法  話    庭野日敬  (『続脚下照顧』2005.佼成2月号より)

 だれしも、自分の思いどおりにならない人といっしょにいるというのは楽なことじゃありません。

しかし、いつも自分の意に沿う人に囲まれているのでは、自分を変えることができないのです。
堤婆達多(だいばだった)がついていないとほんとうに自分を磨けない、というのが修行の原則なのです。

そこで肝心なのは、その相手を自分を磨いてくれる善知識(ぜんちしき)として拝む気持ちになれるかどうかです。そこが定まると、相手の言うことがうるさいとか、「こんなことがわからんのか」と、しゃくにさわるといったことがなくなり、すべてありがたい善知識の言葉としていただけるようになってくるのです。

 それだけではありません。どうしても受け入れることができなかった相手を受け入れることができたとき、わたしたちは仏さまの存在をほんとうに見ることができるのです。信仰の核心をつかめるのです。

 善知識というのは仏になるための修行をよりよく導いてくれる人で、簡単に言えば、よき仲間ということになりましょう。自分に対する厳しい批判や叱責(しっせき)、まっこうから対立する反対者も、自分を磨き成長させてくれるよき友であり、よき師であると、お釈迦さまはご自分の体験をもって教えてくださるのです。
人生の応援歌

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