法  話    庭野日敬  (『人生、心がけ』2005.佼成1月号より)

 数かぎりない存在との関係によって、自分がいまこうして生きていることを知ると、「自分の力で生きている」などとは言えなくなるはずです。自分の力で生きているつもりでいたのが、じつは周囲によって、他の人々に支えられて生かされていたのだと気づかずにいられません。
これが「無我になる」ことなのです。

 木の(また)から生まれてきた人はいません。自分でおしめを取り替えた人もいないでしょう。自ら食を得たわけでもありません。すべては自分以外の多くの人の力によっているのです。「恩を知る人」のことをパーリ語で「カタンニュー」と言います。直訳すると「なされたことを知る者」という意味ですが、自分が今日こうしていられるのはなぜかと、その原因に思いを()せる心、それが「恩」という字に込められているのです。

 どんな人でも人の助けを借りずに生きることはできません。いかに大言壮語(たいげんそうご)してみても、また、どんなに栄華をきわめたところで、人は生まれたときからその人生を終えるまで、人さまの世話にならずには生きられないのです。まずそのことをベースにして人間関係という縁を考えなくてはならないのです。
人生の応援歌

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