わがまま日記

( ̄。 ̄;)2002.9
HOME 人生の応援歌 ハリポタ大好き お友達 りかちゃん
2002.7-8-9-10-11-12  2003.1-2-3-4-5-6-7-8-9-10-11-12
2004.1-2-3-4-5-6-7-8-9-10-11-12 2005.1-2-3-4-5-6-7-8-9-10-11・12
おはなし掲示板 個人ニュース こころの散歩道  Next
過去ログ(^_^;)へBBS4つ お天気プラスone情報源朝日読売日経
精霊達の森move?デジタルフォトギャラリー素材散策自然いっぱいの素材集web素材

人生 こころがけ
2002.
9.30
月曜
月曜、雨ふったりやんだり、9月最終日( ̄。 ̄;)

今日のニュースを見ておりました。
『皇后さま スピーチ全文』は素敵なお言葉でした。
まごころのこもった愛のあるスピーチ、何度となく読み返せればと思っています。

『小泉改造内閣の顔ぶれ
「私はコレで辞めました」 内閣改造、更迭組6人の弁
今日の動きとして確認いたします。

明日から10月ですね。がんばります(^o^)丿

お借りしている「精霊達の森」様のお写真ですが、少し大きくするだけでもずいぶん視野が変わりますね・・・・いつも素晴らしい景観を有難う御座います。

本日の感じるお話です。
     一つに徹する          庭野日敬  (1974年、昭和49年)

 のどの(かわ)きを(いや)すのには、一杯の水があれば十分です。なにも貯水池ほどの水を必要とするわけではありません。

仏教を学ぶとき、いたずらに万巻の経典を読みあさっても、逆に、それに(おぼ)れて教えの核心を見失いかねません。

 教養を深めるために数多くの書を読むことも むだ とは言えませんが、「一つの経典に徹しきってこそ、そこから悟りが生まれるのだ」と先師は教えています。

一つの経典どころか、経典の一つの言葉であってもいいと思うのです。

 そのよい例が、教えを少しも覚えられないお弟子の周梨槃特(しゅりはんどく)に対して、お釈迦さまが「(ちり)を払い、(あか)を除かん」という一句を唱え続けさせて悟りを開かせた逸話(いつわ)です。

 周梨槃特は、その一つの言葉、精舎(しょうじゃ)を清める一つの行で、自分の心の垢を払う行を成し遂げたのです。

佼成会の法座では「自分が変われば相手が変わる」と教えますが、どんな人に対しても、どんな問題に対しても、その言葉どおりに信じきって対することができれば、仏教の真髄(しんずい)が体得できます。

 この言葉に、仏さまの縁起(えんぎ)の教えが凝縮(ぎょうしゅく)されているのです。まず、一つのことに徹してみることです。
ありがとうございましたm(__)m
2002.
9.28
土曜

9.29
日曜
土曜はほぼ終日雨、本日日曜は曇りがちだが晴れ(^_^;)

ネットにおいては宗教関連のサイトも多い事と思いますが、
「祈り」のページ(仙台いたみのクリニック(HOME)内)
Laudate Home Pageを「人生の応援歌」で紹介・リンクさせて頂きました。祈りのひととき/山本神父の「キリスト教入門」などなど
のページも興味深く学ぶことができそうです。
同様に、仏教関係のサイトも見てみまして
法華経の真髄(法華経ノート)  法華経宇宙の旅
やさしい法華経物語  仏教  法華仏教 のサイト
を「人生の応援歌」にリンクいたしました。
そんなおり、病気や事故によって、最愛の肉親(お子さん)を亡くされたご家族の皆様の苦悩を綴ったページを拝見させて頂きました。
読み進むにつれ、とうてい涙なしには読めませませんでした。最愛の人の死という、峻厳な現実の前で、人は何を想い、いかに生きていくことができるのでありましょうか。辛く悲しい現実を少しでも、心で受け止めさせて頂きながら、人間を、人生を考えてみたいと思います。
ちゃいちゃん天使のページ  ティアーズ イン ヘブン(Tears In Heaven)  「ゆうちゃんのリュック」
感動のリンク集(ちゃいちゃんサイト内)  

本日の感じるお話です。
     空老(くうろう)に陥るな          庭野日敬  (1969年、昭和44年)

 菩薩(ぼさつ)というと、私たちなど及びもつかぬ人格をそなえた人のように思うのですが、平たく言えば、人間らしい人間、人間としてあゆむべき道を正しく歩いている人のことなのです。

 人という字が互いに支え合う関係を表現しているように、人間は互いに協力しあうことなしには生きられない存在です。それを無視して自分勝手に振る舞い、「おれが、おれが」と自己主張をしていばりたがるのでは、人間らしい人間にはほど遠い存在になってしまいます。

 そうした無自覚な生き方をしている人に、自分がどれだけ周囲の人々に支えられて生活しているか気づいてもらうのが宗教です。

 それによって、自分から積極的に人の支えになる生き方に目覚めてもらうのです。

宗教に触れると、まわりに生かされている自分が見えてきて、人間としての生き方に目覚めずにいられないのです。

 ただいたずらに年をかさねていくのを「空老」といいます。

空しく老いて一生を過ごしてしまうわけで、お釈迦さまはそれを(いまし)めておられます。

自分の生き方はこれでよいのかと自分を振り返り、菩薩の生き方に立っていただきたいのです。
ありがとうございましたm(__)m
2002.
9.27
金曜
金曜日、朝から雨、明日はもっと降るみたい( ̄- ̄;)

だいぶこちらの関東も涼しくなってまいりました。
秋ですね( ̄- ̄;)

行楽のシーズンですが、パソコンにとりつかれてしまっているのでへたにホームページを持っていると課題が気になって、一日一つは更新したくなり、どこかへ行って愉しむなどということをしなくなります。

もっとも、僕だけの状況かもしれませんが、なんで、こんなことやってんだろう?と、ふと感じる時も・・・・・あります。( ̄- ̄;)

本日の感じるお話です。
     「する」と「なる」          庭野日敬  (1968年、昭和43年)

 句作の要諦(ようてい)は、「する」ではなく「なる」にあるといわれます。

「する」というのは、作為的に無理に作る、あるいは人が驚くようなものを作ってやろう、といった作為をもって句作することをいいます。

そうではなく俳句は自然ににじみ出てくる「なる」ものでなくてはならないというのです。

 しかし、初めからそのように自然に俳句が()めるものではありません。そこに至るまでには意識的に努力する、つまり「する」ことの積み重ねがなくてはならないわけで、まず、お師匠さんについて、そのお手本をなぞって作る。そうしてお師匠さんの教えを完全に身に付けて、そこから自分の世界を見つけていく努力によって初めて、自然に句が「なる」ところに到達できるわけです。

 「なせばなる」という格言がありますが、どんな道を極めるのにも努力の積み重ねが肝心です。

その過程を忘れて、一足飛びに初めから「なる」境地をめざしても、なるものではありません。
そういう考えを浅慮(せんりょ)というのです。
ありがとうございましたm(__)m
2002.
9.26
木曜
木曜、快晴、涼しい、(^_^;)

本日も、無事に終了いたしました。
特にご報告することもありません(^o^)丿
----------------
ハリー・ポッターの第四巻も来月出るそうな(10/23発売)。家内が映画(秘密の部屋)の前売券の購入に合わせて、予約しているはず。
なにか、ボルデモートが復活するらしいし、ハリーやハーマイオニーに恋人が現れるそうな、そして、クィディッチの世界選手権も・・。
机上の"原書"がうらめしい( ̄- ̄;)
(全巻揃っているというのに・・・・・(>_<))
2002.
9.24
火曜

9.25
水曜
火曜。水曜、晴れ、まぁまぁ涼しい(^o^)丿

『人を(しば)っているのは、じつは自分の欲望や怠け心なのです。』

これは、本日の庭野師のお話の一節ですが、とうてい、自分に甘くて人に厳しい(ほんとにすいません(>_<))僕自身の姿を猛省しないといけませんですね。

「人のため」の生き方に思いを馳せて、明日からの業務に、また励んでいきたいと思います。

もう20年以上も前の師のお話(講話)ですが、生き方としてのお話に古い・新しいはありませんね。

本日の感じるお話です。
     人の真価を輝かす(かい)          庭野日敬  (1980年、昭和55年)

 戒律の戒を面倒なもの、人を縛るものと考えているかぎり戒の真価はわかりません。

戒があるからこそ人は安心して人生の道を正しく歩めるのだと知らなくてはならないのです。

宗教者でありながら戒を守らない人が、いくら大言壮語(たいげんそうご)し、巧みに法を説いても、人は心から納得してついてきてくれるものではありません。

 人さまに「あの人は口先(くちさき)だけでなく、本当に素晴らしい信仰者だ」と認めてもらえる人は、必ず戒をピシリと守り、それにはまった生活をしておられます。

 また、この社会には信仰者でなくても人に尊敬される立派な方がたくさんおられますが、そういう人は道を知らずしてちゃんと道にかなった生き方をされています。

 私たち信仰者の場合は、まず定められた戒を守ることから信仰が始まります。

 戒は、もちろん人の自由を束縛(そくばく)するものなどではありません。

人を(しば)っているのは、じつは自分の欲望や怠け心なのです。

それについ流されがちな自分を守り、その人の真価を輝かせてくれるのが戒です。

その真価の輝きが教化力(きょうけりょく)になっていくのです。

信仰に(りき)みは必要ありません。

ただ「われのごとく生きてほしい」と言える人間になりたいものです。
ありがとうございましたm(__)m
2002.
9.23
月曜
月曜、晴れ、振替休日(^o^)丿

本日は午前中に気になっていたホムペの修正・更新をして、午後からお墓参りへ行ってきました。
本日は秋分の日で彼岸の入りにもなりましたので、大変な混みようでした(^_^;)墓地内では、パトカーも徐行しながら警戒しているほどでした( ̄. ̄;)
家内とゆっくりお参りができました。
帰り道、リクエストがありましたので回転寿司に入りました(^_^;)
僕は、初体験です(お恥ずかしい)。
ちなみに、僕が五皿なおちゃんは八皿(+ガリ大盛り)頂きました。
帰り道も大変な渋滞で、遅い帰宅となりました(^_^;)

それでは、小学生の様な本日の日記を終わります(^^)V

本日の感じるお話です。
     最高の功徳          庭野日敬  (1996年、平成8年)

 (はす)の花が開くと、その花の中にすでに実が生じています。
それと同じように、因(原因)と果(結果)は同時というのが仏教の考え方です。

悪事を(おか)しても人に見つからなければ罰を受けずに済む、と考えたら大間違いです。

良心の呵責(かしゃく)で、眠ることもできなくなってしまいます。

反対に、せっかく善根(ぜんこん)を積んでも、だれも評価してくれないと考える人がいますが、これも間違いです。

 人さまに喜んでもらえる奉仕をされた人は、よくご存じのはずですが、()いことをすると、言いようのない喜びがわいてきて、心が清々としてなんの心配もない日々を過ごせます。

 中国・南朝(なんちょう)(りょう)始祖(しそ)である武帝(ぶてい)は、仏教に帰依(きえ)して各地に多くの寺院を建立(こんりゅう)しました。

あるとき達磨(だるま)大師に、「余が多くの寺院を寄進したその功徳は」と尋ねると、

達磨大師は言下に「無功徳」と答えられたのでした。

なにか目に見える功徳ばかりが功徳ではなく、善根を積める自分になれた喜び、晴れ晴れとした心で毎日を過ごせる喜びこそが最高の功徳です。

 かつての自分といまの自分の心がどんなに違ってきているか、周囲がどんなに変わったか、振り返ってみると積んだ善根がそっくり自分に返っているのに気づかずにはいられないはずです。
 
 ありがとうございましたm(__)m
2002.
9.22
日曜
日曜、晴れ・曇り・夕方雨、担当出勤日(^o^)丿

だいぶ涼しくなりました。

北朝鮮の内情や様々な疑惑が毎晩のように報道されています。
死亡年月日、その他の矛盾も指摘されていますね。

キム・ジョンイルという北朝鮮国家の代表者は、部下の暴走行為によって拉致その他の事件が発生し、自らは関係ない、と言いました。ウソなのかマコトなのか、疑念は深まりますが・・・。

一日も早く、この日本人拉致問題に光明を見出せるよう関係各位の努力に期待したい。

いつの日か"偽り"は歴史の名において、是正され、淘汰されていく事を信じるのみ。

NHK週刊子どもニュース/今週のわからん"北朝鮮とはどんな国?"

本日の感じるお話です。
     戒律が身を守る          庭野日敬  (1997年、平成9年)

 仏教の教えでどうして人が幸せになれるのかというと、その基本は、仏さまの(いまし)めを守ることにあります。

 殺生(せっしょう)をしない。盗まない。浮気や不倫をしない。うそを言わない。酒にのまれない。

まず、この五戒を守るのがその出発点です。

 そう言うと、「あれをしてはならない、これもしてはならないと縛られてしまうから信仰は嫌いなんだ」という人がいるのですが、仏教の戒律は、人をがんじがらめにするものではありません。逆に、その人を守るためのものなのです。

 いま、若い人のあいだでスキーが大はやりですが、スキーでゲレンデを滑るのには両足に長い板をつけなくてはなりません。初めのうちはまことに不自由ですが、その長い板を自由に(あやつ)れるようになると、雪の上を自由自在に滑走できて、こんな爽快(そうかい)なことはありません。

 仏教の戒律も人に強制されるのではなく、自発的に反復してそれを身につけてしまうと、誘惑に引きずられたり、うまい話に引っかかったりすることがなく、いつも自由自在(じゆうじざい)に振る舞いながら、思う存分に人生が楽しめるようになるのです。
 ありがとうございましたm(__)m
2002.
9.17.
火曜


9.18.
水曜
火曜・水曜、曇り・晴れ・ちょっと雨涼しいほう( ̄- ̄;)

北朝鮮拉致事件
http://www.asahi.com/national/abductees/index.html
小泉首相訪朝
http://www.asahi.com/politics/houchou/index.html
不審船問題
http://www.asahi.com/national/fushinsen/index.html
在日社会にも衝撃広がる 日朝会談
http://www.asahi.com/national/feature/K2002091800012.html
ニュース特集首相訪朝
http://www.yomiuri.co.jp/rachi/index.htm

本日の感じるお話です。
     慈眼(じげん)を具える          庭野日敬  (1993年、平成5年)

 お釈迦様がご在世当時のインドに、コーサラ国という大国がありました。その国の王様が、あるとき、「私がつらつら考えてみるのに、どう考えても自分より(いと)しいものはない。そなたはどうか」とお(きさき)に尋ねたのですが、お妃も、考えてみるとやはり自分がいちばん愛しい。

 それで、お釈迦さまにおうかがいしてみることにしたのです。
その王と王妃に対して、お釈迦さまは、

「自分がいちばん愛しいと知ったら、人もまた自分がいちばん愛しいとわかるはず。

 だから、人を害してはならない。」

と教えられたのでした。

 わたしたちはふだん、自分の立場からしかものごとを見られないのですが、そこで一度踏みとどまって、相手の立場に立ってみる。相手の立場に立って考えてみる。
 すると、同じことが、まるで違って見えてきます。目からウロコが落ちたように、相手の心、ものごとの本当の姿が見えてくるのですね。

 人様の立場に身を置き換えて見直すことができるようになることが、「慈眼」を具えることだといってもいいと思うのです。
 ありがとうございましたm(__)m
2002.
9.16.
月曜
月曜、雨でした、涼しい日( ̄- ̄;)

敬老の日でしたね( ̄. ̄;)明日からまたがんばりまして、親孝行に努めたいと思います(^o^)丿

今日は、ゆっくりさせていただきました(^o^)/~~~~~
2002.
9.14.
土曜


9.15.
日曜
土曜・日曜、曇りのち晴れ、時々小雨、涼しいです(^o^)丿

あっという間に、月中です(^^ゞがんばらないとね。

ビデオを借りるのも珍しいですが、2本借りて見ました。(日曜)
  『キャストアウェイ』『ショーシャンクの空に』です。
土曜の夜のテレビ映画『グリーンマイル』も感動しましたね(^^ゞ

http://www.uipjapan.com/castaway/
↑こちらが、『キャストアウェイ』のサイトで、↓が『ショーシャンクの空に』のサイトです。
検索して、映画紹介として内容的に良いものを選んでリンクしてみました。また、その↓下に『グリーンマイル』のサイトもリンクしています。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Hinoki/9024/movies/shawshank/shawshank.htm
グリーンマイル(THE GREEN MILE)さらにCinema Clip:特集「グリーンマイル

3作ともに、人間としての限界ギリギリまで追い詰められる時の真実のすがたと"希望を捨ててはいけない"という訴えが感じられる、私達の生き方への示唆に富む感動的な作品でした。(^o^)丿

本日の感じるお話です。
     (ふところ)の深さ          庭野日敬  (1991年、平成3年)

 人間を練るのにいちばんいいのは、自分に反発する人、こっちの言うことを聞かない人にぶつかったときです。

 そういう人に出会うと、「人というものは一筋縄ではいかないものだ」と思い知らずにいられません。

 なんでも、「はい」「はい」と言うことを聞いてくれる人と違って、いちいち突っかかってきたり、こっちのアラばかり探し出そうとしているような人に真正面から取り組んで、「なんとかしてこの人に分かってもらいたい」と真剣になると、その突っ張っている態度の裏に隠された、その人の寂しさや弱さが、だんだん見えてくるようになるのです。

 その相手の心が見えると、もう他人事ではなくなるのですね。

 実際に、さまざまな人とぶつかり、取り組んでみて、「なるほど、人の心と言うものはこういうものだったのだ」とつかめると、腰がすわってきます。

 どんな人に対しても、たじろぐことがなくなります。それが(ふところ)の深さになるのです。

 人間の本当の心の中が分からなくては、本当の思いやりは生まれません。それでは、人がついてきてくれないのです。 
 ありがとうございましたm(__)m
2002.
9.13.
金曜
金曜、快晴・曇り・夜は小雨、 (^o^)/~~~~~

月一回の雑誌購入日(^_^;)つい、最新PCと周辺機器やソフトの新製品などがどうなっているのか見たくなります(^^ゞ

日々使用している僕のパソコンも、遅いですが、壊れる事も無く今日も元気に動いています( ̄。 ̄;)

相変わらず高性能・低価格化は進んでいます(^o^)丿
素敵なデジカメも続々登場していますね。

そうです(>_<)もったいないので、今持っているハードを使いこなしましょう( ̄- ̄;)僕も、男の子です。

XPのサービスリリース版もボチボチでてきますね。98SEも2000も、今となってはそんなに悪くもないので、もっとお勉強してあげないと、パソコンがかわいそうな気もしますo(^o^)o

ところで、今週は子ども達が大学の倶楽部やゼミの合宿などで、いませんでした(^^)V
静かな静かな日々でした。・・・しかし、昨晩で、その静寂の世界も終焉を迎えました。

まぁ、元気そうな子ども達の顔をみましたので、安心はいたしましたが、騒がしいいつもの生活パターンが今日から始まっています (^o^)/〜〜〜〜〜
2002.
9.11.
水曜


9.12.
木曜

水曜・木曜、快晴、やや暑い、( ̄。 ̄;)

理不尽な暴力によって多くの尊い命が犠牲となりました。

そして、暴力の連鎖・報復によってさらに犠牲者が・・・。

9・11から1年/米国同時多発テロ1年特集(朝日)
ニュース特集同時テロ1年/同上(読売)

昨日の夜、テレビ番組で、当時たまたま地元消防士の取材中に現場の撮影に遭遇した兄弟のフランス人カメラマンのレポートを見ました。

涙・怒り・虚無感・人間の愚かさ・悲しさ・・・。

誰もこんなことができる権利などありません・・。

しかし、数千人の命が奪われていきました・・・。

人は何の為に生きるのでしょうか・・・・もういちど、自ら問い直していかねばなりませんね。
2002.
9.9.
月曜


9.10.
火曜
月曜・火曜と晴れました。月曜は雨も降ったかな( ̄. ̄;)

ここでの天候表示はあまり参考になりません(>_<)

毎日の日記ということもありますが、さしたるお話や出来事も少なく、日々のやるべきお仕事を淡々と続けているのみ、といったとこですが、課題も多いですね(^_^;)

むしろ、物事の本質的な考え方を教えていただきながら、生活の中で、実践していけたら大変有難いと思うこのごろです。

"人生の応援歌"も、時間があると読み直しています(^_^;)
まったく、自分に言い聞かせないといけないことばかりです。

本日の感じるお話です。
     無言の声を聞く          庭野日敬  (1987年、昭和62年)

 山に生えている木を見ても、まっすぐに伸びたり幹をくねらせたりして、さまざまなことを訴えているのですが、私達はふだんそれに気づきません。

 周囲の人たちに対しても同じで、健康なときは病人を見ても痛くもかゆくも感じませんし、若い人は老人の姿を見ても、自分とは関係ないもののように思っています。

 しかし、それでは本当のものは、なにも見えてこないのです。

 良寛さんは      「君()双眼(そうがん)の色、語らざれば、(うれ)い無きに似たり」 

 という言葉を愛されて、書にも残されていますが、聞こえない声に耳を傾けてこそ、仏さまの慈悲の説法が身にしみてきます。

 私は農家の生まれで、稲の苗を植え、豆をまき、サツマイモを植え付け、いろいろな作物を育ててきましたが、細かな心くばりをして、肥こやしをあげると、作物もこっちの心がわかって、ぐんぐん伸びていきます。

 慈悲心を持つと、作物の訴えが聞こえてくるのです。

 こちらに愛情がないと、どんな作物もよく育ちません。

慈悲心がなくては、人のさまざまな訴えも世界の苦悩も身に感じることができないのです。
 ありがとうございましたm(__)m

なお、「君()双眼(そうがん)の色、語らざれば、(うれ)い無きに似たり」 の語彙の説明に関して、幾つかの参考サイトを検索させて頂きました。下記に記します。
http://www.itsuji.co.jp/mandara/sm/kagiyama8.htm 講演内容も別の意味で素晴らしいですよ(^^)V
『演題「小さな実践の第一歩から」(株式会社イエロ―ハット 鍵山秀三郎)』
頁を戻すと他の講演もありますね。
http://www.geocities.co.jp/PowderRoom/2072/2-24-2.htm
*I*M*A*G*I*N*E*さんサイト内の"良寛さん"』より・・素敵なサイトです、ご挨拶させて頂こうかな(^o^)丿  
2002.
9.6.
金曜


9.7.
土曜


9.8.
日曜
金曜・土曜・日曜、ずっと今回は雨雨雨です。
日曜はなんとか晴れました(^o^)丿

今日の日曜は、ハリポタを愉しみながら再読し、ページの更新をさせてもらいました。
小説における日本語訳とはいえ、日々の細かな生活の機微もなかなか面白く取り上げている原作だけに、意訳も数多くあるでしょうが、大変愉しい表現で飽きませんね(^^ゞ

少しずつではありますが、あらすじをご紹介しております(^o^)丿

ついつい旅行も出来ない者で、それでも利用をお許し頂いているサイト様から、素敵なお写真を数多くお借りして載せています。
奥入瀬にしても白神山地にしても一度もいったことはございませんが、あまりの美しさに息を呑む思いです。

いつか行ってみたいですね。写真も撮りたいですo(^o^)o

本日の感じるお話です。
     人づくりの(かなめ)          庭野日敬  (1998年、平成10年)

 国の経営も、企業の経営も、どんどん厳しさが加わってきて、そのためか、上杉鷹山(うえすぎようざん)公の話がテレビや雑誌でしばしば取り上げられるようになりました。

鷹山公は、破綻寸前の米沢藩をみごとに立ち直らせた殿さまです。先日も、その鷹山公の生い立ちから藩建て直しの苦難の道をテレビが伝えていましたが、鷹山公の藩建て直しの要は人づくりにあったことが、よく分かります。

鷹山公は「冷えた灰の中にも探せば火種がある。やる気のある者は、自分の胸に火をつけよ。それを人に移せ」と説いて、人々に目標と働き甲斐(がい)を植え付けていったのでした。

 人は前途に見通しを持ち、自分のなすべきことを知ると、どんな苦難にも耐え、それを乗り越える力を奮い起こします。

 私の小学校時代、校長先生が

  「なせばなる、 なさねばならぬなにごとも、 ならぬは人のなさぬなりけり」

 という格言を大きな字で書いて教室の柱に貼ってくれ、それをみんなで何度も何度も暗証(あんしょう)して覚えた ものでした。

のちに上京して、行商でヘトヘトになったときも私はそれを口ずさんで自分を励ましたものでしたが、それが鷹山公が()まれた歌だったのです。
 ありがとうございましたm(__)m
2002.
9.3.
火曜


9.4.
水曜


9.5.
木曜
火曜・水曜・木曜、快晴、残暑またまた厳しい( ̄。 ̄;)

日々あっという間に過ぎていくので、日記も忙しい。
(習慣の無い者にとっては(^_^;))

今日の写真は紅葉ですが、ちょっと早いね(^^ゞ

今年の春ぐらいから、デジカメで桜を撮りに行ったり、花や樹をめでるようになって、ちょっとしたところにも美しい世界があることがわかり、なかなか楽しい新発見ができるようになりました(^^ゞ

また、地元の名所・旧跡・公園などにも少なからず興味を覚えたのも不思議なものですね(^^ゞ

時間の許す範囲で、これからも新鮮な心で眺めていきたいと思っています。

本日の感じるお話です。
     間違いを正す素直さ          庭野日敬  (1990年、平成2年)

 若い人の心の内をよく聞いてみると、「素直になりたいけどなれない」と悩んでいる人が、ずいぶんいるのですね。
普段素直になろうと思っていても、いざとなると反発して、「また、やってしまった」と(ほぞ)をかむ。

それでいつも後悔している人へのアドバイスですが、素直さのいちばんのかなめは何かを知っておくと役立つと思うのです。

素直さとは、まず自分の間違いを正すことにやぶさかでないことです。

そして、教えられたとおり、すぐ実行すること。

自分はぜったいに正しいと思っているかたくなな心では、人の言葉に素直に耳を傾けられるものではありません。それで、いつも自分中心に判断をするから周囲に嫌われてしまうのです。

豊富な知識を蓄えた人を教養のある人といいますが、それは豊かな知識で自分の心を柔らかく耕し、素直に周囲を受け入れられる人で、だからこそ尊敬されるのです。

逆にせっかく豊富な知識を具えているのに、人に嫌われてしまう人がいるのですね。これは知識で武装して、人を裁こう裁こうとしているからです。そういう人を浅識(せんしき)というのです。
  ありがとうございましたm(__)m
2002.
9.2.
月曜
月曜、快晴、残暑厳しい( ̄。 ̄;)

9月も始まりました。
相変わらず、厳しい経済環境が続いています。

一方、お蔭様で日々健康に恵まれて、協力して本業を推し進める仲間がいて、愛情に支えられた家庭とともに生き続けさせて頂いている自分がいます。

諸行(しょぎょう)無常(むじょう)なり」という仏の教えがあります。
すべてのものは、ただの一刻(いっこく)も同じところにとどまらず、常に変化しているということ、を意味しています。

都合の良い事も、悪い事も、苦しい事も、楽しい事も変化しますし、状況の更なる悪化もあれば、着実なる前進もあると言えます。

かくして大事なことは、言うは易く、行いは難しの常精進(じょうしょうじん)ですが、自分自身の本心をよく理解して、真実と、しっかり対峙(たいじ)していかねばなりません。

本日の感じるお話です。
     一人しかいない自分          庭野日敬  (1987年、昭和62年)

 お釈迦様は、お生まれになると七歩あゆまれ「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と宣言されました。「私はこの世で、かけがえのない存在だ」とおっしゃられているのですが、仏様の子である私たちも同じで、一人ひとり、かけがえのない存在なのです。

 私たち一人ひとりは外見は人とあまり変わらないように見えますが、たとえば、大やけどをしたあとに人の皮膚をもらって移植しようとしても、私たちの体は、組織が違うものは拒絶して移植ができにくいのだそうです。

 それに比べて動物のチーターなどは、遺伝的にはほとんど違いがなくてほかのチーターからの移植もきくのだそうですが、そのためにチーターは繁殖力や病原菌に対する抵抗力が弱く、絶滅の危機にさらされているのだといいます。

「もっと頭がよく、美人にうまれていたらなぁ」と残念がる人がいますが、あまりみんなの違いがなくなると絶滅の危機を迎えかねないわけです。

 それぞれ癖や特色を持っているところが尊いのですね。その天賦(てんぷ)を精いっぱい発揮して、それぞれ自分が自分の役割を持って協力し合うことが大切なのです。
   ありがとうございましたm(__)m
2002.
9.1.
日曜
日曜、晴天、残暑厳しく、出勤日(>_<)

比較的に静かな日曜でした(^_^;)

今週もあっという間に過ぎ去ってしまいますが、遣り残している事もまた数知れずです。(^_^;)

少なくとも日々の後悔をしなくて済むように、「即実行」をこころに刻みたいものです。

ぼちぼち、涼しくなってもいいんですけどね( ̄. ̄;)

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送