わがまま日記

( ̄。 ̄;)2005.01

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みなさま 明けましておめでとうございますm(__)m 本年もどうぞよろしく(^o^)丿

11月へ(^○^)1月へ(^o^)丿
自分こそ自分の主人 どうして他人が主人であろう
自分をよくととのえたならば 自分こそ得がたい 主人になるだろう
 法句経(一六〇) 寂聴生きる智恵より 
2005
.1.16
日曜

2005/1/16「個人ニュース(^_^;)24」


少々遅くなりましたが、みなさま、明けましておめでとうございますm(__)m

本日は出社でありましたが、ここ関東はかなり寒い一日で、雪こそ免れましたが、冷たい雨が日がな降り続いておりました。

日々いろいろと出来事はございますが、なかなかじっくりとお伝えするという程のこともなく(^_^;)無事、是平和なり、と思っている次第です。

さて、最初のお話と申しましょうか、・・・昨晩(1/15土曜)夕食を摂りながら、NHKを見ておりまして、お勉強させていただきました(^_^;)

「そして歌は誕生した・・・逆境にもめげず花開かせた昭和平成の名曲」という番組なんですね(^_^;)

ここで取り上げられていた曲は、以下の三作で・・・
@箱根八里の半次郎
A浪花節だよ人生は
B涙(なだ)そうそう
でありました。

歌謡曲や芸能関係に疎い僕としては、@番などは???といった感じですが、ファンの方達に怒られそうです(^_^;)
そうです、箱根八里の半次郎、は氷川きよしさんの歌ですね。
http://columbia.jp/~hikawa/profile.html
こちらは、氷川きよしさんのサイトですが、ビートたけしさんが芸名の名付け親とは知りませんでした(^_^;)
少年時代に歌が好きで押し入れの中でよく歌っていたことから、見出してくださった作曲家(水森英夫先生)の内弟子として勉強し、実力を養いながらそれでも芸能プロになかなか入れず、最後の10社目も駄目だったらあきらめようという中でその才能を認められてやっとの思いで歌手になれたということでありました。
さらに彼の純真さも感じられて、例の「やだねったら、やだね」の曲(箱根八里の半次郎)も新たな感覚で、じっくり聴く事ができました。
http://columbia.jp/~hikawa/hanjiro.html
こちらにも曲のエピソードがありましたね。

次の「浪花節だよ人生は」はさすがの僕でも知っておりましたが、先ほどの曲と同じくさほど親しみのわく曲でもありませんでした(^_^;)

それでも、曲の生い立ちを伺いますと、この有名な曲も他の人の持ち歌としてデビュー後3年ほどしてから、苦労人の木村友衛さんが聞いて感動し、この曲は私のために作られたに違いないと思うに至り、持ち歌として努力して200万枚のベストヒットになったというものでした。http://www.accessent.net/product/sinpu.htm
もっとも、この曲の生い立ちにもドラマがあり、四方章人という若き作曲家が銀座のクラブで、尊敬していた藤田まさとさんという有名な作詞家に出会い、その先生から、もし詞を頂いて作曲できたら本望、と思っていたそうです。
あるとき先生がクラブの帰り際に、詞を書き留めたナプキンを四方さんのポケットに押し込んで、君は作曲するそうだね・・がんばれよ、と言われたそうであります。
大急ぎで家に戻って詞を真剣に読みながらその日の晩のうちに作ったものですが時をおいてアップテンポにした曲を先生に認められ、四方ちゃん・・これはいけるよ、と励まされた曲でありました。
大ヒットになる2年ほど前に藤田まさとさんは亡くなられたのですが、四方章人さんも天国から見守って下さっているに違いないとおっしゃっておりました。
そのような背景を伺いながら聞かせて頂く「浪花節だよ人生は」は今までとは一味ちがう素敵な演歌でありましたね。

最後に、夏川りみ、さんが歌う「涙(なだ)そうそう」のお話です。
昔、イカ天という番組がありましてね(^_^;)
当時、BEGINというグループが優勝してデビューするのですが、沖縄人の彼らは作詞を森山良子さんにお願いして、涙(なだ)そうそうというタイトルとともに曲を作り森山さんに送りました。森山さんは、曲についていた「なみだそうそう」とはどういう意味かをBEGINの方に伺ってみたそうです。
すると、「涙がとめどなく流れる、涙ポロポロ」という意味の沖縄方言で、「涙(なだ)そうそう」と言うものです。
ということを聞いて、森山さんはハット思い当たることがあったそうであります。
それは、森山さんが学生のころ若くして亡くなった森山さんのお兄さんへの想いでありました。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~futakoz/versoj/v-folksong/nadasoso.htm
こちらに「涙(なだ)そうそう」の歌詞がありますが、森山さんは、涙がとめどなく流れ出てしかたなかったお兄さんへの想いがあって正直なありのままのこころを書かれたそうであります。
さらに夏川りみさんも曲を大変気に入り、同郷で知人のBEGINにお願いして歌う事が出来、さらに曲の意味を知って心を込めて歌えるようになったとのことです。

長くなってしまいましたが、歌謡曲もこうした背景を教えてもらいながら聴きますとなかなか味わいも深まって歌手の方も含めて、親しく感じられますね(^o^)丿
2005
.1.3
月曜
みなさま、明けましておめでとうございます(^o^)丿

本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

お写真は福島裏磐梯の白銀の世界です。
(精霊達の森さんより)

年末からお正月にかけて、ネットのお友達のみなさまへ新年のご挨拶することができました。

みなさんからもご返事を頂き、今のお気持ちや生活のご様子など、お話を伺うことができまして、有難かったです。

天候も、大晦日の降雪などから、荒れるかとも思われましたが、こうしてお正月三が日を通じて、冬晴れの清清しい朝を迎えておりますね。

箱根駅伝もなかなか人気がありますね。  http://www.ntv.co.jp/hakone80/箱根駅伝サイト

今日は復路の日ですが、たまたまと言いますか、用事で鶴見へお昼ごろ行っておりまして、15号線(箱根駅伝コース)で走っている選手たちを目の前で観戦する機会に恵まれました。

間近で走ることはわかっておりましたので、長男夫婦を乗せてから黒山の人だかりの15号線に行きますと、ちょうど順天堂大の選手が通過しました!!(^o^)丿おーー、走ってます(^○^)

信号が青になったので、そのまま東京方面へゆっくり走りますと、道路の両側は応援する人たちで満杯です。
なるほど、なるほど、テレビ観戦を生で見ているようなものでしたよ(^○^)

どんどんと人垣が多くなりますので、さらにゆっくり走りますと、鶴見の中継場でした。
選手も次から次へと入ってきますので、こちらも応援です。
中央車線を走っている車も少なかったので、両サイドの方達の応援の様子も良くわかりました。

環状七号線を過ぎて、少しずつ混み合ってきましたので、大井町駅方面へそれましたが、一位の駒大と、後続の専修大・学連選抜・明治大・拓殖大をのぞいて、みなさんの激走を垣間見ることができました(^o^)丿

毎年、こちらを走られることは勿論判っておりましたが、意外と用事がないと行きませんので、今年はラッキーでした(^o^)丿

若い人の走りは、見ていて、大変気持ちの良いものです。

本年も、みなさま、どうぞ宜しくお願いいたしますm(__)m


本日の感じるお話です。
  法  話    庭野日敬  (『人生、心がけ』2005.佼成1月号より)

 数かぎりない存在との関係によって、自分がいまこうして生きていることを知ると、「自分の力で生きている」などとは言えなくなるはずです。自分の力で生きているつもりでいたのが、じつは周囲によって、他の人々に支えられて生かされていたのだと気づかずにいられません。
これが「無我になる」ことなのです。

 木の(また)から生まれてきた人はいません。自分でおしめを取り替えた人もいないでしょう。自ら食を得たわけでもありません。すべては自分以外の多くの人の力によっているのです。「恩を知る人」のことをパーリ語で「カタンニュー」と言います。直訳すると「なされたことを知る者」という意味ですが、自分が今日こうしていられるのはなぜかと、その原因に思いを()せる心、それが「恩」という字に込められているのです。

 どんな人でも人の助けを借りずに生きることはできません。いかに大言壮語(たいげんそうご)してみても、また、どんなに栄華をきわめたところで、人は生まれたときからその人生を終えるまで、人さまの世話にならずには生きられないのです。まずそのことをベースにして人間関係という縁を考えなくてはならないのです。
ありがとうございましたm(__)m

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