悲鳴を聞き分ける  庭野日敬  (1992年、平成4年)

 「お母さんなんか死んでしまえばいいんだ」とわが子に言われたら、親は動転してしまいます。
しかし、それが追い詰められた子どもの親に助けを求める悲鳴なのですね。
言葉と心は、必ずしも一つではないのです。

 「頼みもしないのに、なんで私なんか産んだのよ」などという言葉でカッとなるようでは、親として、まだ駆け出しです。子どもがどんな思いでそんな言葉を親に投げつけるのか、考えられる心のゆとりを持つのが親の愛情です。そのゆとりがないと言葉のどぎつさに引っかかって、怒り出したり、目の前が真っ暗になったりしてしまうのです。
 その心の奥の奥を見通せるようになるのが「真観(しんかん)」です。

 会社帰りのサラリーマンが帰宅の途中で一杯やりながら会社の批判をし、上役をこき下ろしている姿をよく見かけますが、これも、悲鳴なのかもしれないのです。

 観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)がどんな人も救うことができるのは、そうした人々の悲鳴の中から、本当の願いを聞き取る力を具えておられるからです。

 私たちも、そういう力を身につけたいものです。
人生の応援歌

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