行じている人の言葉 庭野日敬 (1988年、昭和63年) 言葉は 家ではめちゃくちゃで、外でだけ口をぬぐってきれいごとを並べても、やはり人には分かってしまうのですね。こちらに本当の自信がないからです。 言葉の重みは、何を語るかでなく、だれが語るかにあります。 神仏を信じ、その教えどおりに行じている人が語ると、かりに言葉は 「人を愛して親しまれないときは、 人を治めて治まらないときは、己の智の至らなさを反省する。 人に礼して答えられないときは、己の敬の至らなさを反省する」 という『 周囲の人が自分の本当の姿を見せて磨いてくれる鏡だというのは、このことです。 |
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