最高の功徳   庭野日敬  (1996年、平成8年)

 (はす)の花が開くと、その花の中にすでに実が生じています。
それと同じように、因(原因)と果(結果)は同時というのが仏教の考え方です。

悪事を(おか)しても人に見つからなければ罰を受けずに済む、と考えたら大間違いです。

良心の呵責(かしゃく)で、眠ることもできなくなってしまいます。

反対に、せっかく善根(ぜんこん)を積んでも、だれも評価してくれないと考える人がいますが、これも間違いです。

 人さまに喜んでもらえる奉仕をされた人は、よくご存じのはずですが、()いことをすると、言いようのない喜びがわいてきて、心が清々としてなんの心配もない日々を過ごせます。

 中国・南朝(なんちょう)(りょう)始祖(しそ)である武帝(ぶてい)は、仏教に帰依(きえ)して各地に多くの寺院を建立(こんりゅう)しました。

あるとき達磨(だるま)大師に、「余が多くの寺院を寄進したその功徳は」と尋ねると、

達磨大師は言下に「無功徳」と答えられたのでした。

なにか目に見える功徳ばかりが功徳ではなく、善根を積める自分になれた喜び、晴れ晴れとした心で毎日を過ごせる喜びこそが最高の功徳です。

 かつての自分といまの自分の心がどんなに違ってきているか、周囲がどんなに変わったか、振り返ってみると積んだ善根がそっくり自分に返っているのに気づかずにはいられないはずです。
 
人生の応援歌

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