おはからいのままに     庭野日敬 (1996年、平成8年)

 いつも申し上げるように、信仰する人のいちばんの幸せは、仏さまがすべてご照覧(しょうらん)だと信じていられることにあります。

 けれどもときどき、「こんなに一生懸命がんばったのに」「あんなに真剣に祈願したのに」「仏さまは私をお見捨てになったんではないか」と、絶望に打ちひしがれることもあると思うのです。

 しかし、仏さまはどんなときも、この患難(げんなん)の多い世でのあなたを、しっかりとお見守りくださっておられるのです。

 私たちは神仏にお祈りするとき、自分の欲しいもの、自分の願いがかなうようにとお願いしますが、仏さまは、私たちの欲しいものではなく、必要なものをお与えくださるのです。

 自分の力ではどうにもならなくなったとき、人はだれしも病気を治してください、子どもが受験に合格しますようにと神仏にお願いするのですが、そのあとに必ず、「でも、み心のままに」とつけ加えることを忘れないようにしている、という人がおられました。

 仏さまのおはからいにおまかせしてしまうと、どんな結果であっても、ある時を経て「これがご守護だったのだ」と思い知るときが、必ずくるのです。

 悲しみや絶望を通してこそ得られる宝物もあるのですね。 
  
人生の応援歌

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