責任転嫁(てんか)は自分に返る    庭野日敬  (1977年、昭和52年)

 お釈迦さまが世を去られてから、ほぼ百年後の紀元前三世紀ごろのインドで仏教の興隆に力を注いだアショカ王の教勅(きょうちょく)を刻んだ石碑が発見されています。

 そこに刻まれた言葉の大意は、「人は、自分はこんな()いことをしたと自分の善事だけを見て自分はこんな悪事をなしたと、自分の悪を見ることがまったくない」という内容だそうです。

 いまをさる二千三百年前の言葉ですが、昔もいまも、人間というものは自分の非を(たな)に上げて、自分に都合のよいところだけを宣伝するもので、そこのところは少しも変わっていないことを物語っています。

 なにか不都合なことが起こったとき、その原因を人のせいにし、社会のせいにし、政治のせいにして責任を他に転嫁していれば、自分は傷つかずにすみます。しかし、そうしているかぎり自己反省は生まれません。

 自分にも至らないところがあり、自分は足りない人間だという謙虚さを失って、いたずらに権利の主張ばかりが多いところに、健全で美しい社会は生まれるはずがありません。やがては自分が傷つかなくてはならないのです。
人生の応援歌

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