ばかになりきる    庭野日敬  (1969年、昭和44年)

 ふつう、宗教は人から尊敬される人になることを教えるもの、と考えられていますが、私はいつも、みなさんに「ばかになれ」とおすすめするのです。もちろん「ばか」といっても、愚か者のことではありません。

 現代人は、毎日、知識のシャワーを浴びているようなもので、頭のよい人、利口な人ばかりが多くなっているようです。頭がよすぎると、人の言うことを素直に信じることができなくなり、なにごとも先を見通せるつもりで、「そんなことは、とても不可能だ」と決め付け、初めから手をつけようとしない、といった生きかたになりがちなのです。

 それにひきかえ、利口ぶらない人は、みんなが「できない」と決めてしまうことでも、「これが正しい道ならば」とコツコツと手がけて、ついに大事を成し遂げてしまうのです。これが、私の言う「ばかになる」ことです。

 初めのうちは、「あんなことをやっても、むだなのに」と冷ややかに見ていた人たちが、うならずにいられなくなってしまうわけです。
 自ら志願してばかになりきる、その心のゆとりこそが大切なのです。
 
人生の応援歌

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