親のうしろ姿の教化(きょうけ)    庭野日敬  (1979年、昭和54年)

 私の家には孫が四人、一緒にくらしております。まだ小学校や幼稚園に通っている子たちですが、私がご宝前(ほうぜん)でご供養をするときには、孫たちも一緒にすわって、読経(どきょう)するのです。

 なにしろ大家族ですから、それは(にぎ)やかで、家族全員がそろったかどうか点呼をとる、といった愉快で(なご)やかな情景が生まれるのです。

 朝早くからの毎日の読経供養は、まだ小さな子どもたちにはかわいそうかなとも思いましたが、そうして家族がそろって仏事を行じ、読経の席に連なる敬虔(けいけん)雰囲気(ふんいき)の中に身を置くことが全人(ぜんじん)教育の一つになると私は考えているのです。また、その毎日の行が、子どもたちの忍耐力をつけさせることにも役立つと思うのです。

 といっても、私の家でそうしているからといって、みなさんのうちでもそうしなくてはならないと、嫌がる子どもを叱りつけて無理やりすわらせるといったやり方では、逆に反発をつのらせるだけで、本当の教化にはなりません。

 やはり、親が毎日行じるそのうしろ姿を見せて、次第に感化していくことが大切だと思うのです。
人生の応援歌

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