出会いが善縁にも悪縁にも  庭野日敬  (1973年、昭和48年)

 仏教の教えのかなめは縁起(えんぎ)です。縁起とは他との関係が(えん)になって、すべてのものごとが生起(しょうき)することです。一切のものは縁によってたもたれ、縁によって変化し、そして縁が切れると消滅していくのです。

 善因善果(ぜんいんぜんか)悪因悪果(あくいんあっか)というように、人の行為には必ずその(むく)いがあるのですが、いまの若い人たちに因縁というと、いかにも古めかしいものに感じるかもしれません。それで私は、因縁を「出会い」と言い換えて説明させてもらうのです。

 仏教は出会いを大切にする教えといってもいいと思うのです。

 私たちは毎日、じつにさまざまな出会いをしています。いろいろな人と出会い、いろいろな出来事と出会い、いろいろなニュースや情報に出会う。それにどう対処するかで、自分の人生が変わっていくのです。

 出会いを、憎しみ、争いの出会いにしていく人もいます。逆に、どんな嫌なことも()い縁に変えてしまう人もいます。すべての出会いが、こちらの対し方で善縁にも悪縁にも変わるのです。

 どうすれば出会いを善い縁に変えていけるか。それを教えるのが仏教だといってもいいのです。
人生の応援歌

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