Poem
【吉野弘 1926年−。詩人。山形県酒田市出身。高校卒業後、就職。徴兵検査を受けるが、入隊前に敗戦を迎える。1949年労働組合運動に専念し、過労で倒れ、肺結核のため3年間療養。1953年同人雑誌「櫂」に参加。1957年、詩集「消息」、1959年詩集「幻・方法」。1962年に勤務を辞めて詩人として自立。詩画集「10ワットの太陽」、詩集「吉野弘詩集」「叙景」、随筆集「遊動視点」「詩の楽しみ」など著書多数。】 |
「早春のバスの中で」 まもなく母になりそうな若いひとが 膝の上で 白い小さな毛糸の靴下を編んでいる まるで 彼女自身の 彼女にまだ残っている 少し甘やかな「娘」を 思い切りよく きっぱりと 急いで自分を「母」へと完成させることが できない とでもいうように 無心に。 |
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「素直な疑問符」 小鳥に声をかけてみた 小鳥は不思議そうに首をかしげた。 わからないから わからないと 素直にかしげた あれは 自然な、首のひねり てらわない美しい疑問符のかたち。 時に 風の如く 耳もとで鳴る 意味不明な訪れに 私もまた 素直にかしぐ、小鳥の首でありたい。 |
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「岩が」 岩が しぶきをあげ 流れに逆らっていた。 岩の横を 川上へ 強靭な尾をもった魚が 力強く ひっそりと 泳いですぎた。 逆らうにしても それぞれに特有な そして精いっぱいな 仕方があるもの。 魚が岩を憐れんだり 岩が魚を卑しめたりしないのが いかにも爽やかだ。 流れは豊かに むしろ 卑屈なものたちを 押し流していた。 |
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動詞「ぶつかる」 ある朝 テレビの画面に 映し出された一人の娘さん 日本で最初の盲人電話交換手 その目は 外界を吸収できず 光を 明るく反映していた 何年か前に失明したという その目は 司会者が 通勤ぶりを紹介した 「出勤第一日目だけ お母さんに付き添ってもらい そのあとは ずっと一人で通勤してらっしゃるそうです」 「お勤めを始められて 今日で一ヶ月 すしづめ電車で片道小一時間・・・・・・」 そして聞いた 「朝夕の通勤は大変でしょう」 彼女が答えた 「ええ 大変は大変ですけれど あっちこっちに ぶつかりながら歩きますから、 なんとか・・・・・・」 「ぶつかりながら・・・・・ですか?」と司会者 彼女は ほほえんだ 「ぶつかるものがあると かえって安心なのです」 目の見える私は ぶつからずに歩く 人や物を 避けるべき障害として 盲人の彼女は ぶつかりながら歩く ぶつかってくる人や物を 世界から差しのべられる荒っぽい好意として 路上のゴミ箱や ボルトの突き出ているガードレールや 身体を乱暴にこすって過ぎるバッグや 坐りの悪い敷石やいらいらした車の警笛 それは むしろ 彼女を生き生きと緊張させるもの したしい障害 存在の肌ざわり ぶつかってくるものすべてに 自分を打ち当て 火打ち石のように爽やかに発火しながら 歩いてゆく彼女 人と物との間を しめったマッチ棒みたいに 一度も発火せず ただ 通り抜けてきた私 世界を避けることしか知らなかった私の 鼻先に 不意にあらわれて したたかにぶつかってきた彼女 避けようもなく もんどり打って尻もちついた私に 彼女は ささやいてくれたのだ ぶつかりかた 世界の所有術を 動詞「ぶつかる」が そこに いた 娘さんの姿をして ほほえんで 彼女のまわりには 物たちが ひしめいていた 彼女の目配せ一つですぐにも唱い出しそうな したしい聖歌隊のように |
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