みなさま、こんにちわ、8月の、個人ニュースです(^_^;)
最初に、詩をひとつ紹介させてください。
『 かみさま 1年 かわばたまさこ
あのね かみさま どうしてべっぷよしこちゃんだけがびょうきなのですか よしこちゃんはかみさまにいけないことをしたのですか よしこちゃんはあきよちゃんがあしをおったとき やさしくしてやりました よしこちゃんはわるいことをしても あとから「ごめんね」とあやまりましたよ わたしはかみさまがまちがっているとおもいます 』
『希望をありがとう ダウン症児・由子ちゃんと一年五組の記録』(鹿島和夫著、講談社刊)という本のなかの詩のひとつです。
昭和52年9月27日由子ちゃんは生まれました。
ダウン症の精神薄弱児として生まれ、医者からも突然死があるかもしれないし、長生きができないから大事に育ててあげなさい、とまでおかあさんは言われたそうであります。
生まれた時から入退院の繰り返しの中、彼女は(お母さんは)必死の思いで小学校に入学したのでした。
そして鹿島先生の生徒として過ごした1年生の学級の記録を綴ったのがこの本でした。
ダウン症とは・・・
正式にはダウン症候群(「ダウン」はこの病気の研究者の名前)という。染色体異常による病気の一つで、突然変異によって起こる。原因はまだわからず、現在のところまだ治療法はない。いろいろな説があるが。新生児の六百から七百人に一人の割合で生まれる可能性がある。身体的特徴のほか、個人差があるが、運動機能や精神発達の遅れを伴い、先天性の心臓病や白血病を併発することが多い。性格はおだやかで愛嬌があり、あらゆるものに悪意を持たず、「エンジェル・ベビー」と呼ばれる。(同著より引用)
入学後の数ヶ月は目立ってしまう行動や事件を起こしてしまい、様々な誤解や心ない言葉もあったようですが、先生の「由子にとって、事件があるとそれが体験となり、ひとつの学習となる」(お母さんと先生との日記や手紙のやりとりも頻繁になされたようです。)という信念でひとつひとつ学んでいきます。
由子ちゃんは、最初お母さんが朝からずっと同伴で学校生活をおくっていましたが、「できることの喜び」を少しずつ体感することを通じて、お友達の協力のなかで、行き帰りもお母さん無しで学校生活を送っていけるようになっていきます。
さらに子ども達からの提案で、難しい作業も彼女に平等にさせてあげることの大切さも先生は学んでいきます。
由子ちゃんが居るだけで、心がなごむ、笑いが弾む。由子ちゃんが居ると人間の動きが活発になるという不思議な存在であります。
学校内のほかの先生方も素晴らしい対応の中で、学校内の由子ちゃんの様子もすぐに連絡が入るようになり、彼女の存在がみんなに認められるようになっていきました。
さらに、ある時学外へ、出て行ってしまったことがありましたが、学区内の親子が偶然泣いていた由子ちゃんを見つけ連絡してくれました。やっと彼女が、校区という小さな社会でひとりで動き回ってもあんしんできるようになったのでした。
言葉の遅れも、学級の生徒同士が教えあい、繰り返して学んでいきます。
さらに、今まで自分のことは他の生徒に手伝ってもらっている由子ちゃんですが、他の生徒への思いやりも深く、その純粋性を通じて、積極性を見出して自信をつけていく生徒さんも現れます。
冬2月のある日、学校では、マラソン大会が開かれました。
練習も大変なのですが、なんとかこの日を迎え、(マラソンといっても、1年生はトラック2周の800メートル)1年女子84人のスタートとなり、なだれのように走り出します。父兄の応援も凄いので、あっというまに最前部と最後部の差が開き、由子ちゃんの姿が見えました。真剣に脇見もしないで走っていきます。先頭の子どもはゴールですが、さらに一周残っています。先生や友達の応援や場内の大声援に励まされ、無事ゴールすることが出来たのでした。
お母さんの日記より・・・ 『・・・私は、今日の由子の走っている姿を見て、ほんとうに生きていて良かったと思った。 由子が生まれたおかげで、わたしは不幸になったと思った。けれども、不幸というのは、幸せの裏がえしである。不幸をくぐりぬけてきたからこそ、今日のような大きい幸せにひたれる。他の人にとっては、マラソンを完走するということなど、とるにたらない出来事だと思うが、わたしにとっては、生きることの喜びを与えてくれた大きな出来事である。 ほんとうに、ありがとう。 由子、生きていてくれてありがとう。 由子、希望をありがとう。』
多くの素晴らしいエピソードが他にもいっぱい書かれておりました。
ご両親様のご苦労も私共の想像をはるかに超えるものであろうと思います。
最後に、灰谷健次郎さんの、人間を考えるために、というこの本の序文にあった言葉を学びたいと思います。 『・・・ひとりの人間の人生のすべてを象徴するかのような由子ちゃんの多様な表現は、何人も犯すことの出来ない尊厳と光芒をもつ。 人間はもともと神さまに、そのように創られていたのだ。
わたしたちは後にそれを個性と呼んだ。だからこそ人間は、だからこそ生あるものは美しいのに、いつかわたしたちは、特定の価値観でしかそれらを見なくなってしまった。人間のくもりである。・・・・・』
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