わがまま日記

( ̄。 ̄;)2003.5
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「学んだことの(あかし)は変わることである」という言葉があります
2003. 5.31
土曜
こんばんわ

サクラのお写真からこちらを選びました。
(move?さんより)

写実描写も抽象表現も素敵に写せれば魅力的な絵画になるのですね(^o^)丿

今月も終わります。

今週は土曜・日曜と出社ですのですこしがんばりたいと思います(^_^;)

台風も近づいているようですが、みなさまお気をつけて、よい週末をお迎えください(^o^)丿

最後に・・・・・・・
ハリ・ポタの可愛い『ちまちま素材』があります。
http://cgi.linkclub.or.jp/~kuraku/943.shtml『九と四分の三番線』
さてさて、次のアイコンですが、だれが誰だかわかるかな(^○^)
ちなみに登場人物は・・・・
ハリー、ロン、ハーマイオニー
ネビルロングボトム、ダドリー
マルフォイ、ハグリッド、ジニー
スネイプ教授、例のあの人
狼人(ルーピン先生)、ダンブルドア校長

あれっっ、バレちゃったかな(^^ゞ
でわでわ(^o^)丿

本日の感じるお話です。
   自分を拝む     庭野日敬  (1990年、平成2年)

 わが子の非行や登校拒否で困り果てているお母さんに、私はなによりもまず、自分に自信を持ってください、とお願いしたいのです。

 自分を振り返ることは大事ですが、それが自分を責めることになってはならないのです。

 「短所も長所もひっくるめて、お母さんは自分に百点をつけてください」とアドバイスする専門家の方がおられます。ありのままの自分に自信が持てないと、ありのままのわが子を受け止め、抱きしめてあげられないのです。

 子どもがいちばん求めているのは、その無条件のお母さんの愛です。

 仏さまは、「私がこの世に現れたのは、みんなが具えている仏性を開花させるためで、どうしたらみんなが仏になる道を歩んでくれるかと、そればかりを考えているのですよ」とおっしゃられます。ですから、まず自分がどれだけの可能性を秘めているかを自覚して、全力を尽くしてそれを磨きだしていくことが、仏さまを拝むことだと言ってもいいのですね。

 仏さまへの合掌は、自分自身への合掌です。自分を励まし、自分を説得できるお母さんであってこそ、わが子の仏性を信じ、自信をもって説得できるお母さんになれるのです。 
ありがとうございましたm(__)m
2003. 5.27
火曜
こんばんわ

高原の爽やかなお写真です。
(move?さんより)

毎日コツコツお仕事です(^_^;)


先日写真のサイトを眺めておりますと、またちょっとお邪魔してみたいページがありましたので、ご紹介。

『癒し・憩い画像データーベース/国立病院九州ガンセンター』

病気の治療に際しても心のバランスそして癒し・憩いのリラグゼイションは重要なのだそうです。
そしてその研究の為の画像データーベースであります。

まずは、僕達の日々の生活においてもストレス多き社会でもありますので、しばし『癒し・憩い』の世界に浸っていたいという思いはだれしもあるのではないでしょうか(^_^;)

http://dir.yahoo.co.jp/Arts/Visual_Arts/結構楽しめそうなサイトがここにもいっぱいあります(^○^)


本日の感じるお話です。
   相手が変わる保証     庭野日敬  (1990年、平成2年)

 「自分が変われば相手が変わる」という言葉の意味が分らない人はいないでしょう。では本当に分っているかというと、「こっちは悪くないのに、どうして自分のほうが変わらなくてはならないんですか」などと質問する。「こっちが変わっても、それで相手が本当に変わるという保証があるんですか」と聞いてくる。

 難解難入(なんげなんにゅう)とは、そこのところなのです。

 自分の常識や利害にしがみついていたのでは、法の世界へ入るのは至難の業です。けれども、そこで縁起について学ぶと、この世の中で一方だけがぜったいに正しくて、一方はぜったいに悪いといったことはありえない、と分ってきます。同じように、自分が変わったのにそれが相手になんの影響も与えないといったこともありえないのが分ってくるのです。

 縁起とは、自分だけで存在するものも、そのままの状態でとどまるものもなく、すべての存在が必ず他との相互関係で移り変わっていくのだ、という教えなのですね。

 とにかく、まず実行してみると、その世界が「なるほど」といっぺんに分ってきます。
ありがとうございましたm(__)m
2003. 5.26
月曜
こんばんわ

気象庁・地震情報
詳しいですよ(^_^;)

いまはこちらの情報

僕の番地も載ってました---震度3でした。

この日本全国の地図から見ますと、日本の東半分は揺れていた、ということなんですね(^_^;)凄いなぁ。


凄い、といえばりかちゃんの今年の活躍も凄いですよ(^o^)丿
2003レース結果
応援よろしく(^^ゞ


さきほどの地震情報ページですが、気象庁のページの一つなんですね。

気象庁トップページ http://www.jma.go.jp/JMA_HP/jma/index.html

かなりの地球上の情報が網羅されていて、なかなか面白そうですね(^^ゞ

いま、『オゾン層の観測速報』をダウンロードしてPDFファイルで見ましたところ、大いに期待していたのですが・・・・難しい分析データの集積で・・・・・ちょっとその気で見ないと大変ですね(^_^;)

エルニーニョもありますが・・・・次の日曜日でも見てみましょうね(^o^)丿

でわでわ(^o^)丿

本日の感じるお話です。
   自分を知れ     庭野日敬  (1979年、昭和54年)

 私たちはいま、地球上の出来事はもちろんのこと、他の天体のことまでわかる時代に生きています。ところがそれほど物知りになった現代人が自分自身のことについては何も分っていない、というのが正直なところではないでしょうか。

 仏教には、『脚下照顧(きゃっかしょうこ)』---自分の足元を見つめよ、という教えがありますし、西洋の哲人もまた、「(なんじ)自身を知れ」と説いています。「現代人とは、自分のこと以外は何でも知っている人間だ」と皮肉たっぷりに言う人もいます。

 つまり、ほかのことはなんでも知りたがるのに、自分自身のことは少しも知ろうとしないのが現代人だ、ということになりましょう。人の欠点や失敗、スキャンダルは見逃さないのに、自分の欠点には気づこうともしないわけです。

 子どもたちにしても、最近の子どもは昔の五十代、六十代の人よりも物知りではないかと思える半面、人間の心得とか、他人への思いやりといったことについては、まったく何も知らない。いや、教えられていないのです。それで友だちとどう接したらいいのか分らずに苦しんでいる子どもも多いといいます。
 こんな不幸なことはありません。
ありがとうございましたm(__)m
2003. 5.25
日曜
こんばんわ

梅の木が花を咲かせてみごとに連なっている梅林のようです。
(move?さんより)

アングルを変え、視点を変化させて眺め直すとまた世界の見方が変わってくることを教えて頂けます。

絵画に近い雰囲気を漂わせている素敵なお写真ですね。

さて、ホームページ作成の魅力と申しますか、その楽しさに引きずられてここ数年もページを造り続けております。今のところお手軽で、唯一の楽しみでもありますでしょうか(^_^;)

またご同様に、趣味や興味も手伝って、世界や日本の数限りないご同輩の方々もその才能を生かしながら素敵なサイトを創られておられますね。

そしてご縁がありました方々とお友達にさせて頂いて、日々のお話などを通じて心の交流をさせて頂ければ誠に有難いと思っています。

一方、なかなか直接お会いしたり、肉声でご挨拶も出来ませぬままついつい気軽に掲示板等でお話してしまっているものですから、時によっては慎重さに欠けた発言や行為もフト顔を出してしまい、誤解に誤解を重ねてしまう場合もあるかもしれません。

僕自身も反省のネタは尽きないのですが・・・・、自らの心の姿勢のお勉強として反省させて頂きながら、日々の心の糧にさせて頂きたいと考えております。

誠に拙い自分ではありますが、今後とも宜しくお願い申し上げます。


本日の感じるお話です。
   まず人さま        庭野日敬  (1980年、昭和55年)

 佼成会を創立したばかりのころは、私はまだ牛乳店をやっていたのですが、朝から晩までご法のことばかりしているものですから、仕事の方は手抜きになってしまい、営業成績はどんどん落ちていってしまいます。

 一家の家計を預かる家内が不安がって、「お父さん。信仰もいいですが、これでは困ります。いいかげんにしてください。」と苦情が出始めます。その家内に、私は「己を無にして人さまのことを考えるのが菩薩行(ぼさつぎょう)というものなのだよ」と言い聞かせるのですが、家内は「あすのお米もないというのに、すこしは家のことも考えてからにしてください」と反論します。そこで私はさらに、家内にこう言って聞かせたものでした。

 「よく考えてごらん。人はみんな自分を第一にして生きているけれども、それでもなかなか思いどおりにいかずに苦しんだり、争ったりしているのだよ。自分中心では決して幸せにはなれないと、みなさんが教えてくださっているのだ。教えどおりに、まず人さまと考えていればなんの心配もいらないのだよ」と。

 それは、いまも少しも変わらぬ私の確信なのです。 
 
ありがとうございましたm(__)m
2003. 5.23
金曜
こんばんわ

秋の花かもしれないけれど・・・・・
コスモスと青空に見入ってしまいました(^^ゞ
(move?さんより)

白い雲も、誠に"絵"になりますね。
それにしてもみごとなコスモス畑です(^^ゞ

今週も終わります、ご苦労様でした。
明日お仕事の方もいらっしゃると思いますが、がんばって頂きたいと思いますm(__)m
僕の方は非担当日ですので休憩です。
考える事がたくさんあるのですが・・眠ります。

今日の1枚(^_^;)

ピンクの新着携帯
なおちゃん用(^_^;)

新品のピンクの携帯がありましたので、家内に聞いてみますと、本日入手したとのこと(^_^;)

無料の"au by KDDI"だそうで、携帯メールをしたくて仕入れたそうです(^_^;)
(パソコンメールはしてますが・・・)

となりの白いのは僕で"tu-ka"で無料です(>_<)
あっ、家内の画面の文字ですが、一文字が5ミリ平方ぐらい大きくてたいへん見易いものでした(^_^;)

お知り合いにメールを出して、「やったぁ、私にもできた、たいしたもんでしょ」と喜んでいます。
僕はやったことがありませんので、「うん、凄いね」と言いました(-_-;)

手前のペン立てはシャフトを抜いたドライバー(Golf,1D,Loft10゜,TaylarMadeV921)の残骸です。
その後ろは、メルコのMOドライバーです。同じドライバーでも使い方はまったく異なります(>_<)
MO(640MB)は回転数が早いやつです。詳細省略。
後ろはハリー・ポッター関係の本が少々程度です(かなり整理しました(^_^;))
古くて可愛いパソコンは相変わらず、今日も元気に活躍しています(^○^)

でわでわ(^o^)丿

本日の感じるお話です。
   深く因果(いんが)を信じ   庭野日敬  (1980年、昭和55年)

 人間にはだれしも欲があり、自分勝手を通したいエゴイズムがあります。ですから、どうしても目先の利害得失にとらわれ、因果の道理を忘れがちになってしまうわけです。

 正直なところみなさんも、うまく立ち回って甘い汁を吸っている人を見たりすると、因果の道理など本当に存在するのだろうかと疑問を抱いてしまうこともあると思うのです。

 仏さまの教えどおりに正直に人さまへの奉仕を先にする生き方をしていたのでは、この社会で自分だけ遅れをとるのではないか、と心がぐらつくこともあるかもしれません。それでつい、自分の欲を満たしたい、楽をしたいといった願いにひきずられ、立派な家に住み、ぜいたくな生活をしている人と自分を比べてうらやみ、ねたむといったことになってしまうわけです。

 そういう人に対して、経典には、きわめて大切な言葉が説かれています。

 「仏説観普賢菩薩行法経(ぶっせつかんふげんぼさつぎょうほうきょう)」の「深く因果を信じ、一実(いちじつ)(どう)を信じ、仏は(めっ)したまわずと知るべし」という一節がそれです。

 仏教徒の私たちにとって、仏を信じ、因果を信じ、ひたすら菩薩道(ぼさつどう)をあゆむ以外に、幸せに至る道はないのです。
ありがとうございましたm(__)m
2003. 5.22
木曜
こんばんわ

考えてみると、海で泳いだのは何年前でしたか。

少なくとも20年は、行ってないはず・・・・・・。

こんなに綺麗な海は最近は見たことないですね。

だいたい、人っ子一人いないというのもいい。

鮫もいそうな気もするが・・・、ここでなら泳ぎたい。

沖縄でしょうか、いやいや南太平洋か(^o^)丿
(move?さんより)

毎日更新の日記なのですが、取り立てて、無い場合もあります(^^ゞ・・・・。

今日の壁紙でリゾート気分を味わっています(^o^)丿


ハワイはいいね(^_^;)

チョッピリ、寂しいけど・・・・。

そのうち、もう一回行ける時もくるでしょう(^○^)

でわでわ(^o^)丿
2003. 5.18
日曜
こんばんわ

お名前は知りませんがよく見かけるような気もする綺麗なお花ですね(^○^)
(move?さんより)

デジカメで、青とか紫とかの色を正確に写すのが、結構難しいです。撮っていて色が全然違っているのが解ります(^_^;)

今日の新聞の日曜刊に『我家のあたしんち』という読者からの投稿が載っていました。

あっ、日常の笑い話、なんですよ(^_^;)

■今週の"あたしンち賞"(毎週やってたみたい(^_^;))

『暑い夏の日、待望の彼氏ができ、家まで送ってもらった時のこと。「お父さんが庭にいるから挨拶しとこう」と彼が言う。ふっと見ると、そこには父のランニングシャツに柄パンをはいた母の後姿が! 「いやー、やめて!」と思う私の気持ちに反して、彼に向かって振り向く母! 私の恋は、夏の花火のごとく散っていった・・・・・。(愛媛県、ひよこくらぶ)』

なるほど、なるほど(^_^;)笑っちゃうドジなお話は尽きないようです。

 ●おばあちゃんがコイのいる池に100円玉を入れました。看板を見ると「コイの餌、100円」と書いてあった。
 ●生真面目なおじいちゃんは、早押しゲーム(TV)を見ると、「人の話は最後まで聞いてから答えろ」と怒る。
 ●素直な母は運転教官に「この先の赤信号を右折して」という指示に、赤信号のままの交差点を右折した。
 などなど・・・・・・

読売新聞さんネタを使ってスイマセンm(__)m

本日の感じるお話です。
   人を引き寄せる魅力   庭野日敬  (1993年、平成5年)

 華やかに着飾っても、ただケバケバしいとしか見えない人と、質素な身なりでも、いかにも奥ゆかしく見える人とがいるものです。

 お釈迦さまが最後に残された経典に「慚恥(ざんち)の服は(もろもろ)荘厳(しょうごん)(おい)て最も第一たり」というお言葉があります。慚恥(ざんち)とは懺悔(さんげ)のこころといってもいいでしょう。

 いつも自分を省みる謙虚な心を持っている人こそ、どんな高価な衣服をまとうよりも、最高に美しく見えると教えられているのです。

 「桃李(とうり)もの言わざれども下(おのず)から(みち)を成す」という言葉は、みなさんも、よくご存じでしょう。桃やスモモは自分を見せびらかそうとはしないけれども、美しい花、おいしい実をつけるので、おのずと人が集まってきて、そこに道ができてしまうのです。

 お互いさま、自然に人が吸い寄せられてくるような魅力を具えたいものです。そういう人の集まりになったら、どんなにかすばらしい僧伽(さんが)になることでしょう。
ありがとうございましたm(__)m
2003. 5.15
木曜
こんばんわ

丘と木と青空ですね。
(move?さんより)

さわやかな風が感じられるお写真です。


最近これまたなんとなく、パソコンの壁紙サイトに興味を惹かれています(^^ゞ

Exciteエキサイトの壁紙サイト です。

なかなか洒落た画像もたくさんありますよ。

それと壁紙マネージャーなる無料簡単の壁紙取り込みソフトもあってなにかと便利で、つい利用して素敵な画像を楽しんでいます。

家内のパソコンも可愛い動物達でいっぱいです(^o^)丿

今日はサイト紹介ばかりですね(^_^;)

『move?』さんとともに、素敵なフリー写真のサイトがあります。↓こちらです。

男衾村(おぶすまむら)--復興計画』http://www.obusuma.com/

毎日お写真が掲載されていますが、自然さ、素朴さに溢れる魅力的なお写真が多いですよ(^o^)丿

本日の感じるお話です。
   知らない自分を知る姿勢   庭野日敬  (1982年、昭和57年)

 人間、死ぬまでが修行であり、常に学び続ける心構えが大切です。そして、学ぶためには自分の心が柔軟でなければなりません。謙虚でなければならないのです。

 よく言われることですが、自分というコップに水がいっぱいに入っていたら、もはやそれ以上、水の入る余地はありません。自分が学んだ知識は、ごくわずかなものにすぎないのに、あたかも世界のすべてを知り尽くしたようなつもりになったり、自分の狭い考えだけに固執(こしゅう)して、それがすべてであるかのように思い込んだりするのは、コップに水がいっぱいで、もはや他を受け入れる余裕がないのに似ています。

 これでは人間ががんこになるだけで、それ以上の進歩は望むべくもありません。ですから、謙虚さがなによりも大切になってくるわけです。

 まず、自分はなにも知っていない、なにも分っていない人間だと、自分を知ることが大切なのです。

 知らないということを知る。--これが学ぶ者にとって、いちばん大切な基本姿勢です。
 
ありがとうございましたm(__)m
2003. 5.14
水曜
こんばんわ

月のお写真です。
(move?さんより)

ちょっと雰囲気づくりなんですよ(^_^;)

やっぱ、魔法の世界はなんとなく不気味でないと、なんかパッとしませんからね(>_<)

すいませんねぇ(^_^;)

調子に乗って、残りの二つの魔法学校についてお話しましょうね(^^ゞ

Aダームストラング専門学校についてです(^^ゞ

校長先生はいわく付きのイゴール・カルカロフ校長です(^_^;)それで、何の専門学校かといいますと、『闇の魔術そのもの』なんですね(>_<)困ったもんです。そのうえ、純血の魔女か魔法使いでないと入学もできない、まるでサラザール・スリザリンの思想のまんまの学校なんですね(^_^;)
ちょっと寒い地域の学校で、分厚い毛皮のマントと血のような深紅のローブが制服のようです(^_^;)
ただ、こちらの学校には、『ビクトール・クラム』という超有名スター選手(クィデッチ世界選手権のブルガリア・ナショナルチームのシーカー)がいて、ファンの女の子を振り払うのが大変なくらいの子がいます(>_<)
あっ、ちょっと内緒なんですが、クラムハーマイオニーを見て、一目惚れしてしまいました(^_^;)

Bボーバトン魔法アカデミーについてです(^^ゞ

校長先生はオリンペ・マクシーム(マダム・マキシーム)という、ハグリッド並に大きな体の女性校長です。
なかなか生徒のしつけは厳しそうです。フランス語なまりの英語で(Hを発音せず)話します。
制服は薄手の絹のローブのようです。あたたかな地方の学校のようです(^_^;)

最新刊のハリー・ポッターシリーズは第四巻の『炎のゴブレット』ですが、華々しいクィデッチ世界選手権の開催や三大魔法学校対抗試合(700年前から始まった三校親善試合だが危険過ぎたので一時中断していた)の開催というイベントの中でお話は進んでいきます(^_^;)

もちろん、闇の魔術の帝王『ヴォルデモート』の周到な策略もドンデン返しの展開で発覚していきます(>_<)
そして、『ヴォルデモート』がついに復活してしまうのでした(^_^;)

第五巻の『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団(仮)』は少々クラーーイ筋立てだそうでございます(^_^;)
2003. 5.13
火曜
こんばんわ

新緑の季節がやってきました。

眩しい若葉のお写真ですね。
(move?さんより)

さてさて、たまにはハリー・ポッターについてお話しましょうね(^^ゞ

ハリー・ポッターは世界のお子様達の楽しい物語として今や定着しておりますね、大人の人も中には凝っている方も多いかもしれません(^_^;)

たとえば、ヨーロッパには三大魔法学校がありますが知ってますか?
(-_-;)そうですね、知るわけないですね。(>_<)

@ホグワーツ魔法魔術学校。Aダームストラング専門学校。Bボーバトン魔法アカデミー。の三つがそうなんですよ。(^_^;)

@のホグワーツ魔法魔術学校はダンブルドア校長がいて、ハリー・ポッターも活躍している学校ですね。(^_^;)

今から1000年ほど前に、4人の、魔法使いと魔女達によって開校されました。
魔女のロウェナ・レイブンクローさんはレイブンクロー寮を作ったホグワーツ創設者の一人です。
次に同じく魔女のヘルガ・ハッフルパフさんもハッフルパフ寮を作りました(^^ゞ 
それぞれの寮には、寮付きゴースト(お化けですね(^^ゞ)がいるんですよ。
レイブンクローのゴーストは『灰色のレディー』というお化けちゃんです。
映画「賢者の石」でも、判りずらいんですが出てきます。
ハリー・ロン・ハーマイオニーが賢者の石が盗まれてしまうのではないかと慌てながらマクゴナガル先生の教室に駆け込んでくるシーンがありますが、その教室の生徒用の椅子に座っています(^_^;)
ハッフルパフのゴーストは『太った修道士』というお化けです。(^_^;)
そして魔法使いのゴドリック・グリフィンドールグリフィンドール寮を作り、
同じく魔法使いのサラザール・スリザリンスリザリン寮を作りました(^_^;)
ほとんど首なしニック』がグリフィンドール、『血みどろ男爵』がスリザリンの寮付きゴーストです。
Aダームストラング専門学校とBボーバトン魔法アカデミーはまたの機会に解説いたしましょう(^_^;)

意外と4つの寮のこともボーッとしか覚えていないのではと・・・、ハリー・ワールドのお勉強でした(^o^)丿
みなさん、為になりましたね(^o^)丿

すいませんm(__)m  ネタ不足は・・・・否めませんね(>_<)

本日の感じるお話です。
   苦しむことの意味   庭野日敬  (1998年、平成10年)

 「やろうかやるまいかと迷ったときは、やることに決めています」という人がおられましたが、私も、その主義でこれまでやってきました。とりわけ若いときはそれが大事だと思うのです。

 失敗したらどうしようと尻込(しりご)みしていたのでは、結局、何もできずに終わってしまいます。それでは何も身につきません。新しいことに挑戦すれば、失敗はつきものです。しかし、その失敗を繰り返すことによってしか自信はつかないのです。

 人生には、むしろ失敗や挫折(ざせつ)のほうが多いものです。
 ときには絶望しかけることもあります。
 しかし、その苦しみの中で人は本物になっていくのです。

 信仰をしていれば困難なことや嫌なことに一切出会わずにすむかというと、そういうわけにはいきません。信仰をしていても、さまざまな困難に直面します。「それなら、信仰をしてもしなくても同じじゃないか」と考えるかもしれませんが、そうではありません。

 信仰は困難に打ち勝つ力を与え、苦しむことの意味を教えてくれるのです。
 本当の喜びは苦しみから生まれるものであることを教えてくれます。

 失敗や挫折が恥ずかしいのではありません。
 そこから立ち上がれないことが恥ずかしいのです。
ありがとうございましたm(__)m
2003. 5.11
日曜
こんばんわ

お写真は、花ショウブです。

鮮やかな紫色の花びらが、その質感まてくっきりと伝わってまいりますね。
素敵です。

そして花言葉は「やさしい心」(^○^)
(move?さんより)

最近は朝・晩の涼しさに寒さを感じるほどです。

風邪をひかないように注意したいところですね。

鈴木秀子先生のお話はまだまだ学ばせて頂きたい事ばかりですので、またの機会にご報告したいと思います。

本日は出勤日ですので、晴れてほしいとこでありますが、なんとかもちました(^_^;)

http://www2.halex.co.jp/・・・/kanagawa.shtml

また、全国的に「母の日」であります。

私共の母親に感謝を込めて何か贈り物を今年も家内から贈ったようであります。

帰宅いたしますと、家内のなおちゃんがいつになくニコニコしておりますので聞きましたところ、大阪の長男夫婦より贈り物のハンドバックが届いたと言う事でありました。

長男とお嫁さんの結婚式はジューンブライト(6月)で東京にて予定しておりますが、一足先に赴任地にて新婚生活を4月より開始したところでした。

やはり、奥さんがおりますとなにかと気を遣ってくださいまして、家内も数十年ぶりに"母の日のプレゼント"を頂いたのでありました。

私達夫婦も、これからも感謝の気持ちを忘れずに、しっかり勤めていきたいと思った次第であります。


2003.5.11
母の日の
プレゼントの
バッグです
(^_^;)


本日の感じるお話です。
   人の心を察するゆとり    庭野日敬  (1995年、平成7年)

 一を聞いて十を知るという切れ者は、ときとして組織を危うくするといわれます。目から鼻へ抜けるような才知にすぐれた人は得難い人材なのですが、そういう人は、ともすると理論だけに走りがちで、理屈が通ればそれだけでぜったいに間違いないもののように考えて、性急にそれを押し通そうとします。それで、人の心を察するゆとりが持てなくなってしまうのです。

 しかし、人が行動を起こすのは頭で分かったときではなく、感情的に「そうだ」と納得したときなのですね。大衆は、それぞれの感情、心を持っています。その心が納得しないと人は動きません。

 お釈迦さまが人々に慕われ、あがめられるお徳を具えられたのは、自高我慢(じこうがまん)を除かれたからだと経典に示されています。

 自高我慢(じこうがまん)とは、文字どおり自分を高くして、それを自慢することです。お釈迦さまは、自分だけが正しいと高みから人を見下ろすような心を、徹底的に克服し尽くされたのです。

 自分と周囲の人びととの関係、自分と自然とのかかわりを本当につかむと、謙虚さが生まれてきます。人を拝める人こそが人の長となる人です。 
 
ありがとうございましたm(__)m
2003. 5.8
木曜
こんばんわ

move?さんのお写真はなかなか奇抜で、面白く、僕にとっては興味深いものばかりです(^^ゞ

また、重厚な色合い(色彩)もカメラによるものでしょうかわかりませんが、大変素敵です。


さて、今晩はわがままついでに、鈴木秀子先生のお話を聞かせて頂こうと思います。
--------------------
 「やったこと」よりも「生きていること」自体に目を向けて
すべてが思いどおりの順風満帆な人生を歩んでいる人など、この世の中には一人もいません。
生きている以上、誰もが苦しみや挫折を体験します。しかし、苦しみがあるからこそ、人間は立ち直り、それを糧としながら成長していけるのです。

 苦労や苦しみは、決して不幸なことではありません。それを幸せにするのも不幸にするのも、すべてはその人次第です。

 私たちは、お金や地位や名誉がない状態を不幸だと思っていないでしょうか。しかし、お金も地位も名誉も、幸せを保証するものではありません。それどころか「自分が存在している」ということに比べたら無価値に等しいものにすらなります。

 キリスト教に「ビーイング(存在)」と「ドゥーイング(行為)」という概念があります。

 「赤ちゃんが生まれてくれただけでうれしい」「存在してくれるだけでうれしい」と思うのが、ビーイングの感覚です。

 それに対して、「一流大学に入ったからうれしい」「親の言うことをなんでも聞く子に育ったからうれしい」「お金持ちになれたからうれしい」「地位や名誉を得ることができたからうれしい」と思うのが、ドゥーイングの感覚です。

 ドゥーイングは生きていく上で大きな助けになるものであり、必要なものですが、いつか無意味になるときがきます。「余命いくばくもない」という状態に陥った時がそうです。そうなると、お金も地位も名誉も無意味になってしまい、「生きつづけたい」と願う部分、つまりビーイングの部分だけが意味のあるものになってくるのです。
 このように、ドゥーイングの部分は失われても、ビーイングの部分は残ります。

 これは、赤ちゃんを見れば明らかです。赤ちゃんは何もしません。ドゥーイングの部分がまったくなく、その存在(ビーイング)だけで人の心を和ませてくれます。

 人はみんな、才能も経歴もそれぞれ違います。ドゥーイングの部分があなたと完全に一致する人など、一人もいません。だからこそ、あなたはあなたなのであり、かけがえのない大切な存在なのです。

 しかし、ドゥーイングの部分では一人ひとりまったく違っていても、ビーイングの部分ではすべての人は同じだと言えます。その理由は三つあります。

 一つめは、誰一人として完璧な人間はいない、ということです。地球上に存在するすべての人は、神さまではありません。誰もが欠点を持っています。欠点があるから苦しみを味わうのです。それは、すべての人が救いを必要としているということです。

 二つめは、すべての人の命には限りがある、ということです。永遠に生きつづける人はいません。寿命がくれば人は間違いなく死んでいきます。

 三つめは、誰もが生かされて生きている、ということです。人間は命を創りだすことはできません。命は与えられているものです。あなたは生かされているのです。

 以上の点において、人間は平等なのです。

 このことに気がつけば、誰もが等しく、かけがえのない、大切な存在なのだということが実感できるのではないでしょうか。もっとも大切なのは、その人が何を持っている、何をしているではなく、その人が生きているということなのです。

 私たちは、ほかの人を大切な存在だと思う時、また、他の人から大切な存在だと思われる時、お互いに一体感を味わい、自分は孤独ではないと実感し心の安らぎを覚えます。そのような愛や思いやりで人びとがつながり合い、安らぎを得ることこそ、人間にとっての本当の幸せなのではないでしょうか。  


「ありがとう、あなたが私の子でいてくれて」より、鈴木秀子
サンマーク出版  著作一覧
--------------------------------
ありがとうございましたm(__)m
2003. 5.7
水曜
こんばんわ


夕日の空を鳥が静かに羽を広げて飛んでいきます・・・・。
(move?さんより)


夕刻のこの色合いと明るさの中に見事な鳥が悠々と飛んで行く姿を被写体として収められるとは・・・、カメラマンとは、魅力的な被写体を呼び寄せる能力(意思)も併せ持っているものなのかもしれませんね・・・・・。



僕は、有難いご縁で、学生時代のころから、開祖先生のお話を読んだり、伺ったりしておりました。

そして数十年経ちまして、改めて一つ一つのお話を読ませて頂きますと、まるで初めてお聞きするお話のように感じられ、その心の姿勢としての意味の深さ・尊さに改めて驚嘆する思いで読ませて頂いております。

かくして、誠に我儘ながら、サイトに掲載し何度も読ませて頂いて、現実生活の実践を通じて、ひとつひとつ身につけさせて頂きたいと心より願っております。

皆様、今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。


本日の感じるお話です。
  不平が自分を苦しめる   庭野日敬  (1991年、平成3年)

 「口は(わざわい)(かど)」といいます。うっかり口にした言葉が、災難の元になるわけです。

懺悔経(さんげきょう)』ともいわれる『仏説観普賢菩薩行法(ぶっせつかんふげんぼさつぎょうほう)経』には、 「舌根(ぜっこん)は五種の 悪口(あっく)不善業(ふぜんごう)(おこ)す」と説かれ、また八正道(はっしょうどう)の「正語(しょうご)」の教えでも、  「妄語(もうご)(嘘)、両舌(りょうぜつ)(二枚舌)、悪口(あっく)(わるぐち)、綺語(きご)(いいかげんな言葉)など、すべて自ら(わざわい)を呼び寄せる元になる」と戒めています。

 とりわけ修行の妨げになるのは、不平を口にすることではないでしょうか。
不平というものは、いったん口から出すと、その言葉によって自分の不平不満が倍にも三倍にもふくれ上がっていきます。そればかりでなく、まわりの人にも悪い影響を及ぼしてしまうのです。自分の口ひとつで、なにもかもつまらないものにしてしまうわけです。これが自ら苦をつくりだす「苦語(くご)」です。

 それとまったく逆に、どんなことにも満足して、それをいつも口に出して言うことにしている、という方がおられました。毎日の奥さんの料理でも、「うまい、うまい」と口に出して言うと不思議においしくなるものだといわれるのです。

 同じ口から、不平の言葉が出るか、感謝の言葉が出るかの違いで、人間関係も環境も、まるで違ったものになってしまいます。 
ありがとうございましたm(__)m
2003. 5.5
月曜
こんばんわ


今日は、午前中の明るい日差しの中で、近くの公園やお寺さん、近辺の細い裏通りを家内と一緒に散歩してきました。

森の公園ですので、森林浴にはもってこいです。


また裏の路地には軒先のガーデニングの花々が咲き乱れ、思わずカメラにおさめることもしばしばです。

これからも初夏に向けてますます華やかになっていくことでしょう。

感じるままに4・50枚ほどデジカメで写してきましたが、改めてパソコンで出来具合を見てみましたが、日頃から誠に素敵なお写真を見させて頂いているためかその差は歴然で、改めてその難しさを感じた次第です(^_^;)

もっとも上手、下手ということもそんなに気にするほどのことでもないんですがね(^^ゞ

今日はまた、珍しく長男から掲示板の書き込みがあり、いささか驚きましたが、元気そうな事もわかってチョット安心いたしました(^o^)丿


本日の感じるお話です。
     子どもの安心         庭野日敬  (1992年、平成4年)

 子どもにとっていちばん大事なのは、外から帰ってホッとできるぬくもりのある家庭です。
その家庭のぬくもりは、お父さんとお母さんの夫婦仲のむつまじさがあってこそうまれてくるのですね。

 一家の和合は、かりに奥さんがいたらなかったら、ご主人がかばってあげる。ご主人の足りないところは、奥さんが一生懸命につくろってあげる。そうした支え合いがあって初めて、「互いに足りない者同士だから、二人三脚で人生を乗り切って行こう」という励まし合いが生まれてきます。

そうして両親が心を一つにしている姿が、子どもになによりもの安心を与えるのです。

 逆に、夫婦同士で、どちらが正しくてどちらが悪いんだと言い合い、「お前だけが頼りなんだから」と、子どもの頭をなでてあげても、子どもはうれしいはずがありません。

 奥さんがご主人を立てる努力をしなければ、ご主人も奥さんをいたわることもせずに、いくら子どもに期待しても、子どもには重荷になるだけです。

 夫婦仲が壊れてしまった家には、子どものいる場所がなくなってしまうのです。
ありがとうございましたm(__)m
2003. 5.4
日曜
こんばんわ

燃えるようなピンクの薔薇です(^_^;)

花言葉は「愛」「美」ということです。
(move?さんより)

本日はみなさんどちらかへお出かけされましたでしょうか(^^ゞ

僕は、静かに、自宅待機で読書です(^_^;)

あっ、全然関係ないんですが、今日、中日クラウンズカップ最終日(Golf)をやってましたが、星野英正の優勝(和合での-10)でありましたが、僕はたまたま、数年ぶりにトーナメントをみまして、まさかあの当時アマチュアで有名だった東北福祉大の彼がプロ4年目の初優勝とは知りませんでした。それで、アマチュア30勝以上の実力でありながらも、かなり苦しみながらプロ生活を過してきたらしく、「こんなに苦しいのなら、ゴルフを止めようかと思った事も・・・・」と涙ながらのインタビューでした。・・・・チョット驚き(^_^;)・・・・まぁ、良かったね。


お話は戻りまして(^_^;)、本日読んでおりましたのは、「ありがとう、あなたが私の子でいてくれて」(鈴木秀子著2003.4/25初版、サンマーク出版)という本です。

4月29日のわがまま日記鈴木秀子先生(聖心会シスター) (著作一覧)を読ませて頂いてから、先生の著作もじっくり読みたいなと思っておりまして、本屋で新刊を見かけましたので入手しました(^_^;)

うーむ、この中のお話も7章ほどありますが各章ごとに誠に厳しい試練を天から授けられたご家族の物語です。

第一章から難病(脳腫瘍)のために17歳という若さで早世したお子さんとお母さんのお話です。しかし、この腫瘍は治療の時を経ながらも、聴力を奪い、視力を奪い、顔面の腫れにより笑顔も食事すらも奪ってしまうのです。

お母様は何度も神に問いかけたといいます。『「神さま、この子はまだこれ以上お捧げしなければなりませんか。耳も、右目も、話す力も、体の自由も、食べる楽しみも、すべてあなたにお捧げしました。そのうえ、まだ左目までお取りになりたいのですか。もういい加減にしてください。もうたくさんです」
それでもHくんは、怒りや嘆きを抱いたまま逝くことはありませんでした。普通の死よりも何倍も苦しい死を受け入れ、周囲に対する感謝の気持ちで心を満たして亡くなっていったのです。・・・・』

鈴木先生が出会われる人々は何と過酷な人生を歩まれる方たちばかりなのでしょうか。

本日は第3章ほど読ませて頂きましたが、明日もじっくり読ませて頂きながら考えてみたいと思います。

尚、たくさんの示唆に富む言葉の数々がございましたが、第3章の終わりに次の言葉がありました。

『子供はどんどん成長していきます。その成長に合わせた親の接し方を簡潔に示した、実に的を射た言葉だと思います』・・・・・僕もそう思いましたのでご紹介いたします(^_^;)
乳飲み子からは肌を離すな

幼児は肌を離して手を離すな

少年は手を離して目を離すな

青年は目を離して心を離すな

本日の感じるお話です。
  行学二道    庭野日敬  (1994年、平成6年)

 今の社会には、知識の豊富さでは驚嘆するような人がいくらでもいます。ところが、そういう人が人生の問題で迷い、決断できずに、ノイローゼになったりしていることが多いのです。情報洪水(こうずい)の今の世の中は、才覚のある人ほどご苦労が多くなってしまうわけです。

 私たちは、よい話を次から次へと聞かされて、自分ではかなり悟ったつもりになっています。しかし、知識として知っているだけでは、まだ本当に自分のものにはなっていないのですね。よいことを聞いたら、そのとおり実行してみなくては、なにごとも本当には分らないのです。

 私は、「これはいい話を聞かせてもらった」と思ったら、すぐにそのとおり、実行してみるのです。すると、もっとよく分かってきます。身についてしまうわけです。「教えどおりに信じ、実行しよう」というのが信仰なのですね。

 情報社会になればなるほど、自分の信じるものをしっかりと心に持つことが大切で、それには、行学の二道がどうしても必要なのです。
ありがとうございましたm(__)m
2003. 5.3
土曜
こんばんわ

ちょっと早いのですが・・・あじさいですね。

癖になりました花言葉は、辛抱強い愛情、だそうです。
(move?さんより)

誠に、素敵です(^○^)

このようなマクロ写真をいつか撮影したいものであります(^_^;)


以前、多くの人々の命を奪ったり、地域の人々に多大な迷惑をかけて、宗教団体であるといっていた集団がございましたが、今も白装束云々の集団がおりますね。

人さまとぶつかり、対峙し、自己中心的な行動しかできない人は、本来、宗教者(信仰者)などとはとうてい言えるものではありません。・・・・・本日の感じるお話を読んでくださいね(^^ゞ・・・・・

あらゆる人の"救い"に真剣でない宗教などは宗教ではないのですね。この件はこれにて終わりとします。

お休みの初日でしたが、あわただしいものでした(^_^;)

僕と家内のパソコンもちょっと移動しなくてはならないのですが、置き場のない本の数々をパソコン机の下に山積みしているため、本の片付けに手間取りました(^_^;)

明日、十何年ぶりに机をずらしてタンスの扉を開けて、中を確認します(>_<)

都内のビッグエッグ後楽園にも用事があって車で行きましたが、やはり道路は空いておりましたね(^^ゞ

本日の感じるお話です。
  仏さまのお手本どおりに   庭野日敬  (1997年、平成9年)

 南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と唱えるその南無という言葉は、「ついて行きます」という意味であり、阿弥陀仏とは、人を救うことで自分が救われるという教えを説いた仏さまのこと。

 「だから、南無阿弥陀仏と唱えるのは、阿弥陀さまのように、人さまに奉仕いたしますという誓いの言葉なのです」と、随筆家の永六輔(えいろくすけ)さんがテレビで話されていました。まことに分りやすい説明だと感心しました。

 私たちが唱える「南無妙法蓮華経」のお題目も、同じです。
「南無妙法蓮華経」というお題目は、法華経の教えどおりに毎日生活いたします、とお誓いする言葉なのです。

 信仰に入った当初は、病気を治してもらいたいとか、この苦しみから救っていただきたいと神仏に祈り、おすがりすることのほうが多いでしょう。

 けれども、そこからだんだんに高まっていって、「仏さまが示されるお手本どおりに、私も人さまをお救いさせていただけるようになりたい」という願いをもつようになり、それを仏さまにお誓いする。

 そうなってこそ、本当の信仰の功徳が頂戴(ちょうだい)できるのです。
ありがとうございましたm(__)m
2003. 5.2
金曜
こんばんわ

すずらん、ですね。

なんと、可愛らしいお花なんでしょう(^^ゞ

花言葉が「幸せの再来」だそうです。
(move?さんより)


今日も遅い帰宅ではありましたが、明日からちょっとのんびり出来ると思いますと、あまり気にもなりませんが・・・・・。


人間は、ラクな時、元気な時、調子がチョット良い時ほど、大事な事を見落とす場合が多いかもしれませんね、お恥ずかしいことですが、それこそ修行の足りない僕などは考え方が甘いこと、おびただしく、お尻に火がついてやっと気付くという場合が多いのです。


これも先日、教えて頂いた事ですが、

 『 昔から「楽は苦の種、苦は楽の種」という言葉がありますが、私はそれに加えて「苦を苦にしないのが楽の種」と言いたいのです。苦境を乗り切る秘訣はこの一語に尽きると言ってもいいでしょう。

 
お釈迦さまは「一切皆苦(いっさいかいく)」とお説きになりました。それは、「苦が常態(じょうたい)である。当たり前の状態であると(さと)れ」とお示しになったのです』

とありました。(H5.7 『佼成』開祖先生法話)

本日の感じるお話です。
  みんなを主役に    庭野日敬  (1998年、平成10年)

 「使い走り役から縁の下の仕事まで全部こっちがやって大かた事が成ったところに出てきて、ちょっと手伝っただけで、すべて自分の功績のように吹聴(ふいちょう)する人間がいる」と(くや)しがる人がいました。

 私は、それでいいのだと思うのです。「みなさんが、それぞれ主役は自分だ、と思ってくれたらありがたい」と考えるのです。

 人間はだれかに利用されてその手先として使われるだけだと思ったら、本気で働くものではありません。自分が主役だと思えばこそ、力をふりしぼってくれるわけで、それを本当にありがたいと心から感謝する・・・・・・。

 こちらの考えがそうなると、みなさんが喜んで力を貸してくださるのです。とりわけ宗教者は、それだけの(ふところ)の広さを持たなくては人さまをお救いし、世の中を浄化する働きなど、とてもできるものではありません。

 自分一人だけの力では、なにごともなりません。あの人にも、この人にも力を出し切ってもらう。その手助けができるようになってこそ本物です。
  
ありがとうございましたm(__)m
2003. 5.1
木曜
こんばんわ

お写真は、ポピーのお花です(^○^)
(move?さんより)

普通のアングルの素敵なポピーもたくさんございましたが、こちらに惹かれました。

『七色の愛・乙女らしさ』が花言葉だそうです。

ところで、毎月一日の開祖先生のお話は決めさせて頂いております(^_^;)

月初の心構えは、僕にとってはこのお話しかありません。

卒業証書はそうそう簡単にはいただけないのであります(>_<)が、それもまた、素敵な事とも思えます。

5月は3・4・5日がお休みとなっておりますが、例年の如く、ホームページの更新ぐらいしかできないかもしれません(^_^;)

新緑の自然もカメラにおさめたいところではあります。

ハリー・ポッターの小説を全巻読み直すのも悪くないですね(^^ゞ

本日の感じるお話です。
  まわりを味方にする    庭野日敬  (1998年、平成10年)

 まわりと仲良くすることが仏道の極意(ごくい)、と言ってもいいのではないかと私は思うのです。
あっちでぶつかり、こっちで人に突っかかっているようでは、仏道修行は落第です。

 家族や職場の仲間はもちろんのこと、毎日起こるすべてのことと仲良しになってしまうのです。
仏道とは天地の(ことわり)、宇宙の大法則と溶け合って生きることだともいえましょう。

そうして、まわりじゅうと仲良しになろうと努力していると、すべての人、すべてのことが自分に力を貸してくれるようになって、前へ前へと押し出してもらえるのです。これが安楽行です。

 こちらのほうがずっと楽な道なのですが、みなさんが、わざわざ人に突っかかったり、まわりに当たったりして悪戦苦闘しているわけです。「極楽は行きやすくして人なし」で幸せへの道のほうがずっと楽なのですが、分かってはいてもなかなかそれができないわけです。

 ですから、一つ一つ周りの人に教えを受けながら「今日はこれができた」「ここが一つ上達した」と毎日の自分を振り返って一段一段上がっていく努力を続けていく。

 周りの人を味方にし、師としていけば必ず卒業証書をもらえる日がきます。
  
ありがとうございましたm(__)m


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