無条件の布施    庭野日敬  (1979年、昭和54年)

 中国の南北朝時代の(りょう)の始祖・武帝(ぶてい)は、仏教を(あつ)信奉(しんぽう)し、多くの寺院を建てるなどの功績を残した皇帝です。その武帝が達磨大師(だるまだいし)に、「私はずいぶん弘法(ぐほう)興隆に貢献してきたが、功徳はどれほどであろうか」と問うと、達磨大師は言下に「無功徳」と答えています。

 世間一般では、すべてに対価を求めます。まったく無償の奉仕、布施といったことは考えられないのです。そのため佼成会がさまざまなかたちで社会に奉仕をさせてもらっても、世間の人は、何かもくろみがあるのではないか、宗教界を牛耳(ぎゅうじ)ろうとか政治を自分たちの思うように動かそうといった魂胆(こんたん)があるのではないか、といった警戒心をもって見ることが多いのです。

 そうであればあるほど、私たちは、あくまでも無私に徹しきり、真心をもって事にあたらなければなりません。相手を利用しようとか、人に褒められたいといった気持ちが少しでもあってはならないのです。

 そもそも、宗教は自分の足りなさ未熟さを教えてもらうためのものです。「させていただく」ことはあっても、私欲や教団エゴの「ためにする」ことはありえないのです。
人生の応援歌

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