わがまま日記

( ̄。 ̄;)2004.2
HOME 人生の応援歌 ハリポタ大好き お友達 りかちゃん
2002.7-8-9-10-11-12  2003.1-2-3-4-5-6-7-8-9-10-11-12
2004.1-2-3-4-5-6-7-8-9-10-11-12 2005.1-2-3-4-5-6-7-8-9-10-11・12
おはなし掲示板 個人ニュース こころの散歩道  Next
過去ログ(^_^;)へBBS4つ お天気プラスone情報源朝日読売日経
精霊達の森move?デジタルフォトギャラリー素材散策自然いっぱいの素材集web素材

12月へ(^○^)2月へ(^o^)丿
人々(にんにん)みな 仏法の()なり 非器(ひき)なりと 思うことなかれ 道元
2004
.2.29
日曜
こんばんわ

河口湖の富士山ですね。
(富士の響さんより)

さて、今晩は、開祖先生のお言葉とは一味異なる、ひろさちや、さんの仏教のお話です。

何度となく読み返しながら、先生の心を学びたいと思います。
----------
『仏教は幸福学』

仏教は「幸福学」です。
わたしたちは幸福になるために仏教を学びます。
また、仏教を学べば、わたしたちはすぐに幸福になれるのです。

では、どうすれば幸福になれますか・・・・・?

お釈迦さまがわれわれに教えてくださったことは、---あなたたちは、おかしな世間の常識に縛られているから幸福になれないのだよ。そんな常識を捨てて、自由になりなさい---、ということなんです。

わたしたちは激烈な競争社会に生きています。競争社会において、がんばりにがんばって競争の勝者にならないと幸福になれないと思っています。それが常識です。けれども、勝者になるのは大変です。また、勝者になっても、さらに競争は続き、いつか敗者に転じます。永遠の勝者はいないのです。

だから、われわれは幸福になれません。

しかし、本当に仏は、一部の勝者だけが幸せになれて、大部分の敗者が不幸であってよいと思っておられるのでしょうか・・・・・?

ノーです。仏は、すべての人が幸せになってほしいと願っておられます。

そこに気づいてください。

あらゆる人が幸せになってほしい・・・・・というのが仏の願いであることがわかれば、あなたがあなたのままで幸せになれるのです。

そのことを学ぶのが、仏教の学びなんですよ。
-----------------------
『ダーナ』19号 ひろさちや 初めの一話 より引用
ひろさちや氏(略歴)
宗教評論家。1936年(昭和11年)、大阪市生まれ。東京大学文学部印度哲学科卒業。同大学院博士課程終了。気象大学校教授を経て、現在、執筆や講演活動のかたわら「まんだらの会」を主宰。著書に「仏教の歴史(全十巻)」(春秋社)「わたしの「南無妙法蓮華経」」「ひろさちやの「道元」を読む」「ひろさちやの「親鸞」を読む」(佼成出版社)ほか多数。

本日の感じるお話です。
  ピンチのときこそ大道を    庭野日敬  (1998年、平成10年)

 「行くに(こみち)()らず」という言葉があります。
どんなときも大道(だいどう)をあゆまなければならない。いくら近道に見えても、小道はやがて行きづまってしまう、という意味です。

 大通りが車で渋滞しているからというので細い小路(こみち)に入ったら、抜け道どころか進むことも退くこともできなくなってしまった、ということがよくあります。人生の道も同じです。

 道元(どうげん)禅師に、「道を学ぶ者は自分の解釈を先にしてはならない」というお言葉があります。ふだんは教えを信じて大道をあゆまなくてはならないと努力しているつもりでも、まわりの環境が厳しくなってくると、ついつい迷いが出て、教えどおりやっていたのでは、この競争社会で(おく)れをとって生き残れなくなってしまうと、自分の解釈を優先させてしまうのです。

 いちばん大事なときに自分の利害に引きずられてしまうのが妄想です。
そういうときにこそ、自分の才覚(さいかく)を捨てて仏さまにおまかせしてしまう。それが「不自惜身命(ふじしゃくしんみょう)」なのです。

 自分の利害を離れて仏さまの大道にのっとると、自分を守ってくださっている仏さまの存在が見えてきます。

 難局を迎えたときこそ、小知を捨てて教えと一体になることが大事です。
ありがとうございましたm(__)m
2004
.2.28
土曜
みなさま、こんばんわ

どうも今月は、このわがまま日記も、週末になりませんとなかなか書けないようになってしまいました(^_^;)

また、今日も明日も出社ですので、今も少々あくびをしながら書かせて頂いてます(>_<)

なんとか2月も無事に過せそうですが、3月になりますと、サクラの季節も始まりますので、また楽しみですね(^^ゞ

さて、2月は例年ですと、さほどではないのですが・・・実は、今月の忙しさには、少々理由があります(^_^;)
それは、私の実の弟が同じ役員として働いておりますが、2月半ばに交通事故を起こしまして、急遽、入院するという事態となってしまいました。

日頃から少人数体制ですので、各自が管理していることもあり、彼の入院後、以前からのお客様の仕事の段取りや手配に滞りの無いように万全を期して、ご迷惑のかからぬよう努力している次第ですが、まだまだ十分とはいえないかもしれません。

また、圧迫骨折ということもあり、2・3ヶ月かかるようですので、なかなか修行は続きます(^_^;)(本人も辛いね)

僕自身、考えること、反省すべき事、学び直さねばならない事など、いっぱい課題はありそうですが(^_^;)、日々の心構えも原点に立ち返り、一致協力の社内体制をさらに築き上げながら、課題の克服に努力していく他はありません。

また一方で、最近はお車の購入希望の商談もかなり多くなって参りましたので、そういった点でも、益々がんばりたいところでもあるんですね(^^ゞ

・・・・・それではみなさま、おやすみなさいませ(^o^)丿・・・・・


本日の感じるお話です。
  生かされている恩返し    庭野日敬  (1993年、平成5年)

 仏教の教えの基本が、すべての存在は他との関係(縁)なしにはありえない、という縁起観であることは、みなさんもよくご存じのとおりです。その教えをどう実践に移していくかです。

 まず、自分が今日一日を無事に過ごせるのはだれのお陰であるのか、どれだけの人の助けをいただいているか、その縁起を知ることが報恩行(ほうおんぎょう)の出発点です。

 私たちは仕事が順調に進んでいるときには、すべて自分の力、自分の努力の結果だと思い込んで得意になっているのですが、それが、どれだけ多くの人の後押しによってなっているか、毎日、振り返ってみる習慣をつけてしまうことが大切です。朝夕の経典読誦のご供養は、その行の一つなのですね。

 いつもまわりの人たちへの感謝を忘れずに、その感謝の気持ちを素直に表わしていく生き方と、自分を過信して得意になったり、努力が報われないと恨んだりする生き方とでは、天地の開きが出てしまいます。

 先祖供養も、親孝行も、菩薩行も、すべて今日(こんにち)の自分をあらしめているものへの恩返しの行なのです。
ありがとうございましたm(__)m
2004
.2.22
日曜
こんばんわ

本日の日曜、皆様いかがお過ごしですか(^o^)丿

今日のお写真はサクラにさせて頂きました。
(move?さんより)

午後3時頃からちょっと会社の用事でお仕事を済ましてきましたが、おおむね休憩できました(^_^;)

僕は、自宅に僅かな映画ビデオやDVDの買置きがありますが、わりと気に入っているものばかりなので家族の連中から「えっっ、また見てるの!!」とバカにされながらも(^_^;)良く見ます。午前中に2本鑑賞しました(>_<)

午後の仕事の帰り際、レンタル屋で480円で数多くビデオ販売してたのでつい、買いました(^_^;)
さすがに10回以上見ても大丈夫な映画もハリ・ポタぐらいなので・・・新しい映画も仕入れたいのです(^^ゞ
先日の恋愛映画もありましたので、さっきまで、ずっと楽しんでましたね(^^ゞ

家内は堂本光一なる芸能人の「ショック」(帝劇)という舞台を見に行っておったようです。夕方から、東京は風雨が激しくなり、帰りもどうなることかと心配しておりましたが、案の定、濡れ鼠で帰って参りました(^_^;)

まぁ、そこそこ楽しめたようであります(^^ゞ


本日の感じるお話です。
  協力者を得る法    庭野日敬  (1992年、平成4年)

 商売でも、どうしたら売れるようになるかではなく、買ってくださる人の気持ちをいつも考えられるようになれば成功間違いなしだ、といわれます。人と人との関係の極意も、そこにあるのですね。それが、初めはみんな逆なのです。自分の考えだけが正しいと相手に押し付けてしまう。自分の意のごとくならないと気が済まない。これを自分勝手というのです。それでいくら力んでも、まわりは自分の思いどおりにはなりません。

 ですから私は、まず相手の意見を受け入れてしまうことにしているのです。そして、それに自分の考えをどう合わせられるか、調和させていけるか、考えるようにしてきました。そうすると、どんな人も安心して自分の力を出しきってくれるのです。

 いくら自分の意見を通してみたところで、一人の力でできることには限りがあります。自分と一つ心になって協力してくださる人材を、どれだけ得られるか。大事なのは、そこです。「みなさんが菩薩の行をなさる方だ」と拝む心になると、こっちの()など張る必要は、まったくなくなるのです。相手に合わせる気持ちになれば、相手も必ずあゆみ寄ってくれます。心と心は必ず通じ合うものなのです。
ありがとうございましたm(__)m
2004
.2.14
土曜
こんばんわ

ちょっとご無沙汰です(^^ゞ

お写真は、岩本山より眺める富士と桜ですね。
(富士の響さんより)

春よこい♪

はやくこい♪

といったとこでありましょうか(^_^;)

2月も半ばですが、お仕事もなかなか厳しい状況もあり、ますます面白いことになってまいりました(^_^;)

まるで・・・人間は・・・といいますか・・・私という人間が・・・いかに己に甘いか、またどれほど真剣に取り組んでいるか、いないかが試されているかの如き昨今であります(^_^;)

寸暇を惜しんで仕事に取り組みながら、人としてのありかたをしっかり学び直さねばならない時、なのでありましょう。

http://ym212152646.fc2web.com/kaiso013.html
こちらも、かみしめたいお話です。
開祖先生、ありがとうございますm(__)m


本日の感じるお話です。
  「まず人さま」の心の豊かさ    庭野日敬  (1970年、昭和40年)

 佼成会では「まず人さま」と言います。なんでもない簡単なことのようですが、自己中心の今日の社会では、なかなか実行できないことです。

 「おれが」「おれが」と、みんなが主張し合うこのせちがらい世の中で、「まず人さま」などと譲っていたら自分ばかりが損をしてしまうとか、自分のことで精いっぱいなのに人さまどころではない、と考えるのがふつうで、「他人よりもまず自分」と考える人のほうが多いのです。ところが、その考え方がじつは自分を不幸にするのです。

 「自分が、自分が」という心は自分の心をだんだん細らせていって、いつも不満が絶えません。自分のことはさておいて「まず人さま」と考えられるようになると、心が豊かになって、おのずと心が満ち足りてくるのです。そういう心になると、不思議に人さまが自分の応援をしてくれるようになります。

 「豊かな心、明るい社会」という教団スローガンも、心の豊かさを社会全体に広めたいという願いにほかなりません。「人さまのため」という心こそ菩提心(ぼだいしん)であり、それが菩薩行(ぼさつぎょう)の基本姿勢なのです。
ありがとうございましたm(__)m
2004
.2.8
日曜
おはようございます

みなさま、いかがお過ごしでしょうか(^。^)

本日のお写真は、河口湖の富士、とありまして、幻想的で綺麗ですね。
(富士の響さんより)

1・2月はなかなか仕事の上でも処理事項が多く、ナーバスな動きとなりますが、たまに息抜きの休日がありますと少しホッといたします(^_^;)

皆様のホームページへおじゃまするのもほとんどできなかったり、自分自身の頁の更新も、あまりしなくなりますので、少々寂しい限りです(^_^;)

さて、昨晩も何か楽しい映画でもということで、2つほど借りて鑑賞しました。
「めぐり逢えたら」「愛しのローズマリー」です。

まぁ、のんびり恋愛映画でも・・・といったところですが・・・。
前者の「めぐり逢えたら」は、トム・ハンクスとメグ・ライアンのコンビですので?安心して見ていられます(^_^;)
それほど大感動といったことではありませんが、「ユー・ガット・メイル」同様、ラストシーンが素敵です。
この映画のメグ・ライアンは美人でキュートですね(^^ゞ子役の少年もなかなかの名演技です。

つぎに、後者の「愛しのローズマリー」ですね・・・ある意味で、この映画はなかなか意味深なテーマです。
そうですね、映画なので、少々リアリティは残すものの、比較的大袈裟な表現を採用することで主たるテーマを浮き彫りに感じやすくさせているのかもしれません・・・。
表面的なスタイルや美人さのみに興味を惹かれ、執着してしまうある男の価値観を、人間的な心の美しさを第一として感じられる(判断できる)感性に変えてもらった所からお話ははじまります。
見ている私達に分かり易いように、彼が見える世界で映像も推移します。
現実的には、大変太っている女性ですが気立てが優しく、様々な慈善的行為も積極的に行動する女性が、スタイルも良く美人の女性として彼の目には写っています。
(この表現そのものにも問題はないのかな?・・・まぁ、映画なのでね(^_^;))
人間は、幻想を、日常的に見るような状況にない限り、現実と理想の乖離を心底から納得することはそうそう容易ではありません。(・・・価値観が偏っていればなおさらです・・・)
しかし、自らの価値観を深め、広げて、いろいろと悩み苦しんでいる人の心も感じられるように心がけていけば、何が大事なことかが見えてくるようにも思われますし、この映画の問題提起の一つではないかと感じました(^_^;)
http://www.mainichi.co.jp/life/cinema/new/2002/05/31-7.html 毎日新作ガイド「愛しの・・」
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD10349/index.html Goo映画「めぐり逢えたら」


本日の感じるお話です。
  最善を尽くす祈り   庭野日敬 (1965年、昭和40年)

 「自分の願いをかなえるには、どのような祈り方をしたらよいのでしょうか」と、しばしば質問を受けます。

 祈りとは利己的な願望をかなえるためにするものではありません。
私の場合は「なにとぞ自分の使命を果たさせてください」と願う以外に、神仏に願い事をすることはありません。
いまに感謝し、その日、そのことに最善を尽くす。

 真の祈りは、ただ祈るだけでなく、そのための真剣な行動を伴ってこそかないます。
祈って行動し、行動して祈る。それが真の祈りだといっていいでしょう。
ありがとうございましたm(__)m
2004
.2.2
月曜
こんばんわ

今月は梅尽くしかな(^_^;)
(move?さんより)

サクラとはまた一味違った優雅さと言いましょうか・・綺麗ですね。


さて、今日は、今月の心得として掲げさせて頂いた道元禅師のお言葉についてです。

人々(にんにん)みな

仏法の()なり。

非器(ひき)なりと

思うことなかれ


こちらは「正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)」の中にあるお言葉のようであります(^_^;)確か懐奘禅師(えじょうぜんじ)の後の本ですが・・・・

http://www.sotozen-net.or.jp/rensai/zuimon/zuimon2.htmこちらは詳しいですね(^_^;)

かなり昔に読んだのですが、忘れました(^_^;)やや『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』の「現成公案(げんじょうこうあん)」あたりはよく読みました。

言葉の意味としては、「どんな人でも仏法を修行し、それを実生活の中で実践する力が備わっている。そんな能力などはないと思ってはいけません」ということでありましょう。

時として人は、自分の愚かさ、(みじ)めさを感じ、自らを卑下(ひげ)しがちです。

しかし、この道元さんのお言葉から、こんな自分でも努力すれば救われるのだと勇気づけられます。

解説の一文に「仏道は手の届かない所にあるのではなく、私たちの手の内にある」と書かれていました。
2004
.2.1
日曜
こんばんわ

今日は2週間ぶりのお休みでしたが、ちょっと気が抜けているのか頭の芯が重くて、だるさが抜けません(-_-;)

本日のお写真は梅にしました(^^ゞ・・・
(move?さんより)

あまり動かずに、休憩してましたが、ひさしぶりに整髪してすっきりしました(^_^;)

昨晩は読書も気が乗らず、ビデオ鑑賞ということで、少し借りてきました。

えーと、りょうさんのお話から『プリティー・ウーマン』ですね。それから新着で『パイレーツ・オブ・カリビアン』を借りました。(^_^;)
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD8033/『プリティー・ウーマン』
http://www.movies.co.jp/pirates/『パイレーツ・オブ・カリビアン』

なるほど、なるほどとゆっくり見させて頂きました(^_^;)
うーむリチャード・ギァ、ジュリア・ロバーツなんですが・・・・、俳優の好き嫌いをお許しいただけるとしたら、ちょっと僕としてはピンとこないお二人なんですね(^_^;)すいません。「真実の行方」「シカゴ」リチャード・ギアの演技の上手さなのかも知れませんがちょっとイマイチのキャラクターです(^_^;)すいませんねぇ。
「プリティー・ウーマン」の内容はなかなか楽しかったですがね。

『パイレーツ・オブ・カリビアン』は意外と感動は薄かったです(^_^;)これもすいませんねぇ。
僕としては、まだアニメの『シュレック』の方が、よっぽど感動しました(^_^;)
ハートにこないと、なんとも味気ない作品と感じてしまうので・・・、うーん、ジョニー・デップもイマイチでした(^_^;)

まぁ、娯楽作品ということで、楽しませて頂きました。

また明日からお仕事、がんばりましょう(^○^)でわでわ(^o^)丿

本日の感じるお話です。
  まわりを味方にする    庭野日敬  (1998年、平成10年)

 まわりと仲良くすることが仏道の極意(ごくい)、と言ってもいいのではないかと私は思うのです。
あっちでぶつかり、こっちで人に突っかかっているようでは、仏道修行は落第です。

 家族や職場の仲間はもちろんのこと、毎日起こるすべてのことと仲良しになってしまうのです。
仏道とは天地の(ことわり)、宇宙の大法則と溶け合って生きることだともいえましょう。

そうして、まわりじゅうと仲良しになろうと努力していると、すべての人、すべてのことが自分に力を貸してくれるようになって、前へ前へと押し出してもらえるのです。これが安楽行です。

 こちらのほうがずっと楽な道なのですが、みなさんが、わざわざ人に突っかかったり、まわりに当たったりして悪戦苦闘しているわけです。「極楽は行きやすくして人なし」で幸せへの道のほうがずっと楽なのですが、分かってはいてもなかなかそれができないわけです。

 ですから、一つ一つ周りの人に教えを受けながら「今日はこれができた」「ここが一つ上達した」と毎日の自分を振り返って一段一段上がっていく努力を続けていく。

 周りの人を味方にし、師としていけば必ず卒業証書をもらえる日がきます。
  
ありがとうございましたm(__)m

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送