「する」と「なる」   庭野日敬  (1968年、昭和43年)

 句作の要諦(ようてい)は、「する」ではなく「なる」にあるといわれます。

「する」というのは、作為的に無理に作る、あるいは人が驚くようなものを作ってやろう、といった作為をもって句作することをいいます。

そうではなく俳句は自然ににじみ出てくる「なる」ものでなくてはならないというのです。

 しかし、初めからそのように自然に俳句が()めるものではありません。そこに至るまでには意識的に努力する、つまり「する」ことの積み重ねがなくてはならないわけで、まず、お師匠さんについて、そのお手本をなぞって作る。そうしてお師匠さんの教えを完全に身に付けて、そこから自分の世界を見つけていく努力によって初めて、自然に句が「なる」ところに到達できるわけです。

 「なせばなる」という格言がありますが、どんな道を極めるのにも努力の積み重ねが肝心です。

その過程を忘れて、一足飛びに初めから「なる」境地をめざしても、なるものではありません。
そういう考えを浅慮(せんりょ)というのです。
人生の応援歌

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