わがまま日記

( ̄。 ̄;)2004.7
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6月へ(^○^)8月へ(^o^)丿
(ひと)(あやま)ちを 見るなかれ (ひと)()さざるを 責むるなかれ
おのが 何を いかになせしかを (みずか)らに問うべし
 法句経
2004
.7.26
月曜
























みなさま、こんばんわ。

ご無沙汰しております(^_^;)

夏の緑が明るく輝いて眩しいほどのお写真ですね。(move?さんより)

今週も慌ただしい毎日が続きそうですが(^^ゞ先生のお話をかみしめながら、努めて参りたいと思います。

本日の感じるお話です。
    目の前の仏を拝む     庭野日敬 (1995年、平成7年)

 お釈迦さまは法華経で、すべての人に成仏の保証を与えられています。

 その条件として、たとえば舎利弗尊者(しゃりほつそんじゃ)に対しての授記では、「舎利弗よ、あなたは無数の仏につかえて、菩薩行(ぼさつぎょう)に励み、未来世に華光(けこう)という名の仏になって人々を救うことになります」と語られます。万億(まんのく)の仏の供養が成仏の条件としてあげられているわけで、私たちには、ほど遠いことのようにも思えます。

 しかし、そのお手本が具体的にちゃんと示されているのです。それが常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)礼拝行(らいはいぎょう)です。

 常不軽菩薩は出会う人出会う人を拝みぬきます。自分をののしる人にも、暴力を振るう人にも、仏を見ていくのです。

 私たちは、家庭で、職場で、社会で、数えきれない人に出会います。その一人ひとりに仏さまがいらっしゃるのです。

 その仏さまを拝んでいくのが万億の仏を供養することだともいえましょう。

 自分を守ることに汲々(きゅうきゅう)とするのでなく、出会う人のすべてに喜びを与えていける自分になる決意をしようではありませんか。

 まず、自分が光り輝く存在にならなくてはなりません。この決意を持ったら、今年はすばらしい一年になりましょう。
ありがとうございましたm(__)m
2004
.7.16
金曜

























イーハトーヴォ・・・あの、岩手山でしょうか。(精霊達の森さんより)

本日の感じるお話です。
    おはからいのままに     庭野日敬 (1996年、平成8年)

 いつも申し上げるように、信仰する人のいちばんの幸せは、仏さまがすべてご照覧(しょうらん)だと信じていられることにあります。

 けれどもときどき、「こんなに一生懸命がんばったのに」「あんなに真剣に祈願したのに」「仏さまは私をお見捨てになったんではないか」と、絶望に打ちひしがれることもあると思うのです。

 しかし、仏さまはどんなときも、この患難(げんなん)の多い世でのあなたを、しっかりとお見守りくださっておられるのです。

 私たちは神仏にお祈りするとき、自分の欲しいもの、自分の願いがかなうようにとお願いしますが、仏さまは、私たちの欲しいものではなく、必要なものをお与えくださるのです。

 自分の力ではどうにもならなくなったとき、人はだれしも病気を治してください、子どもが受験に合格しますようにと神仏にお願いするのですが、そのあとに必ず、「でも、み心のままに」とつけ加えることを忘れないようにしている、という人がおられました。

 仏さまのおはからいにおまかせしてしまうと、どんな結果であっても、ある時を経て「これがご守護だったのだ」と思い知るときが、必ずくるのです。

 悲しみや絶望を通してこそ得られる宝物もあるのですね。
ありがとうございましたm(__)m
2004
.7.4
日曜
こんばんわ


右のお写真は、新緑の、青森、奥入瀬渓流です。
(精霊達の森さんより)

渓流は流石に、涼しそうですね(^_^;)

有名な奥入瀬渓流は僕は行った事がありませんので(^_^;)いつかゆっくり散策したいものであります。
(奥入瀬マップ)

しかし本日も大変暑かったです。

もっとも、本日も出勤でしたが、ほとんどクーラーの効いたショールームにおりましたので、個人的には涼しかったですけどね(^_^;)


ところで、先週の日曜日ですが、家内と「ハリ・ポタとアズカバンの囚人」を見ました(^^ゞ、・・・感想は以下にありますが、
http://ym212152646.fc2web.com/diary16-06.html

映画が始まる前に宣伝をしていた中に、キャンペーンの一環らしく、今年7月から1年間、50歳(^_^;)を超えた夫婦は二人でずっと2000円で観劇できるそうです(^_^;)

前から見たかった映画などは、多少前売りなどでお安く購入しているようですが、これからはだいぶお気軽に足を運べそうですね(^^ゞ

参照サイト(^^ゞ・・・ハリ・ポタギャラリーThe Leaky Cauldron" Galleries "


本日の感じるお話です。
  仏さまに対面する人   庭野日敬  (1996年、平成8年)

 お釈迦さまは、遠い土地からはるばる旅をして師を(はい)しにきたお弟子さんや信者の人たちを迎えると「道中、難儀(なんぎ)はなかったろうか。食べ物に困りはしなかったろうか。仲間はみな変わりはないかね」と、必ずお尋ねになりました。

 あるとき到着したお弟子の一団に、お釈迦さまがいつものように「みんな元気だっただろうか」と尋ねられると、一行の中の一人が、「じつは仲間の一人が病に()せてしまったのですが、世尊を拝したい一心で残してまいりました」とお答えしました。するとお釈迦さまは、「私に会いにきてくれるよりも、残って病気の友を看病してくれる人こそ、千里離れていようと私と対面しているのだよ」とお(さと)しになられたのでした。

 私の姿かたちを見にくるよりも、私の願いをしっかり自分のものにする者こそが、私の本当の弟子なのだ、とお釈迦さまは教えられたわけです。

 私たちが仏さまを拝するのは、そのみ心に近づきたいと願うことです。一人でも病み苦しむ人がいたら、()取り、助けずにいられないのが、仏さまのみ心です。私たちも、なによりもまず苦しみ悩む人を救うことを先にしなければなりません。
ありがとうございましたm(__)m
2004
.7.2
金曜
こんばんわ

右のお写真は、岩手県小岩井農場です。
(精霊達の森さんより)

宮沢賢治の宇宙
覗いてみたいサイトでね(^_^;)


7月に入りました。

厳しい、暑い夏になりそうな予感がします。


下を見て、おわかりのように、「本日の感じるお話」も、ついつい三題になってしまいましたm(__)m

開祖先生の"お諭し"は日々の私自身のこころの救いであり、指針です。

つまり、日々の出来事の中で、読まずにはいられない、迷いだらけの自分があるのですね。

今日もひとつ、昨日もひとつ、お話を伺って心を立て直すきっかけにさせて頂きました。

それで、三題なのです。・・・・・どうぞ、お許しください。

そして興味のある方は、ご一緒に、読まれてください。

下のお写真は・・・・・
@リンゴの花と岩木山ABは富士山と梅と桜、です。

@

A

B


本日の感じるお話、三題です。m(__)m
  苦が救いの神    庭野日敬  (1988年、昭和63年)

 自分がご法で救われたときのことを思い出してみてください。

あれもこれも自分の思いどおりにならない、と腹を立てていたのが、先輩に教えられて、相手の立場を考えてみるようになる。そして、思いどおりにならないのは自分の足りないところを教えてくれているのだ、という見方ができるようになったら、いつのまにか問題が解決していたといった体験を、みなさんがされているはずです。この見方が信仰の原点です。

 毎日の生活には、仕事上のストレスや家庭の不和などが、次々と起こります。嫌な相手とも出会わなくてはなりません。しかし、そういう事件や相手が、自分を真理のレールに乗せてくれるのだと法華経は教えているのですね。自分の体験を通して、そのことはよく知っているはずなのに、私たちはすぐ自分中心の見方に戻って、苦を抱え込んでしまうわけです。

 いまの自分の心を点検して、もし不平不満が多かったら、信仰の原点を見失っているのです。原点に戻りさえすれば、身のまわりに起こることのすべてを、心からの感謝で受け取れるようになってきます。
ありがとうございますm(__)m
  すべてを抱える器    庭野日敬  (1994年、平成6年)

 大勢の力を集めて事業をやろうとすると、さまざまな誤解や中傷は避けられません。そうして足を引っ張るのは、外の競争相手や敵意を持った人ばかりかと思うと、その元は内部にあることが多いのですね。組織の中にそういう人がいると、「そんな危険な人間は切り捨てなければならん」と考えるのがふつうです。ところがお釈迦さまは、自分に(そむ)く者をも(ふところ)に抱え込んでしまわれるのです。

 がまんして使ってやる、警戒しながら使っていくというのではありません。そういう人を「自分を大きくしてくれるお師匠さん」と決めてしまうのです。そういう心になると、なぜ身内の人間がそこまで追い詰められてしまったか、考えずにいられなくなってきます。こちらにも反省しなければならないところがあったのではないか、と考えられるようになってきます。これが『法華経』の「提婆達多品(だいばだったほん)」の教えです。

 そういう考え方ができるようになると、どんな問題が起ころうと、また、どんな人に対そうと、腹が立たなくなります。

 信仰者であることの第一の条件は、どんな人も信じきって、豊かな、ほがらかな気持ちで対せることだと思うのです。
ありがとうございますm(__)m
  まわりを味方にする    庭野日敬  (1998年、平成10年)

 まわりと仲良くすることが仏道の極意(ごくい)、と言ってもいいのではないかと私は思うのです。
あっちでぶつかり、こっちで人に突っかかっているようでは、仏道修行は落第です。

 家族や職場の仲間はもちろんのこと、毎日起こるすべてのことと仲良しになってしまうのです。
仏道とは天地の(ことわり)、宇宙の大法則と溶け合って生きることだともいえましょう。

そうして、まわりじゅうと仲良しになろうと努力していると、すべての人、すべてのことが自分に力を貸してくれるようになって、前へ前へと押し出してもらえるのです。これが安楽行です。

 こちらのほうがずっと楽な道なのですが、みなさんが、わざわざ人に突っかかったり、まわりに当たったりして悪戦苦闘しているわけです。「極楽は行きやすくして人なし」で幸せへの道のほうがずっと楽なのですが、分かってはいてもなかなかそれができないわけです。

 ですから、一つ一つ周りの人に教えを受けながら「今日はこれができた」「ここが一つ上達した」と毎日の自分を振り返って一段一段上がっていく努力を続けていく。

 周りの人を味方にし、師としていけば必ず卒業証書をもらえる日がきます。
  
ありがとうございましたm(__)m

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