わがまま日記

( ̄。 ̄;)2003.10
HOME 人生の応援歌 ハリポタ大好き お友達 りかちゃん
2002.7-8-9-10-11-12  2003.1-2-3-4-5-6-7-8-9-10-11-12
2004.1-2-3-4-5-6-7-8-9-10-11-12 2005.1-2-3-4-5-6-7-8-9-10-11・12
おはなし掲示板 個人ニュース こころの散歩道  Next
過去ログ(^_^;)へBBS4つ お天気プラスone情報源朝日読売日経
精霊達の森move?デジタルフォトギャラリー素材散策自然いっぱいの素材集web素材

苦難は 向上の種
2003
.10.31
金曜
こんばんわ

クローバーの葉っぱということで・・・見たところ四つ葉はなさそうでした(^_^;)
(男衾村さんより)

それでも、素朴で気持ちいいね(^^ゞ

明日はいつもどおりのお仕事で、2・3日はお休みです(^○^)

家内は2日にどこか旅行へ行くようです。信州方面で、まつたけを食べに行くみたいです(^_^;)

パパ一人でのんびりしてねと言われました、たまにはそれもいいかもしれません(^^ゞ

たぶん、いつもどおり、いくつかのビデオ・DVDを借りて映画でも観ることでしょう。

そしてまたページの更新もしているはずでしょう(^_^;)

ところで、先日文化功労者として名前がありました、曽野綾子さんですが、時間が無くてなかなか読めませんでしたが、この連休でなんとか読んでみたいと思います(^_^;)

えーと「誰のために愛するか(全)」というちょっと古い本です(^_^;)たぶんベストセラーだったと思います。

"積ん読"状態でしたが、先日、トイレで20ページほど目を通しまして、人間を見る曽野綾子の視点はやはりなかなかユニークで、ちゃんと読もうと思いを新たにした次第です(^_^;)・・・・・でわでわ(^o^)丿


本日の感じるお話です。
  困難の向こうに    庭野日敬  (1987年、昭和62年)

 私が母を亡くしたのは、十七歳のときでした。田植えの真っ最中で、春蚕(はるご)があがるいちばん忙しいときに、母の看病で父が仕事に出られない。しかも、兄も兵隊にとられて入隊してしまい、家の仕事がいっぺんに私にかかってきたのです。

 それまでは、父と兄のあとについて手伝っていればよかったのが、全部自分で段取りをつけ、自分一人でやらなくてはならなくなって、とても自分の肩には背負いきれない、と途方に暮れることもありました。しかし、その苦労のお陰で、どんな骨の折れることも平気になったのでした。

 体の障害を持った青年の、こんな言葉を聞いたことがあります。「人は体の不自由なことや、父母を早く亡くしたことを不幸だと思っているけれども、不幸というのは、そういう条件に甘えて、ちょっとつらいことにぶつかっただけで、すぐ逃げだしてしまうことだ」と。

 会社の経営でも国の経営でも同じなのですね。いま直面している困難をまわりのせいにして甘えず、このつらいところを乗りきることで、さらに自分の力がついてくるのだと踏ん張ると、洋々たる前途が開けてきます。 
ありがとうございましたm(__)m
2003
.10.30
木曜
こんばんわ

秋田県・白神山地 太良峡の紅葉だそうです。
(精霊達の森さんより)

素晴らしい大自然の姿をいつもお写真で見させてくださる素敵なサイトですm(__)m


↓時間があると何回か見ます(^_^;)ハリ・ポタ程ではないかな?
THE MATRIX RELOADED
かなり映像的に楽しませてくれる作品です。

ぼちぼち10月も終わりますね。

ときどき眺めて読ませて頂いているコラムサイトに・・・・・心理コラムのSUN・・・・・があります。

消え去るもの残るもの、というお話にちょっと興味を惹かれました(^_^;)
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/7219/columns/2ab_life/ikiteiru_akashi.htm

以前、読んだ本の中で、アナログとデジタルとか、「情報理論」を発表したクロード・シャノン(解説1)のことをフッと思い出して懐かしく感じてしまいました。

情報は物理学を超えた存在として再認識され、情報はコード化され、分析され、「情報の基本(最小)単位」としての「bit(ビット)」が見いだされ、全ての情報は「bit化」される、すなわちデジタル化されることになります。

デジタル情報はコンピュータの独壇場であり、シャロンの情報理論によって情報化時代が始まったといわれる所以なんですね。

そして、東大の坂村先生は、生命までもDNAという遺伝子のデジタル情報によって大昔から受け継がれてきたとおっしゃっています。

ちょっと脱線しましたが(^^ゞ・・・・・コラムの最後におっしゃってるように・・・・
『・・・ 人間の本質は物ではなく情報だから、人は亡くなっても別の人のこころのなかで生き続けることができる。遠い昔のやんごとなき人も、奢れる人も蘇ることができる。存在しない物語の登場人物にこころを奪われてしまうこともある。

 人間の本質は物じゃ無いから、死んだら土に戻ってすべて終わり、というわけじゃない。情報だから生き続ける。人によっては語り継がれる。人がこの世に生まれてきた証を必死になって残そうとするのはこのためなのかも知れない。』

という"まとめ"は僕も同感であります。


本日の感じるお話です。
  親に欠落しているもの  庭野日敬  (1983年、昭和58年)

 ある方が、こんな話をしてくださいました。

 「子供のころのわが家は貧しくて、母親が子どもになにもしてやれないと陰でそっと涙を流す姿を見て、私はこれ以上、母親を苦しめてはならない、とがんばってきました。家出をして不良になっても不思議はない私なのに、それを止めてくれたのが母親の涙だったのです。」と、しみじみ話されるのです。

 かつては、親を悲しませるようなことをしてはならないという考えが、子どもの踏んばりの大きな力になっていました。しかしいまは、そうしたことはあまりみられないのではないでしょうか。父親らしくない父親や、勉強のことばかりを言う母親が増え、学校でも偏差値ばかりをやかましく言うのでは、子どもが爆発したくなるのも当然でしょう。

 親を悲しませたくないという子どもの思いには、他を思いやる心が働いているわけです。それは、親がわが子を心からいたわり思いやるその心が伝わってこそ生まれてくるものです。

 子どもにその思いやりの心がなくなったということは、親自身にそうした心が欠落してきているあらわれではないでしょうか。反省したいものです。
ありがとうございましたm(__)m
2003
.10.26
日曜
こんばんわ

もう、夜の11時を過ぎようとしておりますね(^_^;)

早いとこまとめましょう(>_<)

すっきり爽やかな青空のお写真にしました。
(move?さんより)




↑この図柄も良いでしょ(^_^;)

気に入って、先日採用してみました(^○^)

お話は・・・・変わりますが(^_^;)

先日の山田洋二監督の、インタビュアに答えた言葉ですが、(たそがれ清兵衛)・・・・・

・・・・清兵衛の人生感は、つつましく、無欲です。彼は貧しさに多少の不満はあるでしょうが、人生に対して不満は持っていません。この姿に、多くの日本人は憧れのようなものを抱くのではないかと思います。・・・・

なかなか、素敵なお言葉です。

自分自身の在りようもかくありたいと、思いますね。

日々のお仕事や生活を通して、人として何が大切なことであるか、学び続けていきたいと思います。

『横山 稔 残実録』サイトhttp://www.aianet.ne.jp/~yokoyama/
同上サイト 内 藤沢周平目次ページhttp://www.aianet.ne.jp/~yokoyama/2fuzi.html
↑参考になるお話がたくさんありました(^o^)丿


本日の感じるお話です。
  自己中心の克服  庭野日敬  (1978年、昭和53年)

 自分では正義だと思ってやっていても、全体から見ると、みんなに迷惑をかけてしまうといったことが、しばしばあるものです。原因は視野の(せま)い、ものの見方になってしまっていることにあります。

 また、なにごとをするにも、得か損かで判断するといった傾向が最近は特に顕著で、「ここで恩を売っておけば将来こちらの得になる」といった手練手管(てれんてくだ)(ろう)する人もいます。それを政治的で読みが深いといった見方をする人もいるのですが、一時的には利口者(りこうもの)に見えても、やがては底が割れ、周囲から見放され、愛想をつかされるのがおちです。

 そうした視野の狭い見方に陥るそもそものもとは、自己中心で、客観的に自分を見ることができないところにあります。だから他人の欠点は厳しく指摘するのですが、自分のことにはまるで気づいていない、という生き方になってしまうのです。

 法の鏡に照らして常に自分を振り返り、サンガの仲間に教えてもらう謙虚さを持たないと、そこから抜けだすことができません。
ありがとうございましたm(__)m
2003
.10.22
水曜
こんばんわ


夕日に染められた砂浜も綺麗で優しいものですね(^O^)
(move?さんより)


じっと見ていますと・・・つい(^_^;)・・・

東海(とうかい)小島(こじま)(いそ)白砂(しらすな)
われ()きぬれて
(かに)とたはむる・・・・・』

となりますか(^_^;)


お話は・・・変わりますが・・・・

最近も・・・相変わらず、新聞やテレビなどから、毎日のように事件や事故が伝えられて来ますね。

若年層の事件も後を絶ちません。

今日は、高校生が幼児を虐待して死なせたという事件が報じられていました・・・・。


・・・・・言葉がみつかりません・・・・・。


後日談だそうです。『母に甘えたい…4歳児の願い届かず 名古屋・虐待死事件』10月26日
涙が止まりませんね。・・・・・心よりご冥福をお祈りいたしますm(__)m


本日の感じるお話です。
        法  話     庭野日敬 ( 瀉瓶無遺(しゃびょうむい) )

 私たちが生きているあいだは肉体をたもつために栄養をとらなければなりませんが、肉体の栄養もさることながら、さらに大事なのは心への栄養です。

 心の栄養とはなんでしょうか。それは、自分もなにかの役に立てているのだという喜び、また、自分のような者でもこんな善いことができるようになれた、といった感激、そして、人の素晴らしい生きざまを見たり聞いたりして「素晴らしい人だなぁ」と心を打たれる感動、そうしたものこそ心の栄養源なのです。その栄養源を自分の内にたっぷりと(たくわ)えて、そしてこんどは、自分から人さまへ、その生きがいや感動を与えてあげられるようになれたら最高です。

 あなたの胸のびんの(ふた)を開けて、心の「ビタミン愛」をより多くの人に差し上げてほしいのです。感激と感動こそが信仰に不可欠の栄養源です。
ありがとうございましたm(__)m
2003
.10.19
日曜
こんにちわ

ちょっと、ご無沙汰でした(^_^;)

静かな渓流のお写真に魅入られました(^^ゞ
(move?さんより)

本日はお休みです。

今週はいささか落ち着かず・・・・更新もどうしようかと迷っておりましたが、朝方、日本映画を鑑賞しまして・・・・元気が出てきました(^_^;)

------------

昨晩は久しぶりにDVDを買いました(^_^;)

そうです、『マトリックス・リローディッド』なんですね(^^ゞ・・・

・・・・・ビデオ屋さんで『たそがれ清兵衛』を借りまして、おとなりがコンビニのファミリィ・マートでしたので覗いてみますと、ありました(^^ゞ(税込みで2499円でした(^_^;))

昨晩一回、、THE MATRIX RELOADED を見ました(^○^)うん、面白いね。何回か見直してみましょう。

そして、今朝、『たそがれ清兵衛』を見させて頂きました(^o^)丿

なかなか示唆に富む素敵な映画ですね。おすすめです(^o^)丿

ベルリン国際映画祭のインタビューのページですが・・・参考になります。
----------------------
・・・・・・・・・・・・(中 略)・・・・・・・・・・
Q:侍の倫理観と現代の倫理観の差についてお聞きしたいのですが。
山田監督:清兵衛の人生感は、つつましく、無欲です。彼は貧しさに多少の不満はあるでしょうが、人生に対して不満は持っていません。この姿に、多くの日本人は憧れのようなものを抱くのではないかと思います。清兵衛のように生きるのは難しいことです。この映画を見て多くの中年の男性が涙を流したそうですが、それは清兵衛のように生きて来なかった自分に対する後悔と同時に、清兵衛に共感できる部分が自分の中にまだ残っているという安心感から来る涙ではないかと思います。
・・・・・・・・・・・・(中 略)・・・・・・・・・・
Q:私はニューヨークの批評家です。清兵衛がヒロインに対して恋心を抱きながら、積極的に行動しない理由は何でしょうか?また、ハリウッド映画とアジア映画の違いをどう考えますか?
山田監督:私には、ハリウッド映画は常に主人公が何かを獲得するべく行動する映画という印象があります。清兵衛にはそれがありません。恋心を抱いてもそれを実現しようとはせず、出世したいという野心を抱くこともない欲のない人間です。我々には欲のない人間への憧れがあります。小津の作品を見るとよくわかるでしょう。小津映画の主人公たちは、自分たちの生きている状態を大きく変えようという野心は持っていません。そこに我々は憧れを抱きます。私は野心的な人間に興味がないわけではありませんが、この映画にはささやかな充足への憧れが存在しています。もしかしたら、それがハリウッドとアジアの違いかもしれません。人生観の違いと言ってもいいでしょう。

田中 泯:私は余呉を演じていながら、清兵衛の役に対して共感を持ちました。最後に、余呉は清兵衛に何かを託したのだと思いますが、それは何だったのか。新しくやってくる時代を託したのか、あるいは、今の生活をそのまま守ってほしい、ということなのか。何を幸せだと感じるか、ということは、今非常に重要なことだと思います。
山田監督:余呉は野心を持っていた男だと思います。あるいは、清兵衛に対して、お前の生き方の方が正しかったのだ、と言い残したかったのかもしれませんね。


----------------------
素敵な日本映画であります(^o^)丿


本日の感じるお話です。
        法  話     庭野日敬 ( 瀉瓶無遺 )

 よく大乗(だいじょう)経典だ小乗(しょうじょう)経典だと分けて、小乗は大乗に劣るのだというようなことをいう人がおります。そもそも大乗とは「悟りの世界である向こう岸に、みんなでいっしょに渡りましょう」といって乗り込む大きな船のことです。そして小乗とは、自分ひとりだけ悟りを開こう、彼岸(ひがん)に渡ろうとして乗り込む小さなボートといえば、わかりやすいでしょう。

 大乗経典を読んでいると言いながら自分中心の生活をしている人もおりますし、また、小乗経典を読む人であっても、人さまのことを心から心配してあげる人もおられます。そういう人は立派な大乗の人ということができましょう。

 キリスト教信者でも仏教的な考え方をされる人もおりますし、その逆の場合もあります。インドで恵まれない人たちの救いに取り組んでおられるマザー・テレサ女史は、「死を待つ人の家」に収容した人に、どの宗教の信者であるかを、まず(たず)ねます。そして、その人が最期(さいご)のときを迎えると、イスラム教徒であればコーランを読んであげる。ヒンズー教徒ならばガンジス河の水をかけてあげるのです。

 マザー・テレサ女史ご自身は敬虔(けいけん)なクリスチャンなのですが、相手に応じて、宗教・宗派の違いを超えた奉仕をしておられるのです。そこには、信仰の違い、宗派の違いといった(かべ)はまったく存在しません。あるのは愛だけです。女史こそ、まさに大乗の人というべきでありましょう。
  
ありがとうございましたm(__)m
2003
.10.12
日曜
こんばんわ


京都のお寺さんのお庭の紅葉だそうです(^_^;)


こんなに綺麗な風景が京都にはあるのですね。


きょうはお休みでしたが、色々と用事もございましたのでのんびりというわけにもいきませんでした。


それでも昨晩は帰宅途中のビデオ屋さんに立ち寄って、また2本ほど借りてしまいました(^_^;)


『マーサの幸せレシピ』『ボウリング・フォー・コロンバイン』という映画です。

両方ともなかなか良かったですよ。

また解説といいますか、感想を掲示板にて書きたいと思います。

それでは、夜も遅くなってしまいました。おやすみなさい(^o^)丿


本日の感じるお話です。
  縁起を見る目    庭野日敬  (1986年、昭和61年)

 ものごとのほんの表面だけを見て、自分勝手に決めつけてしまっていることが、ずいぶん多いのではないでしょうか。

 たとえば、言葉でうまく表現できない子どもであっても、どれだけのことを考え、どれだけの感情が胸の中に渦巻いているか。その人の心の奥底まで見通せるようになると、どんな(あやまち)をおかす人にも、同情せずにいられなくなります。

 『レ・ミゼラブル』という有名な小説の主人公のジャン・バルジャンは、みなさんもよくご存じでしょう。

そのジャン・バルジャンが、監獄から出てきて一夜の宿を貸してもらった司教さんの家の銀の食器を持ち出してしまうのですが、それでもみんなが同情するのは、彼が、どうしてそんなことをしでかしたか、その心の中をよく知っているからです。

 どうしてそうなったのか、原因をつぶさに知ることが縁起を見ることです。

 その縁起を見る目が具わると言動が乱暴だとか、いつも陰気な人だ、といった表面だけで人を決めつけることができなくなります。

そこを直して幸せになってもらいたい、と声をかけずにいられなくなるのです。
  
ありがとうございましたm(__)m
2003
.10.8
水曜
こんばんわ

秋の尾瀬燧ヶ岳(おぜひうちがたけ)のお写真です。
(壁紙村さんより)


私共は、めったに旅行などしたことはありませんので、こういったお写真にて雰囲気を感じております(^_^;)


・・・その点では、家内に、少々申し訳ないなとは思っております(>_<)


家内は一つ年下ではありますが、学年としては同じです。

従って時代背景とかは全く共通で、またお互いに大変相性が良く(そう信じているだけかも(^_^;))不思議と喧嘩一つしないまま、現在に至っております。


とりたててお互いに話し合わずとも(・・・実際は、よくお喋りをしていますが(^^ゞ・・・)気持ちはそれなりに理解しているつもりなので、日々顔を合わせて、抱擁して、笑顔をかわせられれば他に(僕としては)何もいうことはありません。

いつまでも明るく元気で幸せな家内でいて欲しいと心底願い、またそのための僕自身でもありたいと思うこの頃なのであります。


本日の感じるお話です。
  わが子を拝む心  庭野日敬  (1986年、昭和61年)

 授かった子どもが男の子だから女の子だからといって、不平不満を言うような愚かなことがあってはなりません。子どもは自分で勝手にこしらえられるものだと考えたら大間違いです。

 神仏から授かる子どもは、親に「本当の生き方」を教えてくれるためにきてくれたお使いです。

心身ともに純白のままで生まれてきた子どもが、一日一日、目に見えて成長していくその変化を見守っていると、親の自分がどれだけ精進できているか、よく分かります。

 ところが、子どもがだんだん大きくなってくると、そこのところを忘れてしまい、
  「本当にしようのない子だ」とか「どうしてこんな子になってしまったんだろう」と言いだす親が多くなるのです。

 わが子を神仏からの授かりものと拝む心、それがなによりも大切なのです。

そういう心になると、親のいたらなさを子どもが教えてくれているのがよく見えてきて、親のほうこそ努力しなくては、という気持ちにならずにいられません。

 親御さんがそういう素直な心になってこそ、子どもが素直に育っていくのです。
ありがとうございましたm(__)m
2003
.10.7
火曜
こんにちわ

渓流と紅葉のお写真で、相変わらず素晴らしいですね。
(壁紙村さんより)


今日は久々の代休日です。

映画も久々といった感もあり、昨晩から二つほど借りてみました。

『メルシィ!人生』『ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔』

なかなか面白い作品で、通しで昨晩一回、そして朝から二回目を見ていました(^_^;)

http://www.mainichi.co.jp/life/cinema/new/2003/02/21-1.html毎日新聞新作ガイド・・・
ここらへんの批評がわかりやすいかな(^^ゞ・・・ロード・オブ・ザ・リング

http://homepage1.nifty.com/cinemaofshinbeye/laplacard.htm
http://homepage3.nifty.com/narrow-deep/MOVIE/repo302.htm
メルシィ!人生 も良かったですよ(^^ゞ

専用BBSがありますので、そちらにちょっとした感想を書きましょうね(^_^;)

さぁ、本でも読んで、ホームページを更新して、なおちゃんとお話して、のんびり過します(^^ゞ

本日の感じるお話です。
        法  話     庭野日敬 ( 瀉瓶無遺 )

 あの人より私のほうが財産があるから幸せだとか、この人より私のほうがきれいだから幸福だといったような幸福感は、あっというまに消えてしまうものです。

 ほんとうの幸せは、そういう「だれだれさんよりも・・・・・」と比較をする虚栄心(きょえいしん)嫉妬心(しっとしん)を捨てたところにこそ得られるものなのです。
ありがとうございましたm(__)m
2003
.10.5
日曜
こんばんわ

尾瀬沼のお写真です・・
(壁紙村さんより)

先ほど、帰宅いたしました(^^ゞ
(PM8:00)

お写真を眺めながらゆっくりします(^_^;)

でわでわ(^^ゞ
2003
.10.3
金曜
こんばんわ


尾瀬のズミの実だそうでございます(^_^;)
(壁紙村さんより)


なかなか綺麗に感じましたがいかがでしょうか・・・・(^^ゞ


いささか月の初めは時間がなくともなんとか書き物も書いて、美しいお写真も眺めたいと思っていますが、いろいろと押し迫ってきますと書く気力もだんだんと失ってきます(^_^;)


僕自身の余裕の無さをそのまま露呈しています(>_<)

書物にしても、じっくりと読んでみたいと思いつつも・・・10ぺーじいくかいかないうちにコックリが始まってしまう体たらくです(^_^;)

以前に買った文庫本ですらちょっともたもたですが、今月もさまざまなキャンペーンで日曜出勤が続きそうですので、当分読めそうにありません(^_^;)

でわでわ・・・おやすみなさい(^o^)丿


本日の感じるお話です。
  法  話    庭野日敬  ( 瀉瓶無遺 )

 仏教学があって仏教が生まれてきたのではなく、まず人を救うための教えがあって、その教えが仏教学として体系付けられてきたのです。ですから、文字の解釈だけをどんなに上手にしてみても、それは八百屋さんの店先に並べられた野菜のようなものと言えましょう。大事なのは、その野菜を()らせる智恵(ちえ)と、農作業(実践)なのです。

 「私は上手な話ができません」と言う人がいますが上手な言葉で法門を説くことだけが仏教ではありません。悩みを聞いてあげることも仏教を説くことなのです。喧騒(けんそう)をきわめる現代では、むしろこの「聞く」ことのほうが大事かもしれません。

 私たちは在家の仏教徒であって、学者になろうとしているわけではありません。一つの行であっても、それを日々の生活の中で行じ、守っていくことが大事なのです。聖徳太子(しょうとくたいし)は法華経を「豊田(ぶでん)」と呼ばれました。種を()いて耕す、つまりコツコツと実践を続ければ、必ず収穫の実りをもたらしてくれる豊かな田という意味です。まず大切なのは耕すことなのです。
  
ありがとうございましたm(__)m
2003
.10.2
木曜
こんばんわ

紅葉の絨毯 ですね(^_^;)

こんな場所もあるのでしょうね。
(壁紙村さんより)

今晩もちょっと気になってつい見てしまいましたが・・・・・

たまにテレビの5チャンネル(TV神奈川)で古いドラマといいましょうか、「スター・トレック」を放映しています。

TVKテレビ

今年あたりは、女性艦長のキャスリン・ジェィンウェイさんの「ボイジャー」シリーズをよく見ます(^_^;)

えーと、僕自身はあまり、マニアでなくて、「スター・トレック」はよく知らないのですが、ドラマの筋立てがなかなか凝っていて、単なる宇宙冒険モノとはくくれない物語となってて毎回惹きこまれてしまいます(^^ゞ

今日は「帰ってきたケス」というお話でした(^_^;)・・・・・第六シーズン、143話なのだそうです(^○^)

全体的なこともわからないと、なんなので・・・・・ここのサイトが分かり易そうでした(^o^)丿
http://www.trekwars.com/index.shtml  スタートレック・メディァサイト
http://www.trekwars.com/gate/VOYc.html  メインクルーの紹介
http://www.trekwars.com/gate/VOYp.html  キャスト
http://www.trekwars.com/gate/VOY.html   スター・シップ
http://www.trekwars.com/gate/voyusa.html 本国アメリカでの放送順エピソード
なかなか面白そうですね(^o^)丿


本日の感じるお話です。
  不要なものはない    庭野日敬  (1966年、昭和41年)

 ノーベル文学賞作家のパール・バック女史は、知的障害をもつ娘さんがおられ、その娘さんを名医に()せる治療費や旅費を作るために、新聞、雑誌の懸賞に応募して世界的な作家の地位を得られたのだそうです。

 「私に書くことを教えたのは私の娘で、一主婦にノーベル文学賞への道を開いてくれたのです」と語っておられます。

 世の中に存在するものでお役のないものはありません。だれもが人のお役にたてるのです。私ども信仰者は、何をもって人さまのお役に立てるか常に願いを持ち続けたいものです。
  
ありがとうございましたm(__)m
2003
.10.1
水曜


後編
(^_^;)
こんばんわ

うっかり昨晩に一日の分を書いてしまいました(^_^;)

今日は二日ですとも言えないので、前編・後編とさせて頂きます(^^ゞ

このお写真は福島の五色沼だそうです(^o^)丿
綺麗ですね。
(壁紙村さんより)

ネットのお友達のりかちゃんはスポーツママさんで、富士山も走って登りきるレースや国内マラソンレースも何回も優勝されていますが、そのりかちゃんが、わがまま日記の「本日の感じるお話」や「人生の応援歌」頁も楽しみにお読み頂いてらっしゃるとのことです(^o^)丿ありがとうございますm(__)m

掲示板で教えて頂きましたが(^^ゞ、早いもので庭野先生のご法話も100を数えるのですね(^_^;)

僕自身、日々の生活の中で、その日その日の正直な自分自身の気持ちに添って心に深く感じたお話を選ばせて頂いてきました。

様々な悩みや苦しみも無くなりませんので、先生のお話を反芻しながら落ち着きを取り戻したり、気持ちを切り替えさせて頂いています。・・・・簡単にはなかなか解決できませんが(>_<)・・・・・

100話目のお話ですm(__)mみなさま、今後とも宜しくお願い致します。

本日の感じるお話です。
  行じている人の言葉    庭野日敬  (1988年、昭和63年)

 言葉は重宝(ちょうほう)なもので、舌先三寸、どんな立派なことも言えます。しかし、いくら言って聞かせても、子どもは言うことを聞かないし、部下は動かない。黙って聞いているようでも、子どもや部下は腹の中で、「この人は、言うこととやることがずいぶん違っている」と思っているわけです。

 家ではめちゃくちゃで、外でだけ口をぬぐってきれいごとを並べても、やはり人には分かってしまうのですね。こちらに本当の自信がないからです。

 言葉の重みは、何を語るかでなく、だれが語るかにあります。

 神仏を信じ、その教えどおりに行じている人が語ると、かりに言葉は稚拙(ちせつ)でも、「この人についていこう」という気持ちになるものなのです。

 「人を愛して親しまれないときは、(おのれ)の仁の至らなさを反省する。
  人を治めて治まらないときは、己の智の至らなさを反省する。
  人に礼して答えられないときは、己の敬の至らなさを反省する」
 という『孟子(もうし)』の言葉があります。

 周囲の人が自分の本当の姿を見せて磨いてくれる鏡だというのは、このことです。
  
ありがとうございましたm(__)m
2003
.10.1
水曜


前編
(>_<)
こんばんわ


世界遺産の「飛騨白川郷」のお写真です(^_^;)

(壁紙村さんより)


まぁ、・・・いなかの、緑に包まれた古めかしい農家の景色も良いものだと思って、載せただけなんですけどね(^_^;)


今夜も、昔懐かしき詩でも詠みかえしながら、静かに過したいと思います。
(^_^;)


-----------------------

北原白秋 落葉松

からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。

からまつの林を出でて、
からまつの林に入りぬ。
からまつの林に入りて、
また細く道はつづけり。

からまつの林の奥も、
わが通る道はありけり。
霧雨のかかる道なり、
山風のかよふ道なり。

からまつの林の道は、
われのみか、ひともかよひぬ。
ほそぼそと通ふ道なり。
さびさびといそぐ道なり。

からまつの林を過ぎて、
ゆゑしらず歩みひそめつ。
からまつはさびしかりけり。
からまつとささやきにけり。

からまつの林を出でて、
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
からまつのまたそのうへに。

からまつの林の雨は、
さびしけどいよよしづけし。
かんこ鳥鳴けるのみなる。
からまつの濡るるのみなる。

世の中よ、あはれなりけり。
常なれどうれしかりけり。
山川に山がはの音、
からまつにからまつのかぜ。

---------------------------
有名ではありますが・・・・改めて詠んでみますと流石に情感がしみじみと伝わってまいります(^^ゞ


本日の感じるお話です。
  まわりを味方にする    庭野日敬  (1998年、平成10年)

 まわりと仲良くすることが仏道の極意(ごくい)、と言ってもいいのではないかと私は思うのです。
あっちでぶつかり、こっちで人に突っかかっているようでは、仏道修行は落第です。

 家族や職場の仲間はもちろんのこと、毎日起こるすべてのことと仲良しになってしまうのです。
仏道とは天地の(ことわり)、宇宙の大法則と溶け合って生きることだともいえましょう。

そうして、まわりじゅうと仲良しになろうと努力していると、すべての人、すべてのことが自分に力を貸してくれるようになって、前へ前へと押し出してもらえるのです。これが安楽行です。

 こちらのほうがずっと楽な道なのですが、みなさんが、わざわざ人に突っかかったり、まわりに当たったりして悪戦苦闘しているわけです。「極楽は行きやすくして人なし」で幸せへの道のほうがずっと楽なのですが、分かってはいてもなかなかそれができないわけです。

 ですから、一つ一つ周りの人に教えを受けながら「今日はこれができた」「ここが一つ上達した」と毎日の自分を振り返って一段一段上がっていく努力を続けていく。

 周りの人を味方にし、師としていけば必ず卒業証書をもらえる日がきます。
  
ありがとうございましたm(__)m


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送