親に欠落しているもの  庭野日敬  (1983年、昭和58年)

 ある方が、こんな話をしてくださいました。

 「子供のころのわが家は貧しくて、母親が子どもになにもしてやれないと陰でそっと涙を流す姿を見て、私はこれ以上、母親を苦しめてはならない、とがんばってきました。家出をして不良になっても不思議はない私なのに、それを止めてくれたのが母親の涙だったのです。」と、しみじみ話されるのです。

 かつては、親を悲しませるようなことをしてはならないという考えが、子どもの踏んばりの大きな力になっていました。しかしいまは、そうしたことはあまりみられないのではないでしょうか。父親らしくない父親や、勉強のことばかりを言う母親が増え、学校でも偏差値ばかりをやかましく言うのでは、子どもが爆発したくなるのも当然でしょう。

 親を悲しませたくないという子どもの思いには、他を思いやる心が働いているわけです。それは、親がわが子を心からいたわり思いやるその心が伝わってこそ生まれてくるものです。

 子どもにその思いやりの心がなくなったということは、親自身にそうした心が欠落してきているあらわれではないでしょうか。反省したいものです。
人生の応援歌

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