残された時間  庭野日敬  (1986年、昭和61年)

 天竜寺管長の関牧翁(せきぼくおう)師は、八十歳になられて「人に悪口を言われても、どんな嫌なことがあっても、もはやそんなことを苦にしている時間がなくなってしまった」と、雑誌の対談で話しておられました。

 日蓮聖人は、「臨終の事を習ふて後に他事(たじ)を習ふべし」と教えられましたが、若いみなさんは、臨終のことまでとても考えられないと言われるかもしれません。しかし、たとえば明日、ガンの宣告をされたとしたら、どうでしょうか。

 ちょっと人に言われたことで腹を立てたり、他人をねたんだり、損だ得だと息まいていたことが、なんの意味もなくなってしまいます。誤解や中傷などに振り回されている暇はないのです。

 残された時間に何をしなければならないか、ぎりぎりまで突き詰めていくと、全力を振り絞って、今の瞬間を、今日一日を生きることがどんなに大切か、思い知らずにいられなくなります。

 お釈迦様の教えは、生老病死(しょうろうびょうし)を宣告された人間の生き方を示されたものです。

そこがつかめると、どっしりと腰がすわってきます。
人生の応援歌

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