81/index.htm骨髄バンクの特集
そして、僕の友人は、千葉県の骨髄バンク推進連絡会の会長をやられておりました。
つい先ごろそのことを知り、りっぱな奉仕活動をされていると感心いたしました。
僕自身骨髄バンクの登録もまだしておりませんので、調べてみたいと思います。 |
2004
.3.4
木曜
〜
.3.7
日曜 |
おはようございます
寒い日が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか(^O^)
お写真は、白梅の木であります。 (move?さんより)
さて・・・本日は、仏の教えを学び、日々の生活において教えを実行することにより、いかなる功徳があるのでしょう、ということについて、学んでみたいと思います。
『法華経』の「開経かいきょう」(法華経を説くための前提として説かれたもの)として「無量義経むりょうぎきょう」という経典がありますが、その中に「十功徳品じゅうくどくほん第三」という章があります。
そこには、先ほどのどんな「功徳」がもたらされるのかが書かれています。
『十功徳品』ということで、十の功徳とあるのですが、第一の功徳、ということだけでも、読み応え、がありますので、そこだけにいたしますね(^_^;)
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前段 『訓訳妙法蓮華経』(平楽寺書店)
後段 「現代語の法華経」
(庭野日敬著、佼成出版社) より |
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『仏の言わく善男子、第一に、この経は能く菩薩の未だ発心せざる者をして菩提心を發さしめ』
「善男子よ、第一にこの経は大乗の教えを学んでいるもので、まだ、しんそこから仏の智恵を得たいという心を起こしていないものには、そういう発心をさせます。」 |
『慈仁なき者には慈心を起さしめ』
「また、人を幸せにしてあげようという気持ちのないものには、そういうなさけ心(慈心)を起こさせます。」 |
『殺戮を好む者には大悲の心を起さしめ』
「人を苦しめたり、生きものを殺したりすることを好むものには、かわいそうに思う心を起こさせて、苦しめたり殺したりしないばかりか、逆に苦しんでいるものを助けてあげたいという心(大悲の心)を起こさせます。」 |
『嫉妬を生ずる者には随喜の心を起さしめ』
「自分よりすぐれた人や、幸せに見える人に対してねたみ心や憎しみを感ずるくせ(嫉妬)のあるものも、この教えを聞いてよく理解すれば、じぶんなどはとうてい及びもつかぬと思っていた人でも、仏の前では自分と変わりのない人間だということがわかり、その真実の発見に対する心からの喜び(随喜)が起こるために、人に対するねたみ心などは消えてしまうのです。」 |
『愛著ある者には能捨の心を起さしめ』
「自分の身のまわりにあるもの、すなわち、財産とか、地位とか、名誉とか、家族とか、そういったものに執着するあまり、悪いことをしたり、あるいは自分の心を苦しめている人は、この教えを聞くと、捨てるべきときにはいつでも捨てていいぞという、とらわれぬ気持ち(能捨の心)を持つようになりますので、いつもノビノビとした自由自在な気持ちで活動できるようになります。」 |
『諸の慳貪の者には布施の心を起さしめ』
「また、もの惜しみする心や、ひとのものをむやみに欲しがる心(慳貪けんどん)のはげしい人も、この教えを聞けば、ひとりでに布施の心が湧いてきて、ひとによくしてあげるようになります。」 |
『驕慢多き者には持戒の心を起さしめ』
「また、自分はえらい、よく覚っている、行いにもまちがいはないというおごりたかぶった心(驕慢)の多い人も、この高度な教えを聞けば、自分の程度の低さがわかり、自分の心や行いのまちがいが目に見えてくるために、仏の教えられたいろいろな戒めをしっかり守って修行しなければならないという心(持戒)が起こってくるのです。」 |
『瞋恚盛んなる者には忍辱の心を起さしめ』
「また、わがままな怒り(瞋恚)の癖のあるものも、この教えに触れれば自他一体という感情が養われてくるために、怒りや恨み心が起こらなくなります。」 |
『懈怠を生ずる者には精進の心を起さしめ』
「また、自分の進むべき道に一心にならず、怠けたり、ほかのつまらぬことにうちこんだりする傾向(懈怠)のあるものは、この教えを聞けば自分に与えられた使命を一心に実行すること(精進)こそ、価値ある生き方だということがしんからわかりますので、本来の道をわきめもふらず進むようになります。」 |
『諸の散乱の者には禅定の心を起さしめ』
「また、周りの事情が変わるたびに、心が乱れ、動揺する人も、この教えを聞いて、すべての移り変わる現象の奥には、変化を超越し、常に大調和している実在があるのだという真理がわかってくると、いつも静かで、安心した心(禅定)になってくるのです。」 |
『愚痴多き者には智慧の心を起こさしめ』
「また、ただ本能の衝動のまま、目の前の欲望のままに行動する愚か(愚痴)な人も、この教えを聞くと、人間として大切な智慧が生じてきますから、なすべきこととなすべからざることの区別が、ハッキリわかるようになって、人間らしい正しい生き方をするようになります。」 |
『未だ彼を度すること能わざる者には彼を度する心を起さしめ』
「また、ほかの人を精神的に救ってあげることがまだできなかった人でも、この教えを聞けば、自分だけがこの世に生きているのではないから、自分も他もいっしょに救われなければほんとうに幸せにはならないのだ・・・ということがわかってきて、ひとりでに他を救おうという気持ちが起こります。」 |
『十悪を行ずる者には十善の心を起さしめ』
「また、いろいろな悪い行いをなすものには、それらの悪行をすべて払い去った清らかな境地に達しようとという心(十善の心)を起させ、」 |
『有為を楽う者には無為の心を志さしめ』
「現象面の幸福ばかりを追っている(有為を楽う)人には、現象世界の奥にある絶対の存在に生かされているのだという信念(無為の心)を持つように導き、」 |
『退心ある者には不退の心を作さしめ』
「信仰心が後戻りする傾向のあるものには、一歩も退くことのない不動の信仰心(不退の心)を与えます。」 |
『有漏を為す者には無漏の心を起さしめ』
「また、目の前の現象ばかりにとらわれてものごとをなす(有漏を為す)ものには、そのような仮のすがた(相)にとらわれず、すべてのことを真実の理にしたがって行うよう(無漏の心)に導き、」 |
『煩悩多き者には除滅の心を起さしむ』
「いつも煩悩に心を苦しめられているものには、ただ真理をみつめることによって、煩悩をなくそうという心(除滅の心)を起させるのです。」 |
『善男子、是れを是の経の第一の功徳不思議の力と名く。』
ありがとうございましたm(__)m
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この法華経の「十功徳品じゅうくどくほん第三」は、ほぼ毎日読ませて頂いている経典ですので、まことに馴染みの深いものでありますが、折に触れて、その意味するところを、改めて優しく学ばせて頂きたいと思いました。
どうぞ、宜しくお願いいたします。
|
2004
.3.3
水曜 |
こんばんわ
満開の桜ももうじき見られそうですね(^^ゞ (move?さんより)
・・・不都合なことがあって、その解決が遅れていたりしますと、気が重くなって、すぐに心が乱れ、相手を責める心になります。
なんとか、状況の好転をきっかけに多少の良い事がありますと、やけに明るくなって・・・ぬか喜び・・・しかし、すぐに別のケースで失敗していたことを教えられて努力不足を味わうこととなり、また、失意を味わいます。
いい年をして、不惑ふわくなどとは程遠い内面の実態にいささか、がっかりします。
しかし、考えてみれば、人の心には、凡夫の六界と聖者の四界の、十界が具わっているということですし、その一つ一つの心の状態(世界)の中にまた、全ての十界が具わっている(「十界互具」)ということですので(^_^;)いかに平静をよそおっても、心の動揺なり歓喜なりはだれしも、またいつでもあることなのでしょうね。
なんとなく、自らの理解用にテーブルにして十界を図にしてみました(^_^;)左に番号をふっておきました。
凡夫の六界というのは・・・一応・・・1番から4番までの六つの世界を言い、怒り狂った地獄界(の心)から、ぬか喜びの天上界までの六つの世界をグルグルと回っているというわけです。
それでも時たま(^_^;)正しい道を学んでみたい、とか、様々な経験の中から道を悟ることもあるかもしれないし、人のため世の中のためにつくそうという心も湧いてきて、自分を忘れて無償の奉仕をされる時もありますね。
======================十界の図========================
9 |
**** |
仏 界 |
彼 岸 |
* |
8 |
↑ 出離=因縁を切る= |
* |
7 |
菩薩界ぼさつかい |
=六波羅蜜を行ずる |
* |
6 |
縁覚界えんがくかい |
=十二因縁を悟る |
* |
5 |
声聞界しょうもんかい |
=四諦の法門を学ぶ |
* |
4 |
↑ |
天上界(歓喜かんき=有頂天) |
* |
3 |
人間界(平正びょうしょう) |
修羅界(争あらそい) |
2 |
餓鬼界(貪欲とんよく) |
畜生界(愚痴ぐち) |
1 |
* |
地獄界(瞋恚しんに) |
* |
こうした心の世界は固定的な形で捉えずに、心の状況を整理し軌道修正して行くためにも知っておいて損はないのではないでしょうか。
また、十界互具ということの受止めとして、たとえ地獄界にいる場合でも仏性の芽があることを信じてあきらめず、また反対に、自分は悟ったと思っていても、まだ迷いの種の尽きぬことを反省し努力をおこたってはならないよということでもありましょう。
『四諦の法門を学ぶ・十二因縁を悟る・六波羅蜜を行ずる』といったことの内容についても、少しずつ学んで行きたいと思います。
それでは、おやすみなさい(^o^)丿
本日の感じるお話です。
百パーセントの正直 庭野日敬 (1995年、平成7年)
「月と日のかしこみなくばよりよりの人見の関は越えられべけれ」という歌があります。
どんなに人が目を光らせていようと、人見の関はどこかくぐって越えられるけれども、昼夜交代で見ておられるお日さまとお月さまの目はくぐり抜けられない、という意味でしょう。
神仏がすべてご照覧だと本当に分かったら、だれが見ていようがいまいが、百パーセント正直一本やりでいくしかありません。人の信念というのは、「自分にはぜったいにごまかしがない」という、その自信から生まれてくるものだといえましょう。
拝む心こそ、拝まれるに値する心だといいます。
人を拝む謙虚さ、神仏に合掌してその願いをわが願いとさせていただきたいと祈る姿ほど、美しい姿はありません。
『懺悔経』と呼ばれる『仏説観普賢菩薩行法経』に、「深く因果を信じ、一実の道を信じ、仏は滅したまわずと知るべし」という言葉があります。
因果の道理を深く信じ、現象の奥にある実相を信じて、仏さまはいつも自分と一緒におられて、滅しられることはないのだと知ると、神仏の前に自分をさらけださずにいられなくなります。それでこそ、だれからも信頼される信仰者となるのです。 |
ありがとうございましたm(__)m |
2004
.3.1
月曜 |
こんばんわ
春、近し、ですね
=久遠寺の桜=
(精霊達の森様より)
今日も仕事と時間に追われてウロウロしておりました(^_^;)
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『小欲知足をまなびて、心やすかるべし』
無住一円『沙石集』
無住むじゅうは、不安を超えて、安心を得るための心構えとして、「小欲知足」を学ぶことだと説く。
「知足の人は、貧しくても心が広く安らかであるが、不知足の者は富裕ふゆうであっても、心が貧しく不安な状態である」
と、「遺教経ゆいきょうぎょう」が説くように、足たることを知る人は、つねに自分というものの立場をわきまえて満足しているから、安心した心でいられるのである。
人の苦しみや悩みは、すべて欲得によって生じてくるもので、その欲得は足ることを知らないために起こってくるのである。
無住はいう。
「身が富裕であっても、心が貧しければ救いがない。心を安らかにもって、身が自由であるのが、人としての真の喜びなり」と。
「DANA」--心を支える 名僧のことば--
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http://ym212152646.fc2web.com/diary16-02.html
2月のわがまま日記もお勉強になりますよ(^_^;)
それでは、おやすみなさい(^o^)丿
本日の感じるお話です。
まわりを味方にする 庭野日敬 (1998年、平成10年)
まわりと仲良くすることが仏道の極意、と言ってもいいのではないかと私は思うのです。 あっちでぶつかり、こっちで人に突っかかっているようでは、仏道修行は落第です。
家族や職場の仲間はもちろんのこと、毎日起こるすべてのことと仲良しになってしまうのです。 仏道とは天地の理、宇宙の大法則と溶け合って生きることだともいえましょう。
そうして、まわりじゅうと仲良しになろうと努力していると、すべての人、すべてのことが自分に力を貸してくれるようになって、前へ前へと押し出してもらえるのです。これが安楽行です。
こちらのほうがずっと楽な道なのですが、みなさんが、わざわざ人に突っかかったり、まわりに当たったりして悪戦苦闘しているわけです。「極楽は行きやすくして人なし」で幸せへの道のほうがずっと楽なのですが、分かってはいてもなかなかそれができないわけです。
ですから、一つ一つ周りの人に教えを受けながら「今日はこれができた」「ここが一つ上達した」と毎日の自分を振り返って一段一段上がっていく努力を続けていく。
周りの人を味方にし、師としていけば必ず卒業証書をもらえる日がきます。
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ありがとうございましたm(__)m |