人の心を察するゆとり    庭野日敬  (1995年、平成7年)

 一を聞いて十を知るという切れ者は、ときとして組織を危うくするといわれます。目から鼻へ抜けるような才知にすぐれた人は得難い人材なのですが、そういう人は、ともすると理論だけに走りがちで、理屈が通ればそれだけでぜったいに間違いないもののように考えて、性急にそれを押し通そうとします。それで、人の心を察するゆとりが持てなくなってしまうのです。

 しかし、人が行動を起こすのは頭で分かったときではなく、感情的に「そうだ」と納得したときなのですね。大衆は、それぞれの感情、心を持っています。その心が納得しないと人は動きません。

 お釈迦さまが人々に慕われ、あがめられるお徳を具えられたのは、自高我慢(じこうがまん)を除かれたからだと経典に示されています。

 自高我慢(じこうがまん)とは、文字どおり自分を高くして、それを自慢することです。お釈迦さまは、自分だけが正しいと高みから人を見下ろすような心を、徹底的に克服し尽くされたのです。

 自分と周囲の人びととの関係、自分と自然とのかかわりを本当につかむと、謙虚さが生まれてきます。人を拝める人こそが人の長となる人です。 
 
人生の応援歌

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