法  話     庭野日敬 ( 瀉瓶無遺 )

 よく大乗(だいじょう)経典だ小乗(しょうじょう)経典だと分けて、小乗は大乗に劣るのだというようなことをいう人がおります。そもそも大乗とは「悟りの世界である向こう岸に、みんなでいっしょに渡りましょう」といって乗り込む大きな船のことです。そして小乗とは、自分ひとりだけ悟りを開こう、彼岸(ひがん)に渡ろうとして乗り込む小さなボートといえば、わかりやすいでしょう。

 大乗経典を読んでいると言いながら自分中心の生活をしている人もおりますし、また、小乗経典を読む人であっても、人さまのことを心から心配してあげる人もおられます。そういう人は立派な大乗の人ということができましょう。

 キリスト教信者でも仏教的な考え方をされる人もおりますし、その逆の場合もあります。インドで恵まれない人たちの救いに取り組んでおられるマザー・テレサ女史は、「死を待つ人の家」に収容した人に、どの宗教の信者であるかを、まず(たず)ねます。そして、その人が最期(さいご)のときを迎えると、イスラム教徒であればコーランを読んであげる。ヒンズー教徒ならばガンジス河の水をかけてあげるのです。

 マザー・テレサ女史ご自身は敬虔(けいけん)なクリスチャンなのですが、相手に応じて、宗教・宗派の違いを超えた奉仕をしておられるのです。そこには、信仰の違い、宗派の違いといった(かべ)はまったく存在しません。あるのは愛だけです。女史こそ、まさに大乗の人というべきでありましょう。
人生の応援歌

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