自分が仏になる供養    庭野日敬  (1990年、平成2年)

 彼岸会(ひがんえ)の「彼岸」というのは、向こう側の岸という意味なのですね。争いや苦しみの絶え間がないこちらの世界に対して、平和に満ちた仏さまの世界のことです。

お彼岸にお墓参りをし、ご先祖の供養をするのは、ご先祖さまが仏さまの世界で安らかに過ごせるようにと、花や香をお供えしてお参りするのですが、いちばん大切な供養は、仏さまの教えどおり自分が実行しようと努力する行供養(ぎょうくよう)です。

 お釈迦さまは、苦の此岸(しがん)から涅槃(ねはん)の彼岸に渡る方法として、六波羅蜜(ろくはらみつ)の教えを説かれました。その一番目に挙げられているのが布施行です。

 布施行とは、人さまに本当の喜びを与えようと、精いっぱい努力することです。

 "六度そうしょう"といって、まずその一つのことにつとめると、おのずと戒律を守り、忍耐し、怠けず、心静かに思いを深めることが、だんだんできるようになってきます。そうして自分が仏さまの教えどおりに精進して次第に高まっていくのが、ご先祖さまへのいちばんの回向(えこう)、供養になるのです。

 日蓮聖人は「自身仏にならずしては父母(ぶも)をだにもすくいがたし」と教えておられます。
 
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