仏道修行に欠かせぬ提婆達多(だいばだった)    庭野日敬  (1976年、昭和51年)

 お釈迦さまは自分の命を狙ねらった提婆達多を「私に悟りを開かせてくれた善知識(ぜんちしき)である」とおっしゃっておられます。

 善智識とは、仏道に導いてくれる最高の友人という意味です。

 私たちも「あの人は私を磨いてくれる提婆だ」といった言い方をよくしますが、口で言うのは簡単でも、いざ実際に難癖(なんくせ)をつけられたりすると、その人を善智識と拝むことはなかなかできるものではありません。

 かつて私が新井助信(あらいすけのぶ)先生のもとで修行していた当時は、毎晩二、三時間しか眠る(いとま)がないといった生活が何年も続いたものでした。

 それで早朝に起きだして牛乳の配達に回らなければならないのですから、夜寝るときに、「朝の四時に目を覚ますことができますように」と、真剣に念じてから(とこ)に入るのです。

 すると不思議に、夜中の二時に寝ても四時にパッと目が覚めるのです。うっかり寝坊をしたりすると、いつもそばについている家内に、「そんなに疲れるのなら、信仰など止めたほうがいいでしょう」と言われてしまうのですから、真剣です。

 その見張り役の家内が、善智識だったわけです。

 仏道修行は提婆達多がいなくては本物になりません。
人生の応援歌

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