わがまま日記

( ̄。 ̄;)2003.12
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11月へ(^○^)1月へ(^o^)丿
幸福(さいわい)なるかな、心の貧しき者。天国はその人のものなり。
  幸福(さいわい)なるかな、悲しむ者。その人は慰められん。」(マタイによる福音書)
2003
.12.31
水曜
こんばんわ

岩本山から。
(富士の響さんより)


さきほど、掲示板に少し書かせて頂きましたので、あまりお話する事もありませんが・・・・(^^ゞ

やはり、人は幸せになるために自ら自己改革を推し進め、少しでも世のため、人のために報恩感謝のこころで最後まで努力し続けていくものだと思います。

自分にとっての都合・不都合もいろいろありますが、本来的な価値観を学びつづけながら歪みを直し、素直なこころで日々生活していきたいものであります。

2004年ももうすぐ始まります。

年初には、改めて初心に立ち返り、一年の計を立てたいと思います。

みなさま、本年は誠に有難うございましたm(__)m

2004年もよろしくお願いいたします(^o^)丿



本日の感じるお話です。
       数々の大果報   庭野日敬  (1996年、平成8年)

 九つ満ち足りて、一つ不足なだけでも、その不足不満ばかりを言い立てる。自分を省みてつくづくそう思う、と三浦綾子さんが書いておられました。
 今年も一年が終わろうとしています。

この一年を振り返って、「今年もいいことはなかった」と嘆くのでなく、どれだけのものを与えてもらってきたか、数え上げてみようではありませんか。
 健康で、大過なく過せたことだけでも、よくよく考えると大果報なのです。

 夫婦の間で、親子の間で、上司と部下の間で、不足ではなく、与えられた幸せのほうを数え上げてみたいものです。

 小欲知足(しょうよくちそく)というと、現状に甘んじる消極的な生き方のように考えがちですが、授かったものを感謝で受け取るのが小欲知足(しょうよくちそく)です。

その感謝の心への切換えは、与える喜びを知ることにあります。
与えられることばかり求めていると、どんなに恵まれても不足を感じるのですが、人さまに与えられる人になると、わずかしか持っていなくても満足していられるのです。

 「諸法は心よりなる。
  (きよ)らかな心をもって語り、行うならば、楽しさの従いくること
  影が形に従いて離れざるが如し」

と、『発句経(ほっくぎょう)』は教えています。
  
ありがとうございましたm(__)m
2003
.12.22
月曜
こんばんわ


逗子海岸からの富士夕景。
(富士の響さんより)

うーむ、この朱色の世界は凄いですね(^_^;)


今年も、ほぼ最後の一週間を残して僅かとなりました。

まだ、終わりきってはおりませんが・・・・・


正直、今年も大変厳しい年であったと言わざるを得ませんが、またある意味で自分自身のありかたを見つめ直すという点では、またとない時期であるようにも思えます。

わがまま日記も不定期ながら、なんとか続けさせて頂いていますが、今後とも自分自身への問いかけとして、また、励ましとして、日々の在り方を模索し続けてまいりたいと思っております。

どうもまとめグセがついておりますので・・・・・・すいません。

明日は天皇誕生日ということでありますが、出社してお仕事となります(^_^;)

相田 みつを さん ニ題

『    ある日の つぶやき

   やれなかったのでは
    ないんだな
   やらなかったんだな    』

『    じ ぶ ん

   背のびする じぶん
   卑下する  じぶん
   どっちも  やだけど
   どっちも  じぶん     』



本日の感じるお話です。
  本音で話す人   庭野日敬  (1993年、平成5年)

 瀬戸内寂聴(じゃくちょう)さんとは、以前に対談をさせてもらって、仏教を分かりやすく話される方だと感心したものですが、その話し上手の瀬戸内さんでも、講演などでみなさんがいちばん熱心に聞いてくださるのは、自分がどうして出家するようになったかという話だそうです。「整然と仏教の法門を説かなくては権威がなくなって法が立たない」などと考えすぎて理屈だけで法門を説いたり、人さまからの借り物の言葉で教えを説いても、聞く人の腹にしみわたりません。

 自分がどうしてご法に導かれるようになったのかを、ありのままに話させてもらうと、だれもが自分が抱えている悩みにあてはめて、ご法の大切さを分かってくださるのです。そうして赤裸々に自分を懺悔(さんげ)することができるようになるのには、ありのままに自分を見つめる正直さ、真摯(しんし)さが必要で、その真摯さが人の胸をうつのです。

 「この人は嘘も駆け引きもない本音を話される人だ」と信じてしまうと、その人の前では自分をさらけだして話せるようになるのですね。みなさんが洗いざらい懺悔せずにいられなくなるような、そういう人にならないと人は救えないのです。
ありがとうございましたm(__)m
2003
.12.16
火曜
こんばんわ

毎日でも書きつづけたほうがいいかな、と感じる時もありますが・・(^^ゞ

まぁ自然体が好きなので、日々の心のままにしていますけどね(^_^;)

今日はグッと寒い一日でした。

これからも益々寒くなっていくのでしょうね(^_^;)

今日の火曜と土曜は担当でショールームにちょっと遅くまで居ますので、たまたま自分のハリー・ポッターのページを覗いていましたが(^^ゞ・・・・・

意外と、おもしろいです(>_<)

JKローリングさんが、この小説で何億というファンの心をつかみ映画化を通じてますます楽しい世界を見せてくれました。

年齢を超えて、僕みたいなオジサンも楽しめる世界を創造できるというのも素晴らしいことですね。

また、未完成な部分もボチボチまとめていこうかとも思いました(^_^;)

第五巻も面白そうですし、
http://www1.odn.ne.jp/~cci32280/pbJKRowling2.htm#Order%20of%20the%20Phoenix

第三巻の映画ももうじきみたいですしね、
http://www2.rosenet.ne.jp/~chatnoir/harry/info/movie/movie3/movie3_top.htm

えーと、全然関係ないですが、懐かしい『俺たちの旅』のドラマを見ながら書いてますが、小椋けいの歌も懐かしいです(^^ゞ出演者も歳をとりました(^_^;)岡田奈々もずいぶんふけたなぁ(^_^;)なんとなく中村雅俊も青っぽいセリフを言ってます・・・・(^_^;)

でわでわ、おやすみなさい(^o^)丿

本日の感じるお話です。
  人生ドラマのヒーロー   庭野日敬  (1996年、平成8年)

 テレビドラマなどを見ていると、次々に事件が起こり、主人公がそれに取り組んで問題を解決していきます。そこがドラマのおもしろさですが、それは人生の縮図ともいえます。

 私たちの人生は、解決を迫られる問題の連続です。家庭でも、夫婦で意見が衝突したり、家族が病気になったり、子どもが反抗したりと、心配ごとの絶え間がありません。けれども、それがじつは家庭のゆがみに気づかせ、その立て直しを願う家族の訴えの(きし)みなのですね。そこで、ただ困った困ったと頭を抱えて、その場をとりつくろおうとするよりも、その"症状"の底にあるものに気づくことが大事です。

 信仰というと、無病息災、家内安全、商売繁盛を願うことのように思われがちですが、そうではありません。次から次へと問題が起こってくる人生だからこそ、それに立ち向かい、それを乗り越える力をつけてしまう。その力を与えてくれるのが信仰なのです。

 こっちがその力を具えてしまえば、どんな問題が起ころうと、平然と対処していけます。それが本当の平穏無事です。自分が自分の人生の主人公になるのです。
ありがとうございましたm(__)m
2003
.12.11
木曜
こんばんわ

三 つ 峠からの霊峰富士。
(富士の響さんより)
雲海が見事ですね。

今日はのんびりできました(^^ゞ

BBSで長文のりかちゃんへのお返事を書いてしまいましたが、ほぼそのままの経緯で過しています(^_^;)

家内と夕方レストランで軽い食事をしましたが、まだ冷たい雨が降り続けていました(^^ゞ

今日は、富士の美しいお写真を見ながら、おやすみしたいと思います。

でわでわ、おやすみなさい(^o^)丿
2003
.12.10
水曜
こんばんわ

岩本山からの富士山のお写真です(富士の響さんより)
いつも素敵ですね(^。^)

今週は何かと忙しく、代休も取れるかどうかという状況でしたが、なんとか明日休めそうです(^_^;)


さて(^^ゞ、今日の午前中ですが、車のラジオを聞きながら走っておりましたが、なかなか心温まるお話の番組で、しばし涙が止まらなくなってしまいました。

NHKの「ときめきインタビュー」という番組であることが後でわかりましたが、新井満さんという作家の方が英語の詩を詠んで大変感動し、日本語の訳詞をし、音楽を作られたものでした。
http://www.nhk.or.jp/radiodir/wakuwaku/coner/star.html 12月10日千の風、心に響く 新井 満
また、本の紹介もネットで見つけました。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062121247/249-7537754-2994741 「千のかぜになって」
この↑サイトには著者からの内容紹介もありました。

詩は 次のような 言葉でした。

「千の風になって」

私のお墓の前で 泣かないで下さい
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る


新井満さんは、奥さんをガンの病気で亡くされたお友達がいらしたそうです。そして同時期に出会った英語の詩に大変感動し、何度も英文を朗読しながら、その作者の意味するところを真剣に求められたそうです。
そして、人は、その命には限りがあるけれども、たとえ亡くなったとしても、たくさんの風となって大空を飛び、光となり、雪となり、鳥となり、星となり、あなたを見守っているのだと観じられました。
風とは、生まれては消え、消えては生まれる有りよう。それは大いなる地球の呼吸のようにも思えると。
そして人は亡くなったといえども、私たちの目にする光の中に永遠に生きつづけているのだとも。

そして、その訳詞に音楽を作り、ご自身自らレコーディングをされました。一回きりの、練習なしのレコーディングだったそうです。素朴な歌い方は、本来はもっとお上手だそうですが、歌いながら、亡くなったお友達の奥さんのお顔や91歳までお元気だったお母様の思い出が走馬灯のように浮かんで、二番までは何とか歌えていましたが三番ではほとんど泣きながら歌うしかなかったと言われていました。

また出来上がったCDを先程の亡くなった奥様のお友達にお送りした時が、その娘さんが24歳になって、めでたく結婚式を挙げられる前日だったそうです。(娘さんがお母様とお別れしたのが17歳の時だったそうです。)
そして、その詩と音楽を聴いて、急遽、翌日の式の音楽とされたそうです。
後日、お友達のお話からその音楽をバックにお嬢さんがご両親に(他界されたお母様へも)感謝の気持ちを述べられた様子をおっしゃっておりました。

新井満さんは芥川賞もとられた作家ということですが、他の著述には読書感想を送ってくださる方はあまりいなかったようでありますが、この「千の風になって」はもの凄い数のお返事を頂いたそうであります。
それは、2ヶ月前に最愛のご主人を亡くされた女性の方からや、息子さんに先立たれたお父様から、また、今尚病床に臥して苦悩の渦中で闘病生活を送ってらっしゃる方からの感謝のお礼のお手紙だったそうです。


本日の感じるお話です。
   おはからいのままに     庭野日敬 (1996年、平成8年)

 いつも申し上げるように、信仰する人のいちばんの幸せは、仏さまがすべてご照覧(しょうらん)だと信じていられることにあります。

 けれどもときどき、「こんなに一生懸命がんばったのに」「あんなに真剣に祈願したのに」「仏さまは私をお見捨てになったんではないか」と、絶望に打ちひしがれることもあると思うのです。

 しかし、仏さまはどんなときも、この患難(げんなん)の多い世でのあなたを、しっかりとお見守りくださっておられるのです。

 私たちは神仏にお祈りするとき、自分の欲しいもの、自分の願いがかなうようにとお願いしますが、仏さまは、私たちの欲しいものではなく、必要なものをお与えくださるのです。

 自分の力ではどうにもならなくなったとき、人はだれしも病気を治してください、子どもが受験に合格しますようにと神仏にお願いするのですが、そのあとに必ず、「でも、み心のままに」とつけ加えることを忘れないようにしている、という人がおられました。

 仏さまのおはからいにおまかせしてしまうと、どんな結果であっても、ある時を経て「これがご守護だったのだ」と思い知るときが、必ずくるのです。

 悲しみや絶望を通してこそ得られる宝物もあるのですね。 
  
ありがとうございましたm(__)m
2003
.12.6
土曜
こんばんわ


櫛形山(くしがたやま)から見た富士のお山のお写真です。
(富士の響さんより)

素敵ですね。

一週間もあっという間です。

もっと自由に気持ちを述べられれば宜しいのですが・・・なかなか不自由な自我が跋扈(ばっこ)していて思うに任せません(>_<)


さて、明日はお仕事で、晴れると有難いのですが、どうなるでしょうか(^_^;)


なんとなく、最近は、ひろさちや氏・瀬戸内寂聴氏・玄侑宗久氏と、いままでお勉強していなかった方々に惹かれまして、書物を通じて、お話を聞かせて頂いています。

なかなか素敵なお話も数多くあり、ゆっくり顧みながら考えたいと思いました(^^ゞ

寂庵へようこそ!(瀬戸内寂聴さん)

sokyu(玄侑宗久公認サイト)
サイト内にプロフィール・エッセイ等あり、楽しめます(^^ゞ

ひろさちや氏(略歴)
宗教評論家。1936年(昭和11年)、大阪市生まれ。東京大学文学部印度哲学科卒業。同大学院博士課程終了。気象大学校教授を経て、現在、執筆や講演活動のかたわら「まんだらの会」を主宰。著書に「仏教の歴史(全十巻)」(春秋社)「わたしの「南無妙法蓮華経」」「ひろさちやの「道元」を読む」「ひろさちやの「親鸞」を読む」(佼成出版社)ほか多数。


本日の感じるお話です。
  自 己 を な ら う    庭野日敬 (1995年、平成7年)

 自分の思い通りにならないからといって、その人をじゃまもの扱いするようでは、まだ本物の信仰者とはいえません。「この人は嫌なんだ」という見方を一度離れてしまわなければ、ならないのです。

 「仏道をならふといふは、自己をならふなり、
  自己をならふというは、自己をわするるなり、
  自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり」
 という道元禅師のお言葉があります。

 自分のものさしを作って、この人は好きだけども、あの人は嫌いだ、健康はいいが病気は嫌だ、好景気はいいが不景気はごめんだ、と決め付ける見方を捨てて、すべてを仏様のおはからいと受け止める。
難題は自分のゆがみや足りなさを教えてくれる大切な宿題だと考える。そうなってこそ本物です。

 難題から逃げずに真正面からそれと向き合うのは、苦しみが伴います。

しかし、そこを乗り越えると、不思議に思い通りにならなかった相手や問題が、いつのまにか変わってしまっているのです。

 平穏無事に毎日が過ぎるに越したことはないように思えますが、そういうときには、真剣に自分を見つめ、人生の意味について考えることがなかなかできないのです。
ありがとうございましたm(__)m
2003
.12.1
月曜
こんばんわ

気がつくと12月になってしまいました(^o^)丿

ほんとは、こんなことがあった、あんなことがあったといろいろ日々のことどもをお話できればいいのですが、あまりパッとした事もなく淡々と仕事をさせて頂く日々ですので、あまりお話もないんですね(^_^;)

家内のことをお話するのも程ほどにしませんと顰蹙(ひんしゅく)をかいそうですし(>_<)、子供たちもそこそこがんばっておりますので、何か面白いことがあった時にお話させて頂きましょう(^_^;)

残念ながら、昨日・今日と、雨続きで寒い一日ですね。

台風がこんな時期に来ているのも珍しいと思いますが、明日は晴れそうですので、なんとか一息つけそうです(^_^;)

今月のわがまま日記の冒頭の言葉はイエスの「山上の垂訓」にある言葉にさせて頂きました(^_^;)

幸福(さいわい)なるかな、心の貧しき者。天国はその人のものなり。
  幸福(さいわい)なるかな、悲しむ者。その人は慰められん。」(マタイによる福音書)

宗教評論家のひろさちやさんが、その意味するところをおっしゃっておりました。

『 幸せなのは、貧しい者、泣く者である。神の国においてあなた方は必ず慰めを受ける。そうして、不幸なのは、今、笑う者である。あなた方はすでに慰めを受けているから、というのです。イエスのこんなパラドックス的なことばが、真実をついていると思うわけです。かといってわたしは「苦しみなさい、泣きなさい」ということを言っているのではありません。楽しむときには、楽しめばいいのです。笑うときには、笑えばいいのです。そして、くるしまないといけないとき、苦しめばいいのです。
 今こうして生きていて、なんでもいただいたものを、あるがままに受け取ればいいのです。・・・』

そしてまた、

『 わたしたちがお浄土に往って、もっていけるものがあるとしたら、それはなんでしょうか。それは形あるものではありません。財産やお金、地位だとか名誉だとか、そんなものは持っていけません。
 お浄土に持っていけるものは、
---この世の中での美しい思い出---
 ではないでしょうか。しかし、旅行してきて「あんなところへ行ったよ、景色がすばらしかったよ」というようなものが、美しい思い出ではありません。
 苦しんで、つらくて、涙を流したことが美しい思い出になるのです。この世の中で苦しみのたうちまわって、傷つきあって生きたこと、それが美しい思い出になるのです。』

とも、おっしゃっていました。


本日の感じるお話です。
  まわりを味方にする    庭野日敬  (1998年、平成10年)

 まわりと仲良くすることが仏道の極意(ごくい)、と言ってもいいのではないかと私は思うのです。
あっちでぶつかり、こっちで人に突っかかっているようでは、仏道修行は落第です。

 家族や職場の仲間はもちろんのこと、毎日起こるすべてのことと仲良しになってしまうのです。
仏道とは天地の(ことわり)、宇宙の大法則と溶け合って生きることだともいえましょう。

そうして、まわりじゅうと仲良しになろうと努力していると、すべての人、すべてのことが自分に力を貸してくれるようになって、前へ前へと押し出してもらえるのです。これが安楽行です。

 こちらのほうがずっと楽な道なのですが、みなさんが、わざわざ人に突っかかったり、まわりに当たったりして悪戦苦闘しているわけです。「極楽は行きやすくして人なし」で幸せへの道のほうがずっと楽なのですが、分かってはいてもなかなかそれができないわけです。

 ですから、一つ一つ周りの人に教えを受けながら「今日はこれができた」「ここが一つ上達した」と毎日の自分を振り返って一段一段上がっていく努力を続けていく。

 周りの人を味方にし、師としていけば必ず卒業証書をもらえる日がきます。
  
ありがとうございましたm(__)m

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