邪見(じゃけん)を離れれば正見(しょうけん)    庭野日敬  (1998年、平成10年)

 仏教は、あらゆる苦を滅することができる教え、すなわち苦滅の道です。その道はまず正見から始まります。正見とは、真理にのっとってものごとを見ることです。

 真理にのっとった見方というと、「そんなことは、私にはとても無理だ」と考える人がいるかもしれません。それならば、正見の反対の邪見を考えてみると、分かりやすいのではないでしょうか。

 邪見とは、ものごとをすべて自分中心に見る見方です。その自己中心の見方をいちど離れてしまう。相手の目で自分を見る努力をする。それが正見です。

 たとえば、それまで親を恨み抜いてきた青年が、法座や練成会で親がどんな思いで自分をこれまで育ててくれたか、振り返れるようになる。また、職場の上司や同僚を憎んだり、ねたんだりしていた人が、自分を一人前にしてくれるために上司をはじめ仲間のみんなが、どれほどの思いをかけてくれていたかに気づく。それだけで腹の底から懺悔が噴き出してくるのです。

 正見で自分のまわりを見られるようになると、人は生まれ変わるのです。
人生の応援歌

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