わが子を拝む心 庭野日敬 (1986年、昭和61年) 授かった子どもが男の子だから女の子だからといって、不平不満を言うような愚かなことがあってはなりません。子どもは自分で勝手にこしらえられるものだと考えたら大間違いです。 神仏から授かる子どもは、親に「本当の生き方」を教えてくれるためにきてくれたお使いです。 心身ともに純白のままで生まれてきた子どもが、一日一日、目に見えて成長していくその変化を見守っていると、親の自分がどれだけ精進できているか、よく分かります。 ところが、子どもがだんだん大きくなってくると、そこのところを忘れてしまい、 「本当にしようのない子だ」とか「どうしてこんな子になってしまったんだろう」と言いだす親が多くなるのです。 わが子を神仏からの授かりものと拝む心、それがなによりも大切なのです。 そういう心になると、親のいたらなさを子どもが教えてくれているのがよく見えてきて、親のほうこそ努力しなくては、という気持ちにならずにいられません。 親御さんがそういう素直な心になってこそ、子どもが素直に育っていくのです。 |
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