人の真価を輝かす(かい) 庭野日敬  (1980年、昭和55年)

 戒律の戒を面倒なもの、人を縛るものと考えているかぎり戒の真価はわかりません。

戒があるからこそ人は安心して人生の道を正しく歩めるのだと知らなくてはならないのです。

宗教者でありながら戒を守らない人が、いくら大言壮語(たいげんそうご)し、巧みに法を説いても、人は心から納得してついてきてくれるものではありません。

 人さまに「あの人は口先(くちさき)だけでなく、本当に素晴らしい信仰者だ」と認めてもらえる人は、必ず戒をピシリと守り、それにはまった生活をしておられます。

 また、この社会には信仰者でなくても人に尊敬される立派な方がたくさんおられますが、そういう人は道を知らずしてちゃんと道にかなった生き方をされています。

 私たち信仰者の場合は、まず定められた戒を守ることから信仰が始まります。

 戒は、もちろん人の自由を束縛(そくばく)するものなどではありません。

人を(しば)っているのは、じつは自分の欲望や怠け心なのです。

それについ流されがちな自分を守り、その人の真価を輝かせてくれるのが戒です。

その真価の輝きが教化力(きょうけりょく)になっていくのです。

信仰に(りき)みは必要ありません。

ただ「われのごとく生きてほしい」と言える人間になりたいものです。
人生の応援歌

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