わがまま日記

( ̄。 ̄;)2004.5
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4月へ(^○^)6月へ(^o^)丿
人生において 最も大切な時 それはいつでも いま です相田みつを
2004
.5.30
日曜
こんばんわ

あっという間に一週間も過ぎ去りましたね(^_^;)
もう6月も目の前です。

こちらの→お写真は素敵な藤のお花ですが、move?さんからお借りした最初のお写真です(^^ゞ
ちょっと懐かしいですね。

さて、僕はよく運転しながらラジオを聴くのですが、土曜日午前中に、きらり十代!!の「名作を読もう」というのがありました(^^ゞ

古典的な名作をやってましてね、なかなか人気のある若き男性の声優さんに読んでくださいというリクエストで、芥川竜之介の「蜘蛛の糸」を朗読。一部ですが雰囲気まずまず。
お上手です。名前忘れた(>_<)
そして大山信代さんも何か朗読。(>_<)

次に、モーニング娘のどなたでしたか(>_<)こちらもリクエストで伊藤左千夫の「野菊の墓」を一部朗読。なかなか可愛いお声で良かったです。

そしてそのお嬢さんがもうひとつ、宮沢賢治の「注文の多い料理店」を朗読しました。
短い童話で、有名ですが、(^_^;)うっかり、まだ読んだことがありませんでした。

どんな物語か興味を持って聴いていましたが、一部の朗読でしたので、さあこれからどうなるか、というところで終わってしまいました(^^ゞ

今日の日曜は出勤日でしたので、お仕事ですが、事務処理の合間にネットで検索しましたところ、実に多くの方がテーマとして採り上げられて、沢山のサイトで物語を読むことが出来ました。 納得しました(^o^)丿

そうした中で、あるサイトにおじゃましまして、掲示板に書かせて頂いてお友達になることができました(^○^)
幸福の形は一つではない『注文の多い料理店』のひろママさんのサイトです(^^ゞ
・・・・・お友達ページにすでにリンクさせて頂きましたが、以前にいらした事もあったそうです(^_^;)・・・・・
コンテンツを見させて頂きますと、宮沢賢治作品への思い入れや掲示板での管理人さんのはっきりしたご意見など、人間のこころを見つめる視点が印象的で大変興味深く感じられました。
また掲示板にお集まりの方々のご意見もなかなか広範囲で政治的な課題も論じられておりました(^^ゞ
これからもお邪魔しながら、少しずつお勉強させて頂きたいと思っております。どうぞ宜しくお願い致します。

本来、宮沢賢治の作品と信仰観については多くの方が論じられておりますが、詩や童話、そして小説など一度はしっかりと読みたいものであります(^_^;)

さらにGoogle検索「宮沢賢治」など覗いてみますと、宮沢賢治の宇宙 宮沢賢治作品館などといった充実サイトもあるのですね(^_^;)参考にしたいと思います。
また、最近よく覗くのですが、青空文庫もなかなか素敵です。ちょっと読みづらいページ表記ですが、これからが楽しみですね。

夜も更けてまいりました。それでは、みなさんおやすみなさい(^o^)丿

本日の感じるお話です。
  長所探しの名人    庭野日敬  (1998年、平成10年)

 幕末に活躍した吉田松陰(よしだしょういん)が開いた松下村塾(しょうかそんじゅく)は、長州藩の私塾に過ぎなかったのに、木戸孝允(きどたかよし)高杉晋作(たかすぎしんさく)伊藤博文(いとうひろぶみ)など明治維新の逸材(いつざい)を輩出しました。どうして、それほどの人材が育ったのでしょうか。

 松陰先生は人の長所を見つけだす名人だったそうです。塾生の一人ひとりを、「このことについては、きみが天下第一だ。このことでは、きみが第一だ」とほめるのです。

 お釈迦さまのお弟子には、智恵(ちえ)第一の舎利弗尊者(しゃりほつそんじゃ)、説法第一の富樓那尊者(ふるなそんじゃ)多聞(たもん)第一の阿難尊者(あなんそんじゃ)などと呼ばれる人がいましたが、それと、まったく同じほめ方です。人育ての要諦(ようてい)はここにあるといえましょう。

 私たちのサンガは、互いに人の長所を一生懸命に探し合って、みんなに輝いてもらう場といってもいいでしょう。ある教会長さんが、「私たちの教会では、みんなでアラ探しの名人を返上して人の長所探しの名人になろうと申し合わせ、教会が見違えるように明るくなりました」と報告してくださいました。

 「心に優しさがないと人の欠点だけが目につく。そういう人はだれにも影響を与えられない」と司馬遼太郎(しばりょうたろう)さんは言われます。
ありがとうございましたm(__)m
2004
.5.23
日曜
こんにちわ

ご無沙汰です(^_^;)

本日は2週間ぶりのお休みですので、朝からネットを読んでおりました。

昨日の小泉首相の訪朝で、はなればなれになっていたご家族のお子様達が日本に帰国されて、よかったですね。

様々な批判もありましょうが、「前進」を評価すべきでありましょう。

ところで、最近、リンクさせて頂いたお友達のサイトのご紹介を少々させていただきましょう(^○^)

ソプラノ奥寺久美子さん・・・先月初めて、FreeStyle何でも掲示板にカキコして頂きまして、お友達になりました(^^ゞ お仕事がソプラノ歌手ということで、僕も驚いてしまいましたが、大変気さくにお話いただき、これからのお付き合いが楽しみです。
また奥寺さんのサイトに日々の出来事が日記として書かれてらっしゃいますが、「いつも日記は大騒ぎ」、ゆっくり読ませて頂いて、大変お忙しい中での久美子さんのがんばりが伝わってきて感動いたしました(^^ゞ
コンサートスケジュールも年間を通じて毎週のように実施されてらっしゃるようで、いつか是非参加させて頂きたいと念じています。これからも宜しくお願いします(^o^)丿

詩集魂(いのち)の旅・・・先月も少々お伝えしましたが、Ozの部屋さんのサイトとともにリンクさせて頂いております。Ozさんのご友人で、41歳という若さでお亡くなりになられた女性の詩人さんの詩が美しいお写真とともに掲載されております。人生の応援歌からもリンクしています。
石ころは 人間の生き方とはなんて ときどき思うのです ・・・-さまよえる魂-より
本当の自分が 奇跡とは 魂は 淋しかったから たくさんの涙・・・-魂もえて 今-より』

最後に、佼成出版社のサイト内にBuddha Worldというコンテンツページがありました。
その中の連載ページはそれぞれに大変興味深く、お勉強になる内容のものばかりです。

中でも特に、「生きるあかし」ささげんというお話は、立正佼成会大田教会の大井洋子さん(故人)の真実の、苦悩と感動の実話でありました。
昭和50年に乳癌が発病し平成4年3月17日49歳の若さで逝ってしまわれた大井さんの心情あふれる短歌の手記を中心として、ご自身やご家族、そして大井さんの生きざまに救われた方々のお話も含めた、大変感動的な手記でありました。連載はこれからも続くようですので、これからも読ませて頂こうと思っています。
このページをお読み頂いている、全ての方にお読み頂いて感動をお伝えできればと、願っています。


本日の感じるお話です。
  周囲に振り回されない    庭野日敬  (1995年、平成7年)

 人間として大きく成長できるかどうかの決め手は、心の柔らかさにあるといえないでしょうか。とりわけ大事なのは、自分と違う考えも受け入れられる柔軟さと、自分の間違いを認めることができる素直さです。

 素直さというと、人の言いなりになる生き方のように考える人がいますが、本当の勇気と自信を持たなくては、素直に他を受け入れ、自分を変えられるものではないのです。かたくなに自分を主張する人のほうが一見、信念を持っているように見えることがあるのですが、それは、周囲に対するメンツや、人の思惑を気にしてしばりつけられ、自分に正直になれにいでいる姿であることが多いのですね。

 その自縄自縛(じじょうじばく)から解放されて、常に人間の基本に立ち返る生き方が「自灯明(じとうみょう)」です。

 周囲がこうするから自分もこうしなければならないと振り回されるのでなく、伸び伸びと、あるがままの自分でいながら、天地自然の摂理にのっとって、そこからはずれることのない生き方がつかめてくるのです。
  
ありがとうございましたm(__)m
2004
.5.15
土曜
こんばんわ

吉野弘さんの詩を詠みたくなりましたm(__)m
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「岩が」

岩が しぶきをあげ
流れに逆らっていた。
岩の横を 川上へ
強靭な尾をもった魚が 力強く
ひっそりと 泳いですぎた。
逆らうにしても
それぞれに特有な
そして精いっぱいな
仕方があるもの。
魚が岩を憐れんだり
岩が魚を卑しめたりしないのが
いかにも爽やかだ。
流れは豊かに
むしろ 卑屈なものたちを
押し流していた。

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動詞「ぶつかる」

ある朝
テレビの画面に
映し出された一人の娘さん
日本で最初の盲人電話交換手

その目は
外界を吸収できず
光を 明るく反映していた
何年か前に失明したという その目は

司会者が 通勤ぶりを紹介した
「出勤第一日目だけ お母さんに付き添ってもらい
そのあとは
ずっと一人で通勤してらっしゃるそうです」

「お勤めを始められて 今日で一ヶ月
すしづめ電車で片道小一時間・・・・・・」
そして聞いた
「朝夕の通勤は大変でしょう」

彼女が答えた
「ええ 大変は大変ですけれど
あっちこっちに ぶつかりながら歩きますから、
なんとか・・・・・・」

「ぶつかりながら・・・・・ですか?」と司会者
彼女は ほほえんだ
「ぶつかるものがあると
かえって安心なのです」

目の見える私は
ぶつからずに歩く
人や物を
避けるべき障害として

盲人の彼女は
ぶつかりながら歩く
ぶつかってくる人や物を
世界から差しのべられる荒っぽい好意として

路上のゴミ箱や
ボルトの突き出ているガードレールや
身体を乱暴にこすって過ぎるバッグや
坐りの悪い敷石やいらいらした車の警笛

それは むしろ
彼女を生き生きと緊張させるもの
したしい障害
存在の肌ざわり

ぶつかってくるものすべてに
自分を打ち当て
火打ち石のように爽やかに発火しながら
歩いてゆく彼女

人と物との間を
しめったマッチ棒みたいに
一度も発火せず
ただ 通り抜けてきた私

世界を避けることしか知らなかった私の
鼻先に
不意にあらわれて
したたかにぶつかってきた彼女

避けようもなく
もんどり打って尻もちついた私に
彼女は ささやいてくれたのだ
ぶつかりかた 世界の所有術を

動詞「ぶつかる」が
そこに いた
娘さんの姿をして
ほほえんで

彼女のまわりには
物たちが ひしめいていた
彼女の目配せ一つですぐにも唱い出しそうな
したしい聖歌隊のように


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ありがとうございましたm(__)m


本日の感じるお話です。
  邪見(じゃけん)を離れれば正見(しょうけん)    庭野日敬  (1998年、平成10年)

 仏教は、あらゆる苦を滅することができる教え、すなわち苦滅の道です。その道はまず正見から始まります。正見とは、真理にのっとってものごとを見ることです。

 真理にのっとった見方というと、「そんなことは、私にはとても無理だ」と考える人がいるかもしれません。それならば、正見の反対の邪見を考えてみると、分かりやすいのではないでしょうか。

 邪見とは、ものごとをすべて自分中心に見る見方です。その自己中心の見方をいちど離れてしまう。相手の目で自分を見る努力をする。それが正見です。

 たとえば、それまで親を恨み抜いてきた青年が、法座や練成会で親がどんな思いで自分をこれまで育ててくれたか、振り返れるようになる。また、職場の上司や同僚を憎んだり、ねたんだりしていた人が、自分を一人前にしてくれるために上司をはじめ仲間のみんなが、どれほどの思いをかけてくれていたかに気づく。それだけで腹の底から懺悔が噴き出してくるのです。

 正見で自分のまわりを見られるようになると、人は生まれ変わるのです。
ありがとうございましたm(__)m
2004
.5.3
月曜
こんばんわ

5月になりました。

今月はすぐ連休となり、体も休まって、有難いのですが、反面、営業日も少なく、がんばらないといけない月でもあります(^_^;)

さて今日は、なかなか涼しい一日でありましたが、常磐高速を走って、水戸まで行って参りました。

右のお写真は、藤棚ですが、水戸の偕楽園の中にありました。

花は小振りでしたが色合いが美しいです(^○^)

藤棚の奥には、下の写真の一番右C番の梅林です。

ここで、もし満開の梅を眺められたら、さぞかし素晴らしい景観でありましょう。

@とAは偕楽園内の屋敷の『好文亭』のお写真です。

Bは好文亭の二階から眺める庭園(偕楽園)の一部です。

今日は、見物客もあまり多くなく、静かに散策できました。

偕楽園を出て、近くにある『茨城県立歴史館』も見学しました。

こちらは、茨城の歴史の常設展示や一橋徳川家の記念館もあり、水戸光圀公直筆の書や九代藩主徳川斉昭(偕楽園創設者)の達筆の書も見る事ができました。

広々とした庭園も美しくさすがに立派な県営の文化施設でありました。


@

A

B

C

本日の感じるお話、二題です。
  まわりを味方にする    庭野日敬  (1998年、平成10年)

 まわりと仲良くすることが仏道の極意(ごくい)、と言ってもいいのではないかと私は思うのです。
あっちでぶつかり、こっちで人に突っかかっているようでは、仏道修行は落第です。

 家族や職場の仲間はもちろんのこと、毎日起こるすべてのことと仲良しになってしまうのです。
仏道とは天地の(ことわり)、宇宙の大法則と溶け合って生きることだともいえましょう。

そうして、まわりじゅうと仲良しになろうと努力していると、すべての人、すべてのことが自分に力を貸してくれるようになって、前へ前へと押し出してもらえるのです。これが安楽行です。

 こちらのほうがずっと楽な道なのですが、みなさんが、わざわざ人に突っかかったり、まわりに当たったりして悪戦苦闘しているわけです。「極楽は行きやすくして人なし」で幸せへの道のほうがずっと楽なのですが、分かってはいてもなかなかそれができないわけです。

 ですから、一つ一つ周りの人に教えを受けながら「今日はこれができた」「ここが一つ上達した」と毎日の自分を振り返って一段一段上がっていく努力を続けていく。

 周りの人を味方にし、師としていけば必ず卒業証書をもらえる日がきます。
  

  法と一体になる    庭野日敬  (1998年、平成10年)

 仏さまはいつも私たちのすぐ近くにおられて法を説き続けてくださっているのですが、その仏さまの教えを本当に求める気持ちにならないと、そのお姿は見えず、お言葉も聞こえてきません。ですから私たちの(ぎょう)の出発点は、まず法華経をしっかりと読誦(どくじゅ)することなのです。それも、ただ経典の字づらたどるだけでなく、そのひと言ひと言を「仏さまが私に語りかけてくださっているお言葉」と心に刻みつける真剣さで読まなくてはなりません。

 そうした読み方で経典を読誦(どくじゅ)すると、仏さまがどれほど自分のことを思っていてくださるか、身にしみてきます。法華経を行じる大切さ、その功徳を手を取るようにこと細かに教えてくださる仏さまのお慈悲がひしひしと身に伝わってきて、じっとしていられない思いになるのです。

 そうして仏さまのお言葉のとおり毎日の仕事の中で一つでも実行しよう、人さまに対するときに教えの心になってみようと努力していくと、いつのまにか自分が生まれ変わっているのです。だんだんに法と一体になってきて光り輝く身になっているのです。
  
ありがとうございましたm(__)m

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