わがまま日記

( ̄。 ̄;)2004.1
HOME 人生の応援歌 ハリポタ大好き お友達 りかちゃん
2002.7-8-9-10-11-12  2003.1-2-3-4-5-6-7-8-9-10-11-12
2004.1-2-3-4-5-6-7-8-9-10-11-12 2005.1-2-3-4-5-6-7-8-9-10-11・12
おはなし掲示板 個人ニュース こころの散歩道  Next
過去ログ(^_^;)へBBS4つ お天気プラスone情報源朝日読売日経
精霊達の森move?デジタルフォトギャラリー素材散策自然いっぱいの素材集web素材

12月へ(^○^)2月へ(^o^)丿
(もろもろ)(あら)ゆる功徳を修し、柔和質直(にゅうわしちじき)なる者
2004
.1.25
日曜
こんばんわ

2週間ぶりのご無沙汰です(^_^;)

お写真は、ちょっと季節感が異なりますが、綺麗でしたので・・・
(move?さんより)

比較的、こちら太平洋側ですが(^_^;)今年の冬はそんなに厳しい寒さという感じがしませんね(^^ゞ

まぁ、まだ一月ということで、寒さも雪もこれからあるかも知れませんが(^^ゞ

一月も来週一週間を残すのみとなりました、がんばりたいところです。

さて、ちょうど2週間ほど前でしょうか、相変わらず100円で買える古本屋のブック・オフで覗いておりますと、一冊見つけました(^_^;)

「与える愛に生きて--先達の教え--」瀬戸内寂聴著、1995年、小学館、1000円・・・(^_^;)もち100円で。・・・
 この本は、"徒然草"の吉田兼好、"正法眼蔵"の道元、伝教大師最澄の伝記です。
なかなか興味深くて、寂聴さんの視点から、時代背景と偉大な先達の信仰観を描き出しています。

ただ、僕も楽しみに読んでいるのですが、なかなか時間がとれず・・・・まだ読みきっておりません(^_^;)
昨日・今日とお仕事でしたが、代休も取れるかどうかわかりませんので、2月にずれこみそうです・・・・。

専門の方からみればごく当然のことでしょうが・・・道元さんは54歳で亡くなったのか・・・とか、深草時代の道元が女人成仏論者・男女平等論者であったのか・・・そして、おとうさんとは3才、おかあさんとは8才で死に別れているのか・・・などなど改めて知り直しました(^_^;)

でわでわ、おやすみなさい(^^ゞ

本日の感じるお話です。
  力を与えてくれる人   庭野日敬 (1995年、平成7年)

 布施というと、お金や物を考えますが、人に喜びを与え、怖れを取り除いてあげるのも、大切な布施です。

 観音さまは、救いを求めるその人その人に応じて三十三身を現じてくださいます。そして、隣に寄り添って「苦しいね、でも、大丈夫なんですよ」と言ってくださるのです。

 病気で苦しむ人は、「がんばって」と励まされるよりも、手をにぎって苦しみを共にしてくれる人がいると苦痛が本当に半減するといいます。信頼する医師が「大丈夫。心配しなくてもいいんですよ」と言ってあげるだけで、病気が治る人もいるといいます。人生でも、自分が信頼し、尊敬する人に「ぜったい大丈夫だ」と言いきってもらえると、難関を乗り越えることができるのですね。自分は一人でなく、いつも一緒についていてくれる人がいるのだと自信を持つと、考えられないような力がわいてくるのです。

 そういう、ぜったい信頼できる人を自分が持つことの大切さと同時に、自分もまた、人さまに信頼され、人に力を与えてあげられる人になれたら、こんなすばらしいことはありません。 
ありがとうございましたm(__)m
2004
.1.11
日曜
こんばんわ

ちょっと、ご無沙汰ですいません(^_^;)

書けない・・・、理由もあるのですけどね(^_^;)

とはいえ、このお写真も二回目ですが、静寂な心休まる風景です。
(精霊達の森様より)

なんとなく、お休みの日となりますと、何か感動的な小説を読みたいものだ・・・、とか心暖まる映画など見たいものだ・・・、とふと思ってしまいますね(^_^;)

古本屋やビデオレンタル屋が流行るのも(ゆえ)あることかとかもしれません。

それにしても、朝から晴れてはいましたが、誠に寒い一日で、あまり外にも出ませんでした(^_^;)

さて、明日は成人の日ということで、我家の一人娘も着物を着て、頭を結って、式に参加するそうであります。

デジカメの作動も確認して、電池を充電して、写真用の印刷紙も用意してと、・・・・少し準備しています(^_^;)

あまり美人なのも心配ですが(我家はそうでないので心配してませんが・・)浮いた噂一つないのもこれまた微妙なところではあります・・・・・(^_^;)

それでは、みなさま、おやすみなさい(^○^)


本日の感じるお話です。
  ほんとうの可愛げ    庭野日敬  (1998年、平成10年)

 「女性は可愛げがいちばん」などと言うと、女性から(さか)ネジを食わされそうですが、関西大学名誉教授で評論家の谷沢永一(たにざわえいいち)さんは、才能や智恵や努力のすべてをひっくるめても可愛げにはかなわない、と言われます。

 可愛げというと男性に()びることのように考える人がいるかも知れませんが、可愛げとは女性にだけに求められるものではなく、素直さのことといってもいいのではないかと思うのです。

 たとえば無我の境地というと、現実を超越してしまうことのように考えがちですが、無我とは、むしろ、自分をなくして現実をあるがままに受け入れ、現実に添うことです。

 自分の考えに固執(こしゅう)するかたくなさを取り払ってこそ、現実を自分の願いのほうに導くことができます。

 可愛げも同じで、人におもねたり迎合(げいごう)したりすることでなくて、人の心に添えるようになることだといってもいいでしょう。

 それは、たとえば一家のまとめ役の主婦にしても、組織の(かなめ)の長にしても、欠いてはならないものではないでしょうか。みんなを(たば)ねる長とは、みんなの力を借りて事を成し遂げる役なのですから。
ありがとうございましたm(__)m
2004
.1.3
土曜
こんばんわ

お正月も明日を残すのみとなりました。

右のお写真は「福島県 裏磐梯」の冬景色。
(精霊達の森様より)

箱根駅伝もなかなか好レースでしたね(^。^)

20チームの一つに大学選抜チームがあり、記録的にも優秀な成績でしたが、毎年こんな形で、全国の大学の実力者も挑戦できる(箱根を走れる)形態が取れたら、また素敵な箱根駅伝になるのではないかとふと感じました(^^ゞ

ところで、以前から読んでみたいと思っていた本が、ブックオフにたまたまありましたので、読んでみました(^^ゞ
玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)さんの「中陰の花」瀬戸内寂聴さんの釈迦(しゃか)です。

やや難解なテーマだけに、難しい表現かと思っていましたが、意外と読みやすく、考えて見れば、お二人とも作家(そして僧侶)でしたので、小説というジャンルであったことを改めて認識した次第です。
また、玄侑宗久さんがこの作品で芥川賞をとられたということも興味をそそりました。

ただ、玄侑宗久さんの場合、前後の作品も合わせ読んでみないと、今回の「中陰・・・この世とあの世の中間」という主題は、まだまだ、つかみずらいものでありました。
全然、感想になってませんね(>_<)
アマゾンブックのリンク「中陰の花」もあり、概要も書かれてますので、そちらも参考にしてくださいね(^_^;)

瀬戸内寂聴さんの「釈迦」ですが、あるサイトに釈迦の伝記がありましたので(^^ゞ載せますが、通常の仏教書と異なり、お釈迦さまの侍者としての阿難(アーナンダ)がありのままの釈尊の生きる姿を話していく形をとり、お釈迦さまの入寂までの生きざまと苦悩する人々への救いを、赤裸々な心理表現で描いています。特に、過酷な運命に翻弄され呻吟する様々な女性の救われへのエピソードは寂聴さんならでわのタッチで描かれておりました。
「煩悩」とはいかなるものか、「懺悔」とはなんなのか、そして「慈悲」とは・・・一つ一つのお話を通じて考えさせられます。
そして、人間としてのお釈迦さまを改めて感じさせて頂ける本でもありました。


本日の感じるお話です。
  智者と愚者   庭野日敬 (1967年、昭和42年)

 イヌはうそをつきませんし、機械は正確に動きます。
それに比べて、人間はうそをつくこともあれば、機械のように寸分の誤差もなく動くというわけにはいきません。それならば人間はイヌや機械に劣るのかというと、そんなことはありません。

 失敗や間違いを契機として、それをよりよく生かし、向上の材料としていくことができる、すばらしい力を持っているのは人間だけです。
「智者とは過ちを改めて善となす人をいい、愚者とは多くの過ちを隠して自分の非を飾ろうとする人のことをいう」という言葉もあります。
ありがとうございましたm(__)m
2004
.1.1
木曜
みなさま、新年明けましておめでとうございます(^o^)丿

お写真は「霧氷の朝」とあります。
(精霊達の森様より)

美しく清清しい朝の光ですね。

比較的、我家は季節感に疎く?、お正月にしましてもいつもと変わらぬ雰囲気に、子供からも「ちょっとおかしくない?」と指摘される始末です(^_^;)

恥ずかしながら、正式なお正月料理にもあまり出会った(>_<)ことがないか、記憶が無いか、よくわかりませんが、かてて加えて、おせち料理も美味しいという実感が無いために、敢えて用意する意味もないのではとして、あっさりとした状況が延々と続けられてしまっています(^_^;)

子供たちにすれば、いささかお祝い事もありますれば、それなりのけじめとなるのでは、などと思っているのかもしれません。

これもお恥ずかしき事ですが、あっさりし過ぎ、は我家のパターンになりつつあります(>_<)

今朝は、家内が、長男のお嫁さんのご実家にお電話をさしあげ、私も含めて、先方のご両親に新年のご挨拶をさせて頂きました。

昨年の結納の時にお邪魔して,雪山に囲まれた長野の自然の風景は、田舎を持たない私にとって、新鮮な感動を覚えたものですが、長男夫婦もお正月は長野に帰省しているようです。

これからも様々な困難を乗り越えて、元気で明るい家庭をしっかりと築いていって欲しいものであります。


本日の感じるお話、二題です。
  目的を持って生きる    庭野日敬  (1998年、平成10年)

 みなさま、明けましておめでとうございます。

 東大名誉教授の笠原一男(かさはらかずお)先生が、こんなことをおっしゃられたことがありました。
「目的を持って本を読むと、磁石が砂の中から砂鉄を集めるように自分が求めていたものがくっついてくるんですよ」と。「なるほど、そのとおりだなぁ」とうなずかされたものですが、これは読書だけでなく、人の生き方の全体についても言えると思うのです。

 私のこれまでの人生を振り返ってみても、目的を持って一日一日を生きていると、自分が求めていたものが不思議に次々と目の前に現れてくるのです。ところが漫然と日々を過してしまうと、結局、何も得られない。

 私が法華経に出()って「これだ!」と(おど)り上がらんばかりの喜びを覚えたのも、かねがね「残らず人を救いとる教えはないものか」と真剣に求め続けていたからだと思うのです。ふだんからそういう目的を持っていなかったら、法華経の宝の山に出遭っても、どこがそんなにありがたいのか気づけなかったかもしれません。

目的を持ち、願いを持って生きる大切さを年の初めにしっかりと心に刻み直し、一年の計をたてたいものです。
  

  まわりを味方にする    庭野日敬  (1998年、平成10年)

 まわりと仲良くすることが仏道の極意(ごくい)、と言ってもいいのではないかと私は思うのです。
あっちでぶつかり、こっちで人に突っかかっているようでは、仏道修行は落第です。

 家族や職場の仲間はもちろんのこと、毎日起こるすべてのことと仲良しになってしまうのです。
仏道とは天地の(ことわり)、宇宙の大法則と溶け合って生きることだともいえましょう。

そうして、まわりじゅうと仲良しになろうと努力していると、すべての人、すべてのことが自分に力を貸してくれるようになって、前へ前へと押し出してもらえるのです。これが安楽行です。

 こちらのほうがずっと楽な道なのですが、みなさんが、わざわざ人に突っかかったり、まわりに当たったりして悪戦苦闘しているわけです。「極楽は行きやすくして人なし」で幸せへの道のほうがずっと楽なのですが、分かってはいてもなかなかそれができないわけです。

 ですから、一つ一つ周りの人に教えを受けながら「今日はこれができた」「ここが一つ上達した」と毎日の自分を振り返って一段一段上がっていく努力を続けていく。

 周りの人を味方にし、師としていけば必ず卒業証書をもらえる日がきます。
  
ありがとうございましたm(__)m

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送