せちがらい世にも  庭野日敬  (1980年、昭和55年)

 このせちがらい世の中で、人のことなどかまってはいられない、自分の得になることならするが、ちょっとでも損になることは知らぬ振りをする、というのが大方の人の生き方でしょう。

 せちがらい世の中とは、世渡りの難しい社会といってもいいでしょう。自分を第一にしなければ負け犬になってしまうと考えるのは当然かもしれません。とりわけ現代の社会はそれが顕著で、その中で、
 「世のため、人のために奉仕する」といった生き方は一見、愚かなことのようにも見えるのですが、しかし、よく考えてみてほしいのです。

 人間は有史以来、物心両面の幸福をめざし、平和でありたいと願って必死に生きてきたのに、いまもってこの世界から争いはなくならず、不幸はあとからあとからふりかかってきます。いや、幸福を求めれば求めるほど、、さまざまな形で新しい不幸が増えていくのです。

 その原因をよくよく突き詰めていくと、それが自分だけの幸福を求めた結果であることに気づかされるのです。

 理屈が達者で小賢(こざか)しさばかりが目立つこの世で、他のために尽くす大愚(たいぐ)に徹するのが仏道であり、そこにしか真の幸せに至る道はないのです。
人生の応援歌

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