無条件の布施 庭野日敬 (1979年、昭和54年) 中国の南北朝時代の 世間一般では、すべてに対価を求めます。まったく無償の奉仕、布施といったことは考えられないのです。そのため佼成会がさまざまなかたちで社会に奉仕をさせてもらっても、世間の人は、何かもくろみがあるのではないか、宗教界を そうであればあるほど、私たちは、あくまでも無私に徹しきり、真心をもって事にあたらなければなりません。相手を利用しようとか、人に褒められたいといった気持ちが少しでもあってはならないのです。 そもそも、宗教は自分の足りなさ未熟さを教えてもらうためのものです。「させていただく」ことはあっても、私欲や教団エゴの「ためにする」ことはありえないのです。 |
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