わがまま日記

( ̄。 ̄;)2005.03

HOME 人生の応援歌 ハリポタ大好き お友達 りかちゃん
2002.7-8-9-10-11-12  2003.1-2-3-4-5-6-7-8-9-10-11-12
2004.1-2-3-4-5-6-7-8-9-10-11-12 2005.1-2-3-4-5-6-7-8-9-10-11・12
おはなし掲示板 個人ニュース こころの散歩道  Next
過去ログ(^_^;)へBBS4つ お天気プラスone情報源朝日読売日経
精霊達の森move?デジタルフォトギャラリー素材散策自然いっぱいの素材集web素材

2月へ(^○^)4月へ(^o^)丿
道を得ることは根の利鈍には()らず。人々(みな)法を悟るべきなり。
ただ精進(しょうじん)懈怠(けたい)とによりて得道の遅速あり。進怠の不同は志の到ると到らざるとなり。
志の到らざることは、無常を思はざるに依るなり。念々に死去す。
畢寛(ひっきょう)(しばらく)(とどま)らず。暫くも(ぞん)ぜる間、時光を(むな)しくすごすことなかれ。

正法眼蔵随聞記に学ぶ
2005
.3.31
木曜
2005/3/18「個人ニュース(^_^;)26」



金曜時代劇セレクション 慶次郎縁側日記 (3)「花・嫁」を見ました(^o^)丿

おっっ、また藤沢周平か、などと勘違いしましたけどね(^_^;)

『 娘三千代(岡本綾)の自害から3年。定町廻り同心の森口慶次郎(高橋英樹)は、養子の晃之助(比留間由哲)に家督を譲り隠居し、定町廻り同心になった晃之助に嫁を貰おうとする。

だが、いわくがある森口家に嫁いで来る娘など、そうは簡単に見つからない。

そんな折、酒問屋山口屋の大番頭・文五郎(山崎銀之丞)が来て、嫁探しを心掛けるから、根岸の別荘(寮)の番人を慶次郎に誰か紹介して欲しいと依頼する。

山口屋の口利きで、吟味方与力・神山左門(林隆三)の娘・皐月(安達祐実)に、縁談が持ち込まれる。

母・志乃(大谷直子)は左門に断るべきだと言っているところに当の晃之助が、森口家はいわくがある故、遠慮なく縁談を断って下さいと言いに来る。

だが皐月は、1年半前の夜、晃之助に出会って以来、晃之助に思いを寄せていた。皐月は両親を必死で説得、めでたく縁談がまとまる。

しかし、祝言の十日前に、慶次郎は根岸の寮番を引き受けて、転居してしまう。舅が同居しない異常事態が起こり、更に花嫁衣装までも盗まれて、左門は祝言を止めてしまう。

だが皐月は、神山家の女中おひさ(吉野きみか)の仕業だと見当をつけ、花嫁衣装を取り戻して、左門を再び説得しようと考える。・・・』

むむ、面白い、と思ったのは、皐月(安達祐実)の積極的なアタックでしたね(^^ゞ

江戸時代に嫁入り前のお嬢さんが、惚れているとはいえ、朝のとんかちから、森口慶次郎(高橋英樹)のお宅へ駆け足で行き、お嫁さんにしてくださいと頼むのには驚きでした(^^ゞ

皐月(安達祐実)は見ていて、ほんとに若いながらも深みのある考え方をお持ちで、感心いたしましたね(^_^;)

上のお写真の場面は、新しく奉公に来た娘が盗んだ花嫁衣裳を一度は売るものの、してはいけないことと思い返して、店に取り戻しに来たところを皐月(安達祐実)と出会い、慶次郎(高橋英樹)や晃之助(比留間由哲)とともに事の真相を静かに話し始める場面です。

そのとき、皐月(安達祐実)の今までの心の変化と行動の意味合いが自身の口からも語られるのです。

僕も今日はじめて見たのですが、やはり、渋い時代劇は良いものですね(^o^)丿

http://www.nhk.or.jp/drama/archives/keijirou/

こちらは番組のサイトですが、再放送で、10回ものの3回目でまだまだ物語りは進展する見たいですね。

皐月(安達祐実)のこれからの活躍がますます楽しみな、番組紹介でした(^○^)



世田谷公園の子供電車です(^o^)丿・・・・・珍しかったので、ちょっと写真を撮りました(^_^;)



2005
.3.4
火曜
こんばんわ

3月になりました。

春もあと一息です。

と言いつつも(^_^;)今日、東京は雪となってしまいました。

こんな日は慌てず騒がず、事故のないようゆっくりじっくり過ごします(^^ゞ

さて、最近、日々、騒がしいことおびただしいですが・・・・・堀江なにがし、が何をやろうと、堤義明の本質が何であろうと、身から出た錆、まわりに迷惑をかけずに生きていってほしいものであります。・・・・・


確か2/28の夜の番組だったかと思うのですが、
http://www.ntv.co.jp/supertv/01_week_contents/050228/this_week/week.html
日本テレビのスーパーテレビ、情報最前線という番組の中で上の番組がありました。

上のサイトをお読み頂きますとさらにお分かりになると思いますが、滑脳症という難病におかされ、余命2年と宣告されるも、大変な苦労が続く中、深い家族愛に包まれながら4歳の誕生日を迎えられたお子さんとそのご家族のお話の放送でした。同い年の妹(双子)さんは健常者ですが、姉を思い、母を慕い、幼子でありながら彼女も苦しみながらも明るく生きている様子がまた泪をさそいます。
おかあさんもおとうさんもほんとにご立派な方だなぁと感心、感動いたしました。
家内が見ていたテレビですが、いのちの祈り、と申しますか、生と死のぎりぎりの状況の中でお子様への限りない愛情を貫いてらっしゃるご家族の今後の御幸せを念じられずにはおられませんでした。

世の中にはほんとうに実にさまざまな病苦を抱えて生きてらっしゃる方が数多くいらっしゃるのですね。

筋ジストロフィーという病気と闘う青年のご紹介のサイトです。↓
http://www.kosei-shuppan.co.jp/buddhaworld/index-shine.html

さらに、乳癌という病気とともに壮絶に生きぬいた大井洋子さんのドキュメントです。
http://www.kosei-shuppan.co.jp/buddhaworld/02/index.html


『幸せとは「人生の辻つじで遭遇(そうぐう)する辛さや悲しみを深く味わい、それを(かて)として成長していくことではないかと受けとめています」』

これは、「苦が生きる意味を見出してくれる」という題でお話をされた鈴木秀子さんのお言葉です。

最後になりましたが、今月の巻頭の言葉の意訳です(^_^;)

『人の道を得ることは、生まれつき賢いとかおろかとかによるものではなく、どんな人でもそれぞれ道を得ることができます。ただ、努力しているか、なまけているかによって、道を得るのに早い遅いの違いが出るのです。さらにその違いは、道を求める心が切実であるかどうかによるのです。道を求める心が切実でないというのは、無常を思わないからであります。時々刻々、人は死につつあるのであり、すべてしばしもとどまるということはありません。さればこそ、命の存するあいだは、時をむなしく過してはなりません。 』



本日の感じるお話です。
    法  話    庭野日敬  (『瀉瓶無遺』2005.佼成3月号より)

 の人より私のほうが財産があるから幸せだとか、この人より私のほうがきれいだから幸福だといったような幸福感は、あっというまに消えてしまうものです。
 ほんとうの幸せは、そういう「だれだれさんよりも・・・・・」と比較をする虚栄心(きょえいしん)嫉妬心(しっとしん)を捨てたところにこそ得られるものなのです。


 らわれの心から解放され、ゆとりある感謝の心が得られれば、ものごとが好転し、それなりの功徳が必ず頂けるものです。功徳があるのがあたりまえというより、ほんとうの信仰ならば、功徳がなくてはならないのです。弘法大師(こうぼうだいし)は「どんなに病気や薬草の知識があっても、実際に応病与薬(おうびょうよやく)で人を救わないことには話にならない」といった意味のことを申しておられます。


 分の力で生きていると思っていた人が、じつは生かされて生きている自分であることを知る、これも現世利益(げんぜりやく)なのです。目に見えないご先祖に手を合わせられるようになる、それも現世利益です。お釈迦さまがそのご生涯をかけて布教をつづけられたのも、この現世の四苦八苦から人々を救って、それを契機に仏道を歩み、転迷開悟(てんめいかいご)の人生を送ってもらいたいと願われればこそです。すべての人びとに「(まさ)今世(こんぜ)(おい)(げん)果報(かほう)()」させたいと、お釈迦さまは心から願われているのです。
ありがとうございましたm(__)m


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送