法 話 庭野日敬 (瀉瓶無遺 183) 人さまへの ですから、まず自分が生かされて生きているのだということに気づくことのほうがさきだと思うのです。 この自覚、目覚めがないと感謝の念が生まれてきませんし、感謝がないと つまり慈悲といっても、人から人への慈悲もさることながら、まず仏さまの私たちへの大きな慈悲に気づかなくてはならないのです。 この、信仰にとっていちばん大切なところが欠落していたのでは、「まず人さま」という心にはなれません。 そこのところをかみしめると、生かされている自分がどう生きなければならないか、自分がなさねばならぬことはなんであるのかが、はっきりとわかってくるのです。 |
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