一つに徹する   庭野日敬  (1974年、昭和49年)

 のどの(かわ)きを(いや)すのには、一杯の水があれば十分です。なにも貯水池ほどの水を必要とするわけではありません。

仏教を学ぶとき、いたずらに万巻の経典を読みあさっても、逆に、それに(おぼ)れて教えの核心を見失いかねません。

 教養を深めるために数多くの書を読むことも むだ とは言えませんが、「一つの経典に徹しきってこそ、そこから悟りが生まれるのだ」と先師は教えています。

一つの経典どころか、経典の一つの言葉であってもいいと思うのです。

 そのよい例が、教えを少しも覚えられないお弟子の周梨槃特(しゅりはんどく)に対して、お釈迦さまが「(ちり)を払い、(あか)を除かん」という一句を唱え続けさせて悟りを開かせた逸話(いつわ)です。

 周梨槃特は、その一つの言葉、精舎(しょうじゃ)を清める一つの行で、自分の心の垢を払う行を成し遂げたのです。

佼成会の法座では「自分が変われば相手が変わる」と教えますが、どんな人に対しても、どんな問題に対しても、その言葉どおりに信じきって対することができれば、仏教の真髄(しんずい)が体得できます。

 この言葉に、仏さまの縁起(えんぎ)の教えが凝縮(ぎょうしゅく)されているのです。まず、一つのことに徹してみることです。
人生の応援歌

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