深く因果(いんが)を信じ   庭野日敬  (1980年、昭和55年)

 人間にはだれしも欲があり、自分勝手を通したいエゴイズムがあります。ですから、どうしても目先の利害得失にとらわれ、因果の道理を忘れがちになってしまうわけです。

 正直なところみなさんも、うまく立ち回って甘い汁を吸っている人を見たりすると、因果の道理など本当に存在するのだろうかと疑問を抱いてしまうこともあると思うのです。

 仏さまの教えどおりに正直に人さまへの奉仕を先にする生き方をしていたのでは、この社会で自分だけ遅れをとるのではないか、と心がぐらつくこともあるかもしれません。それでつい、自分の欲を満たしたい、楽をしたいといった願いにひきずられ、立派な家に住み、ぜいたくな生活をしている人と自分を比べてうらやみ、ねたむといったことになってしまうわけです。

 そういう人に対して、経典には、きわめて大切な言葉が説かれています。

 「仏説観普賢菩薩行法経(ぶっせつかんふげんぼさつぎょうほうきょう)」の「深く因果を信じ、一実(いちじつ)(どう)を信じ、仏は(めっ)したまわずと知るべし」という一節がそれです。

 仏教徒の私たちにとって、仏を信じ、因果を信じ、ひたすら菩薩道(ぼさつどう)をあゆむ以外に、幸せに至る道はないのです。
人生の応援歌

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