はたを楽にする    庭野日敬  (1970年、昭和45年)

 一休(いっきゅう)禅師は「私は耕さずして、ご飯を頂いている。()らずして、着物を着ている。 いったい、私はもらいすぎている。 これをどうつぐなえばいいのか。それを思うと、一時(いっとき)もじっとしてはいられない。」と語っておられます。

 この、「いったい、私はもらいすぎている」という考え方が大事だと思うのです。

 私たちは逆に「私はまだまだ十分に与えてもらっていない。不足だ」と考えがちですが、その心をちょっと切換えるだけで、そこに感謝が生まれてくるのです。その感謝がまわりの人への思いやりになって、お互いに「ありがとう、ご苦労さま」と言い合えるようになっていくわけです。

 己のごとくに他を思う心、それが仏教でいう慈悲心です。真の友情です。

 人が「働く」のは、「はたを楽にする」ためだという人がいます。そういう心意気で働いていると、なによりも自分が楽しくなります。互いに持ちつ持たれつで生かされているのだという自覚から、慈悲心は生まれてくるのです。これこそ真の人間尊重でありましょう。
人生の応援歌

お話の一覧をフレームで見る
  





















SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送