わがまま日記

( ̄。 ̄;)2005.04

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3月へ(^○^)5月へ(^o^)丿
貧乏人の私もお金持ちのあの人も、同じようにお金で悩むことを知り、
悪人のあの人も普通人の私も、笑顔で赤ちゃんをあやすことがあるのを知り、
あの人もこの人も同じように幸福を求め、恐れ、悲しむことを知り、
誰もが同じようにいずれは死んでいくということを、
私たちは共通の思いとして感じることが大切なのです。

自分と他人とを、分けて分けて分けて分けてきた長い時代は、
極まって現代の苦しみをつくりだしたのです。
その流れを元に戻すのは、分けたものを元に、元に元に戻すことであり、
自分と他人との共通の思いを、人類の思いとして公平に感じとることにあるのです。
『素顔のままに 心もようの辞典』マドモアゼル・愛著・・「自分と他人をいつも比べてしまう」章より・・今月のエッセイ
2005
.04.10
日曜
2005
.04.03
日曜
こんばんわ(^_^;)

本日はかなり暖かな一日でした。

近くのブック・オフでほとんどの「河合隼雄」作品を収集し、買い占めているのは「僕」です(^^ゞ

ちょっと高い価格の場合、マニアックな著作と思ってその日は帰っても、翌日に、やっぱ買っとこ(^_^;)、として行って見ると、あれっっ、ない(>_<)ということもたまにありました。

誰か僕と似てる変なやつもいるのかと、思いましたが、・・・・心理か教育カテゴリーもしくは自己啓発とか宗教あたりにころがっている場合もありますね(^_^;)

さらに、以前の作品が文庫化されて新発売することもあったり、文庫よりちょっとながめの新書シリーズも面白く、各出版社にも「河合隼雄」作品が結構ありました(^_^;)

読書をしたいのか、作品収集がしたいのか、見た目、判然としませんが(>_<)ちらっとページをめくりますと、どれもなかなか面白いテーマばかりで、楽しみなんですよ(^○^)

段取り上、映画もイマイチでしたので、おいしい食事と、本の確認をすべく、午後から、渋谷へ家内とデートとかいって出かけましたが・・・・・そうですね、確か約380冊ぐらい著作があったかと思いましたが(まだ50冊ほどです(>_<))、中古本屋さんもさすがにすべてはありませんので(^_^;)渋谷のブックファーストあたりに探しに行きました(^_^;)

さすが巨大な本屋さんには、ゴッソリありました(^_^;)探しても見つかりづらかったのですが・・・まとめて「河合隼雄」作品として本棚に整理されてありました(>_<)

棚に積んで並んであるやつすべてほしいなぁと、瞬間思いましたが、貧乏人であることを思い出して(^_^;)一冊に絞って新刊本を買いました。

そのうちまたブックオフで100円か1000円以内でお目にかかることを期待して家路に帰ることにいたしました。

@『未来への記憶 -自伝の試み-』上・下 河合隼雄著 岩波新書
A『河合隼雄 その多様な世界』講演とシンポジューム 岩波書店


この2冊は読み終わったものですが、面白いです(^^ゞ
@は河合先生の生い立ちの記で、心情のままに大変ざっくばらんに書かれていて楽しいエピソードに溢れています。面白いよ(^o^)丿
Aは京都大学教授退官と著作記念に岩波が企画した講演もので、大江健三郎や柳田邦男その他著名人が河合先生についてシンポジュームをしてます、これも面白い(^^ゞ

なかなか崩れそうで、崩れません(>_<)



本日の感じるお話です。
    会長法話  自 己 を 知 る    (庭野日鑛(にちこう)師 2005.佼成4月号より)

   = 無知を知る =

 身のまわりに起こるできごとや人との出会いを、自分を磨いてくれる縁として、有り難く受けとめられる人は幸せです。それができると自己をよく知ることができて、喜びや楽しみだけではなく、苦しみや悲しみ、さらには対立する相手さえも感謝で受けとめられるのです。

 私たちはみな、無常法という「永遠のいのち」の現われとして、生まれ、成長し、死んでいきます。無限に展開される変化・関連のなかで、「永遠のいのち」のひとときを生きるに過ぎない私たち一人ひとりは、世界のすべてを把握し、理解することは不可能なのです。

 釈尊は人間は一生学ぶべきものと悟られたといわれます。中国浄土教の高僧、曇鸞(どんらん)も「聖智(しょうち)は無知なり」(仏の智慧は、この世界は無限であるから、極め尽くすことはできないというものである)と述べています。

 このように自己を知るとは、世界そのものを極め尽くすことができないという無知を自覚することであり、気づくことです。そのように気づくことによって私たちの自我は破砕(はさい)され、目には見えない多くのものに支えられ生かされている「おかげ」を知り、他と調和し支え合って生きることに真の幸せを見いだすようになるのです。

   = 自己と他己 =

 道元禅師は、自己に対して他者を「他己(たこ)」と表現され、他もまた己であり、自他は一如であるとされています。

 自分とは独自の存在であると同時に全体の中の部分であることを意味します。ひとときの生命を生きる私たちが、無常法という「永遠のいのち」にふれ、ともに生かされている事実に目覚めたとき、初めて自他という枠を越えて一つになれるのです。

 自他一如となるとき、たとえば災害や事故にあったり、不幸や貧しさに苦しんでいる人のことを、わがことのように、同悲同苦の心で思いやることができるのです。

 また、相手の欠点や過ちが見えるときも、それはいわば自分の欠点が見えるのであり、同じ過ちをおかすかもしれない自分をふり返ることができるのです。

 四月八日は「釈尊降誕会」です。誕生()の「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」は釈尊お一人のみが尊いという意味ではなく、生きとし生けるものはみな独自の尊いいのちをいただいていることを示しています。

 私たち一人ひとりが生かされていることに気づくこと、そのことが真に自己を知ることになると言えるでしょう。
ありがとうございましたm(__)m

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