足りなさを知る賢者    庭野日敬  (1969年、昭和44年)

 「たとえ愚かな者であっても、自分は愚かであると知っている者は賢者である。愚か者であるのに自分は(かしこ)いと思い込み、そのように振る舞う者がいたら、それこそ本当の愚か者といわなくてはならない」と、お釈迦さまは、『発句経(ほっくぎょう)』で説かれています。

 ものごとの本質を忘れて枝葉末節のことで争い、自分の足りなさを(たな)に上げて小利口ぶり、自分はいつも正しく相手が間違っていると責め合っているのが、今の社会ではないでしょうか。二千五百年も前にお釈迦様が鋭く指摘されたお言葉が、いま、私達の胸に突きささります。

 どんなに時代が変わろうと、人の本性はなかなか変わるものではないことを、あらためて思い知らされるのです。

 その自分を変えていく唯一(ゆいいつ)の道が、自分は愚かであり、足りない者なのだ、と自分を知ることにあります。お釈迦さまの教えをよくよくかみしめなくてはなりません。

 自分を利口者と思ったら、もう進歩向上は止まってしまうのです。
人生の応援歌

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