求める心      庭野日敬

 私は子どものころから、人さまが難儀をしているのを黙って見ていられない性分でした。

 祖父や父の生き方を見ていて、自然にそれが身についてしまったのだと思うのですが、それで、青年時代になると、見るもの聞くこと、「あれもこれも人助けに役立ちそうだ」と、自分のものにしたくなるのです。
 そうして、ついに法華経に出会えたのでした。

 経典に、「見聞触知(けんもんそくち)(みな)菩提(ぼだい)に近づく」という言葉があります。

ただ漠然と見聞きしているというのではなく、目的をしっかりと定めて毎日を生きる。
真剣に求める。すると、その答えが読む本の中に、会う人の言葉に、また出会う一つ一つのことに、次々と見つかるのです。

 それはたとえば、磁石が砂の中から砂鉄をそっくり吸い付けてしまうのににているのではないでしょうか。
反対に、求める事の無い人は、宝の山の中に埋まっていても、何一つ身につかないのです。
人生の応援歌

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