仏さまの学校    庭野日敬  (1987年、昭和62年)

 学校の教室では、先生の質問にすらすらと答える生徒が優等生で、繰り返し先生が説明してあげてもなかなかのみこめない生徒は落第生と、値打ちがまるで違うように扱われがちです。しかし、仏さまの学校では、どちらの生徒も値打ちに違いはありません。

 霊鷲山(りょうじゅせん)でお釈迦さまが法華経を説かれるのに先だって瞑想に入られると、大地が振動し、お釈迦さまの眉間の百毫(びゃくごう)から光がほとばしりました。なにごとが起こるのか、と人びとがざわめきだしたとき、弥勒菩薩(みろくぼさつ)が知恵第一の文殊菩薩(もんじゅぼさつ)に質問をして、それが法華経が説かれる瑞祥(ずいしょう) であることを教えてもらい、集まった人たちがみんな、なるほどと納得します。

 この、すべてのことに通じている文殊菩薩の智慧も、また、みんなのために自分の愚かさをさらけだして質問する弥勒菩薩の慈悲も、同じように尊いはたらきなのです。

 佼成会の法座でも、結ぶ人、結ばれる人が、共に尊いお役を果たしているのです。それによって、みんなが教えをしっかりとかみしめさせてもらえるのです。互いに、心から合掌し合わなくてはなりません。
人生の応援歌

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