わがまま日記

( ̄。 ̄;)2003.6
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「与えてこそ、与えられる」
2003. 6.29
日曜
こんばんわ

我家の一大イベント・長男結婚式が昨日土曜日、無事に終了いたしました。

多少の理解は勿論あるものの、私にとっては立場上初体験のことであります。

やはり無意識のうちに緊張していたのでしょう、最初の親族紹介から、(新郎の父でありますが)新婦の父の○○です、とさっそくやってしまいました(^_^;)

それでも一日、まごころで一生懸命努めさせて頂きまして、お蔭様で、なごやかで心温まる結婚式がとり行えました。

誠に有難い事であり、皆様への感謝の気持ちで一杯でありますm(__)m

長男も、素晴らしい伴侶を得て、これからも心身ともに充実を図り、尊敬される人間に成長していけるよう心より念じています。

今日はお別れということで、食事を共にしてから、大阪へ夫婦して旅立って行きました。

仕事の都合で、新婚旅行は秋ごろの予定だそうであります。

体に気をつけて、がんばってほしいものであります。
2003. 6.26
木曜
こんばんわ

お写真も見たくて、書いています(^_^;)

興味を惹いた、雑多な本をつまみ食いしています。

・・・目隠しをした人が「ぞう」を触っています。

その人は「ぞう」がどういうものか知りません。

触った部分の実感は真実・・・とも言えます。

本人は勿論「ぞう」を知りたがっています。

---------------

曽野綾子「いい人をやめると楽になる」より

『他人の暮らしはすべてすてきに思える。しかし皆ほんとうの生活を覗けば、円満でも、大して幸せでもない。』
(「自分の顔、相手の顔」、副題=どうすれば他人の生き方が気にならないか=)

『最後に残すべき大切なものは「愛」だけだと言ったら、また歯の浮くような事を言うと嫌われそうだが、死ぬ時に、人間としてどれだけ贅沢な一生を生きたかは、どれだけ深く愛し愛されたかで測ることになる。
愛は恋愛だけではない。男女の性の差も、身分を越えた関心という形をとった愛の蓄積である。それ以外のものは大地震の時の陶器のようにぶっ壊れる危険に満ち満ちているから、とてもカウントの対象にはならない』
(同上、副題=贅沢な一生かどうかは愛のあるなしで決まる=)

『その宗教が本物かどうかを見分ける方法については、前にも書いたことがあるのだが、多くの方がご覧になっているわけもないので、もう一回書くと、
(一)教祖、指導者が質素な慎ましい祈りの生活をしているかどうか。
(二)自分が生き神さまだとか、仏の生まれ変わりだとか言わないかどうか。
(三)宗教の名を借りて金銭を集めることを強要しないかどうか。
(四)宗教団体の名で、選挙と政治を動かすような指令を出さないかどうか。
この四つが正しく守られていれば、それはおそらくまともな宗教であろう。』
(同上、副題=本物と偽物の見分け方=)

『私はけっして誰もが信仰を持つべきだ、などと言うつもりはない。しかし人間の視点だけで、人間の世界が見通せるとはどうしても思えないのである。私たちは地形を総合的に把握しようとする時、自分の身長だけでは足りず、かならず高見に登る。それと同じで、信仰の見地から、神の視点というものがあってこそ、初めて私たちは人間世界の全体像を理解できるような気がしてならない。』
(二十一世紀への手紙、副題=品性(ひと)が現れるとき=)

--------------------------------
「ぞう」は・・・・大きいのですね。  「わがまま な 日記」(^_^;)
2003. 6.20
金曜
こんばんわ

いつも素敵なお写真を見せて頂いて有難う御座います(move?さんへ)

青空もいいものですね(^○^)

今週もなかなか代休も取れずじまいであたふたしております(^_^;)

吉野弘さんの『妻へ』の解釈も図書館で調べたいのですが、日曜に持越しです。

我家は読売新聞を購読していますが、6月19日の全面(半面?)広告はなかなかでありました。

焼け野原の東京の写真に「1923年9月1日 関東大震災、被災。」とあります。

そして次の頁に再び焼け野原の東京の写真に「1945年8月15日 太平洋戦争、終戦。」とありました。

さらに次の頁に、現代のビルが林立する東京の写真に「2003年、不況が、なんだ。」とありました。

ロゴが続きます。

『思い出してみれば、いままでにだってこの国はもうダメだ、という時はあった。もう一度、日本が立ち直れないわけがない。構造不況。本当はみんなの心の構造不況ではないだろうか。人まかせでなく、自分が前向きに立ち向かう事が出来たら、きっと新しい日本が始まる。』と、・・・・・・・。

日々の、心構えを改めて教えられたような気がいたしました。
2003. 6.16
月曜
こんばんわ

梅の花・・『高潔、澄んだ心、忠実』(花言葉)

今日も、吉野さんの詩をひとつ詠ませてください。

-----------------------------

「虹の足」

雨があがって
雲間から
乾麺みたいに真直な
陽射しがたくさん地上に刺さり
行手に榛名山が見えたころ
山路を登るバスの中で見たのだ、虹の足を。
眼下にひろがる田圃の上に
虹がそっと足を下ろしたのを!
野面にすらりと足を置いて
虹のアーチが軽やかに
すっくと空に立ったのを!
その虹の足の底に
小さな村といくつかの家が
すっぽりと抱かれて染められていたのだ。
それなのに
家から飛び出して虹の足にさわろうとする人影は見えない。
――おーい、君の家が虹の中にあるぞォ
乗客たちは頬を火照らせ
野面に立った虹の足に見とれた。
多分、あれはバスの中の僕らには見えて
村の人々には見えないのだ。
そんなこともあるのだろう
他人には見えて
自分には見えない幸福の中で
格別驚きもせず
幸福に生きていることが――。

--------------------------------
ありがとうございましたm(__)m
2003. 6.15
日曜
こんばんわ

今日も暑い一日でした(^_^;)

ちょっと時期は過ぎてしまいましたが、美しい桜の花のお写真にしました(^o^)丿
(move?さんより)

先程、帰宅しましたが、今週も自動車販社のキャンペーンが盛んに開かれてます。

日々がんばってお仕事に邁進しないといけませんね。


さて、先日、このわがまま日記で、吉野弘さんの詩をいくつかご紹介させて頂きました。

その心惹かれる詩のなかで、意味がイマイチ掴めなかった一部の詩について皆様に解釈をお願いいたしましたところ、ネットのお友達のきえさんからカキコを頂きました(^o^)丿

読ませて頂きますと、誠に素直で意を得た解釈に、我ながら感心してしまいました(^^ゞ

カキコは掲示板ですので、わがまま日記にて皆様にもお読み頂こうと思いまして、本日の感じるお話にさせて頂きました(^o^)丿

きえさん、すいません(^^ゞよろしくお願いします(^o^)丿

「生命は」        吉野 弘

生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする

生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
(あぶ)の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も  あるとき
誰かのための(あぶ)だったろう

あなたも  あるとき
私のための風だったかもしれない
「早春のバスの中で」

まもなく母になりそうな若いひとが
膝の上で
白い小さな毛糸の靴下を編んでいる
まるで
彼女自身の(まゆ)の一部でも作っているように。
彼女にまだ残っている
少し甘やかな「娘」を
思い切りよく
きっぱりと
(まゆ)の内部に封じこめなければ
急いで自分を「母」へと完成させることが
できない
とでもいうように  無心に。
「妻に」

生まれることも  死ぬことも
人間への何かの遠い復讐かも知れない
と嵯峨さんはしたためた

確かに
それゆえ、男と女は
その復讐が永続するための
一組みの罠というほかない

私は、しかし
妻に重さがあると知って驚いた若い日の
甘美な困惑の中を今もさ迷う

多分、と私は思う
遠い復讐とは別の起源をもつ
遠い(はなむ)けがあったのだと、そして

女の身体に託され、男の心に重さを加える
不可思議な慈しみのようなものを
眠っている妻の傍でもて余したりする
いちおう、うえの三つの詩を詠んでみたかったのですm(__)m・・・・・
最後の「妻に」なんですが、前段の"遠い復讐"も"一組みの罠"も共に意味や表現に深い味わいがありますね。
ただ、後段の "妻に重さがある" "男の心に重さを加える"という意味あいがちょっと判断できません(^_^;)
どなたか、意味を教えて頂けたら有難いのですが・・・・。図書館で調べてみましょうかね(^_^;)
   H15.6.13 やま兄(^_^;)  わがまま日記
H15.6.15 お友達のきえさんから、教えて頂きました(^^ゞ・・・・・本日の感じるお話ですm(__)m
妻に
やま兄さん、こんにちわ。

13日の日記に書かれている詩、どれもいいですねー。私的には「生命は」が一番、心に入りました。
-------------------------
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?
-------------------------
この部分、なるほどね〜と思いました。私たちって、知らないうちに、たくさんの生命のお世話になり、また、自分も他の生命のお役にたっているのですね。生命の不思議を感じます。

この間、庭野欽司郎先生のご縁があり、お話しを聞かせていただいたんですが、「自分の今日までのご縁をたどっていくと、わかるだけでもたくさんの数え切れない生命のおかげさまで、私は今、こうして命を繋いでこれたのです。放っておいても、私たちは、他に支えられて生きているのだから、少しでも他の役に立てる自分になろうと意識すること、それが菩薩行なのです」と教えていただきました。この詩も同じことを語っていますね。

最後に「妻に」という詩について、やま兄さんが意味合いが・・・とおっしゃってた部分、私は、「妻に重さがある」というのは、赤ちゃんができたという意味じゃないのかな?と思いました。重さというのが体重なのか命の重さなのか、よくわかりませんが(^^;多分、命でしょうね(笑)
「男の心に重さを加える」というのは、赤ちゃんができたと知って、ずっしり自分の役割、責任を感じたということではないのかなー。だけど、きっと心地良い重みなんでしょうね。女性の体に宿り、男性の心にまで重みを与える。その愛しい慈しみのような気持ちを、どこへ持っていけばいいのか、やり場がなく困り果ててる男性のなんともいえない心理状態が描かれているように感じました。

感性の乏しい私の解釈でした。(^^;


2003/06/15(Sun) 15:36 NO.124 From : きえ
http://www.geocities.jp/akira_and_nagomi/index.htm
なるほど、きえさんのおっしゃるとおり「命の重さ」というのが一番しっくりしますね(^○^)。
男心も解説して頂いて、きえさん有難う御座いましたm(__)m
お時間がありましたら吉野弘さんの詩集をさらにいろいろ読ませて頂こうと思います(^o^)丿
2003. 6.14
土曜
こんばんわ

紫のバラ、ですね。


大変洒落て素敵な色(紫)ですが、使い方によっては中身を吟味しませんと、色負け?しそうです(^_^;)

ハリー・ポッター第二巻「秘密の部屋」にギルデロイ・ロックハートなる人物が登場します。

彼の衣服の色のイメージが淡い紫のような気がしていましたが・・・・・・・(^^ゞ

小説の設定上ではありますが、カッコばかり気にするやや中身の無い、滑稽な人物を演じていましたので、どうもイメージがかぶってしまいます(^_^;)


今日も蒸し暑い一日でしたね。

明日はお仕事ですので、エアコンをつけながら(>_<)がんばります。


さきほど、就寝前の家内の伝言で、明日の父の日用に贈物を用意してあるということで、父の所へ持っていくように言われました。

僕も今では、それなりに、父ではありますが・・・。
明日は静かに過ごさせて頂きましょう(^_^;)


一方、開祖先生の説法の中にも父性の大切さを説かれたお話が数多くございます。

父親は「一家の心棒」、すなわち子どもが心から尊敬できる父親であることが、なによりも大切だとおっしゃっておられます。

振り返りますと、誠に恥じ入ることばかりの父親に他なりませんが、まだまだ修行半ばの若輩者でありますので、これからも信念と勇気を奮い起こして、子どもたちとともに学んで参りたいと思っております。


本日の感じるお話です。
  他を選り好みしない    庭野日敬  (1986年、昭和61年)

 自分と考えが違い、自分と合わない相手に対して無理に辛抱しているというのでは、こっちが小さくなったり、窮屈になってしまいます。「ならぬ堪忍するが堪忍」で、無理やりがまんしていても、どこかで破綻(はたん)してしまうわけです。

 この世の中は、さまざまな性格の人が集まってできています。
いろんな性格の人がいることによって、自分の真価も現われてくるのです。

 コンクリートを作るのでも、セメントだけで固めようとしてもできません。砂を入れ、砂利を入れ、水で混ぜ合わせることによって、あの強力なコンクリートの力が生まれてきます。

 自分と合わないからといって、相手を敵視し、孤立していたのでは、自分の価値もなくなってしまうのですね。和合僧(わごうそう)をつくるには、まず自分のほうが「他を選り好みしない」という心になってしまうことです。その一念が、それぞれの個性を持った人を和合僧に巻き込んでしまうのです。

 夫婦の和合も、会社の協力一致も、世界の平和も、原理は一つです。
  
ありがとうございましたm(__)m
2003. 6.13
金曜
こんばんわ

先日のご紹介のサイトを覗いています。

吉野 弘さんの 詩 いいですね。

みなさんもいかがですか(^^ゞ

お写真は、なんとなく花鳥風月ふうにしました。
(move?さんより)

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「生命は」        吉野 弘

生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする

生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
(あぶ)の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も  あるとき
誰かのための(あぶ)だったろう

あなたも  あるとき
私のための風だったかもしれない

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「早春のバスの中で」

まもなく母になりそうな若いひとが
膝の上で
白い小さな毛糸の靴下を編んでいる
まるで
彼女自身の(まゆ)の一部でも作っているように。
彼女にまだ残っている
少し甘やかな「娘」を
思い切りよく
きっぱりと
(まゆ)の内部に封じこめなければ
急いで自分を「母」へと完成させることが
できない
とでもいうように  無心に。

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「妻に」

生まれることも  死ぬことも
人間への何かの遠い復讐かも知れない
と嵯峨さんはしたためた

確かに
それゆえ、男と女は
その復讐が永続するための
一組みの罠というほかない

私は、しかし
妻に重さがあると知って驚いた若い日の
甘美な困惑の中を今もさ迷う

多分、と私は思う
遠い復讐とは別の起源をもつ
遠い(はなむ)けがあったのだと、そして

女の身体に託され、男の心に重さを加える
不可思議な慈しみのようなものを
眠っている妻の傍でもて余したりする

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いちおう、うえの三つの詩を詠んでみたかったのですm(__)m・・・・・

最後の「妻に」なんですが、前段の"遠い復讐"も"一組みの罠"も共に意味や表現に深い味わいがありますね。

ただ、後段の "妻に重さがある" "男の心に重さを加える"という意味あいがちょっと判断できません(^_^;)

どなたか、意味を教えて頂けたら有難いのですが・・・・。図書館で調べてみましょうかね(^_^;)
2003. 6.10
火曜
こんばんわ

スズランですね。

花言葉は"幸せの再来"だそうであります。


最近、お友達のベーコンさんから、教えて頂いた詩がありますが、なかなか素敵ですので、わがまま日記でご紹介したいと思います。

最初は
吉野 弘さんの『祝婚歌(しゅくこんか)』です。
つづいて
吉野 弘さんの『奈々子に』です。

吉野 弘さんで探してみますと、こちらにも多くの詩が紹介されておりました。
【吉野弘 1926年−。詩人。山形県酒田市出身。高校卒業後、就職。徴兵検査を受けるが、入隊前に敗戦を迎える。1949年労働組合運動に専念し、過労で倒れ、肺結核のため3年間療養。1953年同人雑誌「櫂」に参加。1957年、詩集「消息」、1959年詩集「幻・方法」。1962年に勤務を辞めて詩人として自立。詩画集「10ワットの太陽」、詩集「吉野弘詩集」「叙景」、随筆集「遊動視点」「詩の楽しみ」など著書多数。】

そして
河井 酔茗さんの『ゆずり葉』です。
河井 酔茗 1874〜1965。詩人。大阪府出身。本名又平。文庫派の代表詩人。作風は平明温雅。のち口語詩、自由詩に転じ、近代散文詩の先駆となる。詩集「無弦弓」「塔影」「霧」。】

本日は静かにお二人の詩の世界を堪能させて頂きたいと思います(^o^)丿

追伸です(^o^)丿
ベーコンさんは新聞の投稿もされている文芸奥様であり、また日本語脚韻文芸も楽しまれてらっしゃいます。
その研究サイトベーコンさんの素敵な詩の作品(お客様作品集)もご紹介させて頂きます。

本日の感じるお話です。
        法  話        庭野日敬

 あの人より私のほうが財産があるから幸せだとか、この人より私のほうがきれいだから幸福だといったような幸福感は、あっというまに消えてしまうものです。

 ほんとうの幸せは、そういう「だれだれさんよりも・・・・・」と比較をする虚栄心(きょえいしん)嫉妬心(しっとしん)を捨てたところにこそ得られるものなのです。
ありがとうございましたm(__)m
2003. 6.8
日曜
おはようございます

暑い日が続いておりますが、みなさまいかがお過ごしですか。


たまたまですが・・・

金曜のTVで映画の放映をしておりましたが、VTRを撮ってあったので先ほど見直してみました(^_^;)

THE MATRIX

最初見た時は、映像の新鮮さ・奇抜さ、そしてドラマの構想やアクション表現に楽しさを覚えました(^^ゞ

改めて、見直してみますと、やけに、映画の中のあるおばさんの発言が気になりました。

そう、預言者として主人公のネオに語りかけた、あのおばさんの言葉です。

(注;↓( )の中は僕が書き入れた言葉。それほど映画で使われていた言葉に厳密ではありません。)

「あっ、あなたがネオね。・・花瓶が壊れるけど気にしなくていいの(ネオが肘で花瓶に触れて落ちた)・・。」

「思ったよりいい男ね、彼女が好きになるわけね」  (好かれてる相手もわからなかったので・・)

「だけど、にぶい」       ・・・・・・・・・・・・略・・・・・・・・・・

「その言葉はラテン語でね、『汝自身を知れ』って書いてあるの」(ドアの上の看板を見る)

「救世主というのは恋をしているのと同じよ・・恋をしているのは他人にはわからないけど、自分には痛いほどわかるでしょ」

・・・・・・・・・・・ネオを見つめ・触れ・感じる預言者・・・・・・・・

「あなたには才能がある。でもなにか待っているみたい。・・・・(救世主になるのは)来世かもしれないわ・・・。」

「モーフィアスが可哀想、彼は(救世主は)あなただと信じているわ。・・彼(救世主)がいなければ負けてしまう」

モーフィアスは(信じている)あなたのためなら命を捧げるわ。

「あなたはじきに選択を迫られる時がくるの・・・モーフィアスの命をとるか、あなた自身の命をとるかのね。

(いまのあなたに変化がなければ)二人のうちのどちらかが死ぬことになるわ。」

決めるのは、あなた自身よ

「あなたはいい人なのに(こんな辛い事を話して)暗い気持ちにさせてごめんなさい」

「でも大丈夫よ、そのドアから出てクッキーを食べ終わるころにはこころはおだやかになっているわ」

大事なことは・・・・『 運命 なんか信じてはだめよ 』

「(あなたがいつも思っているように)人生は自分でコントロールする、って言ってたわね、・・・・・」

おばちゃん預言者は人生のガイド(導きて)であり、いまその人に必要なことをお話するそうであります。

かくして彼(ネロ)は徐々に力を自覚し、預言者の言葉どおりに、同朋の裏切りによって捕まったモーフィアスの命を救うべく、再びマトリックスの世界へ立ち戻り、マシン軍団と闘うのであった・・・・(^_^;)

うんうん、僕としては青色と赤色太字文字↑がこの映画のテーマではないかと感じた次第です(^^ゞ

そういう意味でも、なかなかいい映画ではないでしょうかね(^○^)

あっ、次回作も時間があったらみたいですね(^_^;)マトリックスリローディッド
2003. 6.4
水曜
こんばんわ

綺麗なお花ですのでじっくり見たくなりました(^^ゞ

名前は知りません。可愛いですね。

先日、近くの図書館で本を借りました。

「いい人」をやめると楽になる』(曽野綾子著祥伝社)

何か大昔の言葉が頭に残っていて・・・借りてしまいました。(高校生時代ですかね)
・・・「やま○○君は、いい人だもんね」とよく言われたような・・??・・

もっとも、いい人を止めて、楽になるとも思えませんがね(^_^;)
<いい人かどうかもわかりませんけど・・・・>

それから、近くの町の大きな本屋で本を買いました。

死にゆく者からの言葉』(鈴木秀子著文春文庫)

鈴木秀子さんの著書を探し疲れて、女性店員に聞きましたら、2階・4階・5階に分散されているとのことで、少し休憩しておりましたら、この本を持ってきて下さいました。448円の文庫本で経済的でしたので、1000円の図書カードで購入しました(^_^;)

お二方ともキリスト教を信奉されていらっしゃいますね。

文庫本は手軽ですので、読み始めています。

鈴木秀子先生の原体験が最初に述べられておりましたので、なるほど、と思いました。
(先生御自身が臨死体験を経験されてらっしゃったということなのですね・・・・・)

そしてお話の中に「大原紫苑」という女性の先生がいらっしゃいました。・・・・・・

『いい人・・・・』とともに、つづきはもう少し待っててくださいね(^o^)丿
2003. 6.3
火曜
こんばんわ

ちょっと遅くなりましたが、『わがまま日記』を書きます(^_^;)

人間、とくに僕のような修行の足りない者にとっては生活習慣と申しますか、時間を見ながら、これをさせて頂こう、これを実行しようと心に決めたことを続けていく事が誠に大事なことであります。

明日はお休みだ、やれやれ、ゆっくりと・・・・。
などとなりますと、すぐさま馬脚をあらわしてだらしない生活にたちまち後戻りしてしまいます。


その、怠けるという鬼の心を開祖先生は 『怠け心』 というお話の中で諭されています・・・・、

『 「寒いといっては仕事をせず、暑いと言っては仕事をせず、早すぎる、遅すぎると言っては仕事をせず、空腹だ、満腹だと言っては仕事をしない。
これが富を失う六つの災いである」とお釈迦さまは教えられました。

 そんなことをしていれば、財産をすり減らしてしまうのはあたりまえだと、だれもが考えるでしょう。
 しかし、自分を振り返ってみると「なるほど、仏さまは私たちの怠け心をすっかりお見通しなのだ」と、ひやりとさせられるのではないでしょうか。

 今の暮らしになんの心配もないから信仰など必要はない。家のローンをパートで稼がなくてはならないから、信仰などしている暇はない。今日は寒くて体にさわるから、お勤めはごめんこうむらせてもらおう。こう暑いんじゃ、仕事はまた明日にしよう・・・・・・。

 怠けるための言い訳は、次から次へと出てくるのですが、そんな言い訳を考えているうちに、幸せは脇の下をすり抜けて、どんどん逃げていってしまいます。』

少々、厳しいくらいの状況のほうが、だらしない自分にとってはよろしいのかもしれません(>_<)

お写真も、冬の厳しさの中で芽吹こうとしている草花に心惹かれたのでした(^_^;)(move?さんより)


本日の感じるお話です。
  仏さまのはたらき    庭野日敬  (1985年、昭和60年)

 「仏さまは果たして存在するのか」などと、理屈だけで議論してみても、仏さまの存在は分かるはずがありません。「本当に仏さまがおられるのなら、ひと目みたいものだ」といくら目をこらしても、仏さまは見えてこないのです。

 仏さまがいらっしゃるのを見せてもらういちばんいい方法は、「自分を変える」ことなのです。

 息子がどうしても親の言うことを聞かないからといって、躍起になって子どもを変えようとしても変わりません。ところが、親のほうが変わると、やがて息子さんが変わってしまうのです。不思議というしかありません。

 同じように、嫌っていたお(しゅうとめ)さんや虫が好かないと敬遠していた上役を、「この人が、自分を幸せに導いてくれる仏さまのお使いなのだ」と拝めるようになると、その心が、そのまま相手に伝わるのです。

 「神は存在ではなく、はたらきなのだ」と言われる方がいます。

 自分の体験を通すと、仏さまのはたらきがありありと感じられてきて、合掌せずにいられなくなるのです。
  
ありがとうございましたm(__)m
2003. 6.1
日曜
こんばんわ

そうとう小さなかたつむりでしょうか(^_^;)
こうして見てると可愛らしさを感じます。
(move?さんより)


台風一過という感じで、午後からは晴天となり、やや暑いほどでしたね(^_^;)

今日からまた新しい月が始まります。

いつも、せめてわがまま日記ではと、笑い話や楽しいお話もあればと思っているのですが、平平凡凡な生活のなかでは面白いお話もあまりありません(^_^;)

むしろ自分自身をなんとか励ましながら心を切り替えて前向きにがんばりたいと願う日々であります。


しかしながらまた先日の新聞報道より、悲しい事件も聞かされるのですね。

『母子3人が飛び降り 母は死亡、子どもは重体』(5月31日朝日より)

医療事故なども後を絶ちませんし、現代日本も苦悩に満ちた世界と言わざるを得ません・・・・・・・。


本日の感じるお話です。
  まわりを味方にする    庭野日敬  (1998年、平成10年)

 まわりと仲良くすることが仏道の極意(ごくい)、と言ってもいいのではないかと私は思うのです。
あっちでぶつかり、こっちで人に突っかかっているようでは、仏道修行は落第です。

 家族や職場の仲間はもちろんのこと、毎日起こるすべてのことと仲良しになってしまうのです。
仏道とは天地の(ことわり)、宇宙の大法則と溶け合って生きることだともいえましょう。

そうして、まわりじゅうと仲良しになろうと努力していると、すべての人、すべてのことが自分に力を貸してくれるようになって、前へ前へと押し出してもらえるのです。これが安楽行です。

 こちらのほうがずっと楽な道なのですが、みなさんが、わざわざ人に突っかかったり、まわりに当たったりして悪戦苦闘しているわけです。「極楽は行きやすくして人なし」で幸せへの道のほうがずっと楽なのですが、分かってはいてもなかなかそれができないわけです。

 ですから、一つ一つ周りの人に教えを受けながら「今日はこれができた」「ここが一つ上達した」と毎日の自分を振り返って一段一段上がっていく努力を続けていく。

 周りの人を味方にし、師としていけば必ず卒業証書をもらえる日がきます。
  
ありがとうございましたm(__)m


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